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引っ込み思案な自分を[Spotlight Insight]

日本人は、欧米人に比べると極端に自分の考えを述べたり、主張することが苦手だと言われる。

それは国民性ということもあるのだろうが、学校での授業がディスカッションベースな海外に比べ、受け身の授業が主流な日本の学校教育の影響も大きい。

そんな中、総発信時代といわれ、多くの人がFacebookにしろTwitterにしろInstagramにしろTikTokにしろYOUTUBEにしろ、勿論このnoteにしろ何かしらの発信するプラットフォームとしてのSNSを持ち合わせているといっても過言ではない。

そういった表現が決して得意とはいえない私ですら、上記のうちの半分以上のアカウントを持ち、ROMし、時には発信している。

昭和後期に生まれた身ではあるが、それでもこの三十数年でのコミュニケーションの形や、人との出会いの形というのは大きく変わった。

そして、このコロナによって、その変化はより一層大きく変化した。

物理的な制約のもと、オフライン思考から一気にオンラインでのやり取りが増え、ZOOMに代表されるように、会議などもオンラインでなされ、リモートでも業務が回る業種など一部の企業に関しては、オフィスの縮小への動きも目立った。

前置きが長くなったが、そのような時代の変化の中で、それでも人の本質というのは変わらないなというのが、今回の本題である。

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コロナwithになってから、何度かZOOMでの交流会みたいなものに参加してみた。

ZOOM飲み会みたいなものである。

人にはそれぞれキャラクターがあり、また複数人集まるとそのキャラクターとは別に役割みたいなものが生まれる。

回す人、盛り上げる人、常に話の中心にいる人、ずっと黙って聞いている人。

どれが偉くてどれが偉くないということはない。
役割である。

雑談の場合などを除いて、自分の話をしたいだけの人だけで集まっても話はまとまりはないし、ずっと黙って聞いているだけの人たちだけが集まっても、それはそれでなかなか話にならない。

しかしそれが雑談においても、それぞれがそれぞれの役割の中で、うまく作用してこその複数人の話の場である。

僕自身の話でいうと、そういう場においての役割としては、基本的には静であって、あまり先頭きって話すタイプではない。
だが、ずっと黙って聞いていたいのかというとそういうわけでもなく、スポットを当ててくれた途端にぐわぁ~としゃべることはあるし、まとめる側の立場に立たざるをえない時に関しては、それもそれで苦手で嫌というほどのことではない。

総じていうと、出たがりの引っ込み思案というアンニュイな感じである。

ここを[Spotlight Insight]すると、なぜそうなのか?という疑問が生じる。

本当は出したいはずなのに、思ったように自分自身を出せない。

例えば、先のZOOM飲み会のような場合、だいたいしゃべる人というのは決まってくる。
そして、私のような引っ込み思案は、お黙りモード全開でスタートをきる。
ときたま、話を振られた時などは発言するが、もうスタートからのだんまりが長くなればなるほど、なかなか思ったように口も回らず、トータルして記憶に残るような発言もできずにその飲み会を終えることになる。
その場にさんまさんがいたら、ブチギレられて、二度と呼ばれることはないであろう。

これが、その引っ込み思案である自分に対して何の疑いもなく、その場が最高に楽しかった!と思えるのであれば良い。

だがそうでもないのに、これを私の性格ってそうだよね!で終わらせてしまっては、あまりにも酷すぎるので、これは次に対しての対策を練り、トライ&エラーを繰り返しながら成長する必要はありそうだ。

なぜ自分を表現できないのか?ということを[Spotlight Insight]

したいと思っている自分がいて、それが出来ないときに、そこにはなんだかのファクター(要因)が働いている。

過去のトラウマや、今現在の自分に対しての自信のなさ、変にその場の雰囲気を壊さないようにという自己満な思いやり、様々な要因が思い当たる。

私の場合すべてが該当し、それらが合わさって、うまく自分を表現できない自分がいる。

過去のトラウマということでいれば、
小学生低学年の時に、路面電車のことを“ちんちん電車”と呼んで、クラス中の皆に笑われ、恥ずかしい思いをしたことをいまだに覚えている。
※しかし、これで自分を表現することが出来なくなったということではなく、ただ記憶として残っているという程度のものなので、この経験がどこまで影響しているのかは謎。

今現在の自分に対しての自信のなさということであれば、
話す内容で自分が知らないことや、入れなそうな話の時に???と思っても、それを素直に口にすることが出来ず、そのまましゃべれない空間にいるということがあったり、自分がその会話の中で提供できるものがないとなかなか積極的に参加することが難しくなる。

その場の雰囲気を壊さないようにという自己満な思いやりということに関していえば、これは本当に自己満の思いやりで、自分がしゃべったことで、なんで貴方がしゃべるんですか?という雰囲気になるような関係性であれば、そもそもそのような会には呼ばれないし、その時点で人間関係も続いていない。
ただ自分がなんとなく気を遣っているだけのことであって、例えばそこで疑問に思ったことを投げかけた時に、周りの人は応えてくれるだろうし、それをスルーされるようなことはまずないといってもよい。

このように大半の場合が、さしてそこまで気にすることがない。
むしろ自分の思い込みが勝手にハードルを上げ、勝手にそのハードルを越えられなくしているといえる。

[Spotlight Insight]からの対策を探る

人からの評価の多くは、自分自身の勝手な思い込みにより作り出しているので、まずはそこのフィルターを外すための訓練はした方が良さそうだ。

つまり、人はさほどあなたの言動に気にもとめていないし、もし気になるような言動があるのであれば、そもそもその時点で良好な人間関係は築けない。

そして、自分という存在をしってもらう為には、発信しないことには、いてもいないも一緒であって、だとすれば、そこにいる意味はほぼないに等しい。
※あくまで、そのような場でくすぶっているケースのみ。
 その場で静でいることでも学びがある場合はまた別。

その発信する為には、発信するスタンスに始めからもっていってしまった方が良い
つまり、序盤から積極的に話す自分をまずは演じ、発信することに違和感を感じさせないスタンスをとる。

まずやりやすい自分を自らの自発的な行動によって創り出すことを意識する。

今までの自分が、いかに他の人の土壌で甘えていたかが分かる考察となった。


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