「今、此処に在ることに感謝」 #38
人が何かを達成しようとした時に、そこには圧倒的な目的意識が必要である。
それがないと、少しのことで躓いただけで挫折してしまったり、なんとなくで達成した気になってそこから急速に停滞してしまう。
「何のために?」
これを問い続けることで、本当に自分がしたいことなのか、それとも何となく出来たらいいな〜くらいなのか、その線引きがハッキリする。
例えば、ダイエットがある。
なんとなく痩せたいなと思って始めるダイエットほど、無駄なものはない。
意識すれば数週間で少しは痩せるので、そこまでは持続したとしても、そこからの停滞期を乗り越えられるほどの馬力は、その後の目的がない限りにおいて続かない。
だからこそいつまでたっても、ダイエット本というのは形を変えて売れ続けるのである。
これは方法論ではないのだ。
あくまで目的意識。
痩せなくては病気になって死んでしまうというのであれば、「生きるため」ということが目的になるし、
痩せなくてはモテないというのであれば、「モテたい」ということが目的になる。
英語学習についても同じで、形を変えて英語学習が後をたたないのは、英語を何となくでちゃんとマスターしきれない人が多いわけで、そこには目的意識があるかないかということが大きく影響している。
ビジネスで英語を話さなくてはいけないという状況になれば、「英語で仕事をするために」という目的意識で必死に英語をマスターせざるを得ないだろうし、
好きな英語圏の子ができたときには、コミュニケーションをとるために必死に英語をマスターするだろう。
結局のところ、その先に何があるか。ということが一番大事であって、ここにスポットを当てない限りは、長い目で見た時の本当の自己改革には繋がらないということだ。
私はデブである。
今までに何度も痩せることにトライした。
しかしことある毎に挫折してきた。
それは痩せた先に何もなかったからである。
ある師匠から、期限を決めてそこまでに体改造計画を立て実行しよう!という赤紙を頂いた。
そこまでに達成しないと、皆の楽しみを奪ってしまうかもしれないと考えた時に、初めて自分にストイックになれている。
これはただ痩せたいなーではなく、明確な目標と目的が出来たからである。
つまり、挑戦するのであれば、その先の目的にまでしっかりと落とし込んでやらないことには意味がない。