「内なる自分を旅しよう12」 #63
前回のあらすじ 「内なる自分を旅しよう11」
○1年間の主夫業を経ての学び
1、自由になるとは、自己責任で生きるということ
2、時間とは有限である
3、やってみて初めて分かる凄さというものがある
4、子育てに答えはない
5、今まで必死に築き上げてきたものでも、これで絶対正しいと思わない
6、願えば叶う
5年間の社長業を振り返る旅
30歳手前から約5年間に渡って1店舗を経営する社長になった。
言い訳がましく聞こえるが、なりたくてというよりはならざるを得なくてなった!という方が正しい。
前進のお店から引き継いでのことなので、0から何かを生み出して、0から築き上げてという感覚は全くもってない。
むしろ今までの延長線上という意味合いの方が強いので、何か大きな変化があった訳ではない。
それでも、やはり社長というのはそれがどんな規模であったとしても、行動や考え方において変わるものだ。いや、変わらなくてはいけないものだ。
世の中には、2種類の社長がいる。
「俺か、俺以外か。」
そんな冗談はさておき、その2種類とは、自分で旗揚げした会社か引き継いだ会社かである。
創業者としての社長と引き継いでの社長というのは、同じ社長でも全く違う。
前者においては、ゼロ→イチの難しさが当然あり、同じ志を共有できる仲間を集めるところからしなくてはいけないので、その難しさがある。
それに比べ後者においては、すでにある風土の中で、守るものと変革するものを選定し、行動していかなくてはならない難しさがある。
どちらにしても、簡単なことではないのだが、共通項としていえることがあるのだとすれば、社長の考えや心というものが、そのままその会社に血液の如く流れるということだ。
つまり、その社長の仕事に対する姿勢、会社に対する姿勢がそのままその会社の風土となる。
また、どんなに現場に近い存在にいたとしても、やはり社長と社員というのは全く違う考え方になるし、そういう意味では孤独以外のなにものでもない。
それらを一つ一つ丁寧に向き合いながら、積み上げていくことこそが社長ということだ。
私が就任した社長は、そのまま受け継いたという意味では前からの風土もありつつも、けれど好きに思った通りにやっていいよという条件下という意味では、創業者ともいえる。
そんな状態で、私は社長になった。
つづく