「今、此処に在ることに感謝」 #42
世の中は矛盾だらけである。
大人は子どもに嘘つくなというけれど、大人の世界では嘘で溢れ返っている。
勿論、必要な嘘もある。
けれど、一概には嘘はダメ!と子どもに教えるのに、いざ自分はどうだろう?と振り返ると、平気で嘘をついているではないか。
今朝、子どもが早くに起きて、学校への登校前にテレビを見ていた。
遅れて起きた私は、「ご飯食べたの?」と聞いた。
すると、「食べたよー」と返ってきた。
でも、よく見ると昨晩のカレーはすでに食べきっていて余りはない。
なので、「カレーもうないけど、どういうこと?」と尋ねると、
徐に冷蔵庫を開け、中に入っているいくらを刺して、「あっ、いくらご飯を食べた」と答えた。
「そうなんだー」と切り返したのだが、シンクにはその形跡がない。
そこまで深掘りする必要もないのだが、気になってしまい、
「食べた形跡ないけど?」と聞いたら、
「お皿洗って、拭いて仕まった」というではないか。
でも、他の洗い残しのお皿がまだあるのに、それはおかしいなと思い、さらに「どういうこと?」と尋ねると、
純粋にお腹が空いてなくて食べたくなかったからだというではないか。
どんな嘘やねん。
しかも、3〜4度にわたって繰り広げられる嘘。
どういうこっちゃねん。
だから、「お腹空いてないなら、食べてないって言えばいいだけじゃない?」「そういう簡単なことで嘘つくと、嘘つきになって、友達とかからも嘘つき呼ばわりされちゃうぞ。」と告げた。
ここで冒頭に戻るわけだが、
一言で言ってしまえば、思ったこと言って伝えれば済むだけやんということなのだが、
社会に出ると、多くの人間関係で忖度をしなくてはいけない機会が増える。
あれもこれも自分の主張だけし続けることはほとんどの場合難しい。
そう嘘つき社会に住んでいるくせに、子どもには嘘をつくな!というのは非常に難儀ではないか。
でも、嘘はいいよーというのも違う。
どのように伝えればいいのだろうか。
子どもへの教育と、自分の行いとの間に大きな隔たりが生まれてしまった。
今日も今日とて。