「今、此処に在ることに感謝」 #24
これからの時代、個人の信用度というのは生きていく上でかかせないものになっていく。
それは今までの終身雇用の崩壊から、転職、そして副業の推進といった流れで、その会社が築いてきた肩書きを背景にしていた個人が通じなくなる社会がくるからだ。
ほんの数年前であれば、「(大手)○○の役職△△の□□です」といった名前の前に、その人が所属する会社と役職をもって挨拶することが基本であった。
そして、その挨拶をされた相手方もそのバックグラウンドをもって個人を見ていたところが大きい。
しかしこれから数年後の世界には、属する会社の肩書きは肩書きでしかなく、それ以上に個人としてのパーソナルな部分で評価されることが多くなるであろう。
そうなってくると、今まで以上に人生逆転劇のような一発逆転を起こす機会というのは難しくなり、日々の積み重ねで築いたものでしか評価なされなくなる。
故に、信用あるものはさらなる信用を集め、信用なきものはさらに信用をなくすという二極化が起こってしまうのは免れないだろう。
この間にある大きな隔たりは、そうそうなことでは縮まることはない。
結局のところ、資本主義というのは、富める者は富み、貧しき者は貧しいという対立をうむわけだが、そのさらなる拡大というのは、資本主義社会から信用主義社会になる過程で必ずおきる。
なので、今のうちからその信用というものを築いておく必要がある。
インターネット、そしてSNSにおいて世界中の色々な人とつながる機会を得た我々は、それを自由と呼び、世界の広がりを目の当たりにしたのかもしれない。
しかしそれは同時に、人と人の関係性において薄っぺらさも露呈したように思う。
今では簡単に繋がれるのと同じくらい、簡単に人を誹謗中傷でき、また簡単にブロックできる。
そんな社会では、人を信用するどころか、自分を偽ることも容易く出来てしまう。
それで疲弊した人は少なくないはずである。
それらを経験した民は恐らく気がついているだろう。
ボーダー関係なく人と繋がれることで得た可能性は大きいけれど、その規模はお互いの価値観を分かち合える範囲だけでいいということを。
すると、必然的に偽りのある人や信用を積み上げられない人というのは、繋がりを作ることすら難しくなってしまう。
そして、そのことで失う機会損失はとても大きい。
これからの数年で確実に社会は形を変え、個人の時代になる。
その時になって焦っても既に積み重ねられた信用に乗っかるのは簡単なことではない。
まだそこまで多くの人がその事実に完全には気がついていないからこそ、今から変わることはできる。
一つ大事なことは、あなたはあなたのままでいいということ。
下手にフォローを作るためとかでなく、ありのままのあなたで築き上げられる環境を作ることが何よりも大事なことである。