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「今、此処に在ることに感謝」 #25

人というのは色々な側面を持っている。

誇らしい自分や嫌いになりそうな自分、また他の人には言えない自分だけの秘密な自分などという側面もあれば、

笑っている自分や怒っている自分、ふてくされている自分や落ち込んでいる自分、

はたまた人に優しくしている自分や人に意地悪をしている自分。

それぞれを細かく分けて数えれば本当に多くの側面がある。

しかし、どれを取ってみても紛れもなく自分は自分でしかなく、怒っている時だけ他人や人に悪口を言っている時だけ他人みたいな都合の良いことはない。

そんな色々な顔を見せる自分があるわけだが、どれも大事な自分として存在している。

さて、ここで一つ質問だが、ここまでに自分というフレーズを何回使っただろうか?


というのは冗談として、

ここで大事なことは、

その色々な顔を見せる上で、どんな自分が一番割合多く出ていて、それはあなたにとって望ましい状態なのかどうかということである。

例えば、人に優しくしたいのに素直に出来ない時、それは恥ずかしい自分だったり引っ込み思案な自分が出てしまっている状態である。

例えば、本当はニコニコしていたいのに、いつもカリカリになってしまうあなたは、ニコニコしていたい自分と、カリカリしている自分との葛藤の中で闘っている状態である。

こうなりたい!ということが、決してそうなっているわけではない時、そこには不可思議な力学が働いてしまうのだ。

そしてそれが続くと、自分はこういう人間だという思い込みとともに、そのような望んでいない自分の割合の方が大きくなっていってしまう。

そこには”圧倒的言い訳”という武器を手に変わることを拒んでしまう傾向にある。


あなたがあなたらしく生きるためには、まずそこのポイントをしっかりと押さえなくてはいけない。

「私はこうだー」と思っている自分というのは、決して望んでいる私ではない場合があって、

そこをスタートとした時に、その思い込みから脱却して、徐々に本当の私が私らしくいれる自分というのに還っていかなくてはいけない。

昨日の記事、「今、此処に在ることに感謝 #24 」で、

これからの時代は個人の信用というものがとても大事になってくるということを告げた。

その時に、本当の私でいれないということはものすごくリスクのあることで、偽物の無理をしている自分というのはいつか自分自身を苦しめることになるということを忘れないでほしい。

だからこそ、早い段階で自分の無理をしていない心地よい姿に気付くべきだ。


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