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「今、此処に在ることに感謝」 #50
これまで生きてきて、「自由になりたいなー」とか、「決まり事なんてなんで在るんだろう」といったことを思ってきた。
自由な生き方をしたいと思ったことがある人は少なくないはずだ。
私自身も何かに縛られることなく生きたいと今でも真摯に思うことがある。
自由こそが幸せになるための必要条件だと。
しかし、よくよく考えて見ると、
自由とはなんぞや?
自由な生き方とは?
という素朴な疑問にぶつかる。
例えば、今縛られているものが何かと言えば、
・お金
・場所
・仕事
・時間
大きく分けるとこんな類だろうか。
・お金
お金にも様々な種類がある。
生活するためのお金、娯楽のためのお金。将来を考えてのお金。
例えばお金に自由になるといった時、
生活するためのお金に不自由なくなれば、明日のご飯を心配する必要もないという意味では安心するだろう。
その上で、娯楽のためのお金も際限なく好きな時に好きな事を好きなまま出来るとすれば、どうだろうか。
恐らく、楽しいのは最初の数年くらいの気がする。
これに関しては想像の範疇を超えないので、話をミニマムに落とそう。
例えば、小学生時代の楽しみといえば、駄菓子屋やおもちゃ屋さんである。
基本的に、おこずかいだったり、何個だけだよといった制限の中でいろいろな感情と格闘しながら、自分の欲しいものを選ぶ。
そこで、全部いいよーと言われた時に、最初はいいの!??と目を輝かすであろう。
最高の喜びが訪れるであろう。
しかし、毎度毎度行く度に好きなものどれでも好きなだけいいよ!と言われ続けたら、恐らく30回もいかない内に飽きるであろう。
将来のお金に関しても、今やりたいことが出来て、未来永劫生きている限り何不自由なくなったところで、安心はするだろうが、それが当たり前になった時の楽しみ方というのはそれはそれで同時に虚しさも訪れるように感じる。
そう考えるとどうやら、お金に自由になったところで、幸せにはならなそうだ。
・場所
今住んでいるところに完璧に満足している人というのは少ないであろう。
それは広さとしても場所としてもである。
では、広さを求める人が東京ドームほどの家を持った時に、それが本当に幸せに直結するだろうか?
場所を求める人が好きな時に好きな場所にいれる。これはなんだか楽しそうである。
しかし、自分一人でなく全世界の人々がそうなれた時にその場での倍率はとてつもなく高くなり、それはそれで揉め事が耐えないであろう。
そう考えると、場所に関しても自由になることで良い部分もあるが、それなりのええ塩梅というのがありそうだ。
・仕事
好きな仕事を好きなように出来ている人の割合というのはとてつもなく少ない。
多くの人にとってすれば、生活のために働いているし、好きなことをするためやお気に入りのものを買うために働いているといったところだろうか。
では生活の安定が確保され、仕事しなくても良いという条件下になった時に、やりたいことをやりたいように、好きなものを好きなだけ出来るという生活を送れたとしよう。
本当にやりたいことを見つけている人にとってすれば、それほどまでに極楽浄土な状況はないであろう。
しかし、そうでない人からすると路頭に迷うかもしれない。
生きている意味を見出せなくなるかもしれない。
そもそも生きている意味って何なんだろう。
お金を稼ぐことでも、好きな場所に住むことでも、仕事をすることでもない気がする。
話が脱線してしまったが、仕事をしなくていいという環境になった時に、ボケーっとしたり、好きなことだけに興じる時間だけで幸せを感じ続けられるかといったら疑問符が残る。
・時間
最後に時間である。時間に自由になるということは、そもそも時間という概念に生きないということだ。
もっというと、有限でなく無限に生きるということだ。
時間という概念も、人間が生み出したものでしかないので、1日とか1週間とか、1年とか何百年、何億光年といった時間という枠組みを取り払った時、人はどこに向かうのだろうか。
ここら辺の話になるともはや空想の域をでない。
詰まるところ、制限するものなき自由の中で生きるということが本当に幸せなのかということだ。
制限があるからこそ、そこには知恵が生まれ、制限があるからこそ、そこには有限なものへの感謝が生まれ、制限があるからこそ、その枠組みの中での最高の状態を目指そうと思える。
この制限がない状態では、どこまでいっても平行線であり、そこには幸も不幸も存在しない。
自由になりたいというのは、制限あるからこその希望であって、そこに答えがないことが分かる。
つまり、今ある状態、それはお金にしろ空間にしろ時間にしろだが、その状態をいかに楽しむかということが本質的に大事なんだということが分かる。
制限なき自由はもはや自由とは呼べない。
枠組みありの中での自由を謳歌することこそが、幸せになる第一歩なのではないだろうか。