「今、此処に在ることに感謝」 #21
アドラー心理学の「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」について別視点での考察。
今日、ちょっと苦手だな、嫌いかもと思っていた人とひょんなことから距離を縮めることができた。
それはこちらが一方的に感じただけのことかもしれないが、まずは自分が変わらないと何も変わらないという点では合格点であろう。
その相手というのは、事あるごとに愚痴を吐き、事あるごとに小言で嫌味を言い、事あるごとにため息をつく。そんな陰気臭いオッサンや。
根本的な部分では悪い人ではない。けれど、そんな人とは気持ちよく付き合えないし、親しくなりたいとも思わない。
だから基本的には距離をおいて、絡まないようにしていたのだが、ちょっとした事で嫌味をボソボソ言われたので、「それどういう意味?」「分からないことは分からないからはっきりと教えて下さいよ」と半ギレ口調で言い返した。
なかなか感情的になることはないので、ビックリしたのか分からないが、そこから相手の態度がコロッと変わった。
ベースは嫌味人間なので、変わったといっても、想像の範疇でしかないが、それでも今までのことを考えれば大きな改善だ。
そして、相手の思っていることを初めて聞いた。
僕の思っていることは、3割くらいに留めておいて、相手がどう考えているのか聞こうと思った。
すると、色々なボタンの掛け違いがあるなということが分かった。
もちろん、私は私の世界を生きているし、相手は相手の世界を生きている。
だから、どっちが偉いどっちがダメだという話をしてもそれは平行線のままである。
しかし、まずどちらかが相手の側に立ってみる。
そこで見える世界を想像してみる。
そうすることで目の前にあった大きな濁流は、ほんの少しだけ濁りがなくなり、まだ対岸へ渡ろうとはしないまでも、そこに橋を建てようかなとくらいは思えるようになるかもしれない。
つまり、苦手だなーと思っているような人でも、一度自分のかけているフィルターを外してみることで、違った様に感じることが大いにあるということである。
そういう誤解を孕んだまま積み上げる人間関係というのは、常に悩みの種になりうる。
まずは自分から。
ボタンのかけ違いを直して、曇ったメガネを外してみると、きっと目の前に広がる世界は違ったように見えるに違いない。