「今、此処に在ることに感謝」 #47
中年太りという言葉がある。
一般的に使われるということは、それだけ中年に太っている人の割合が多いということだ。
「白髪や老眼と同様に、体の機能低下による老化現象のひとつ。」と定義されているわけだが、ではなぜそのような現象になってしまうのだろうか。
私自身もご多分に漏れず、中年太り真っ只中にいる。
仕事一辺倒でやってきた結果と自分に甘えた言葉を投げかえることで、ここまで中年太りを育ててきた。
学生時代はサッカーに打ち込み、我ながらスラッとした体型であった。
大学時代は、スポーツというスポーツはしていないものの、ものすごくアクティブでバックパッカーとして世界を駆け巡り、国際交流ボランティアなど周りから見ても視野広くストイックに活動していたように思う。
やると決めたらやる!
このスイッチが入るまでに時間がかかるが、スイッチ入ってからは、集中力やストイックさには自信があった。
大学卒業後の仕事においても、仕事という面においてはストイックにやっていたので、苦労は重ねたもののすぐに主要なポストについたし、最終的には責任ある立場にまでいくことが出来た。
しかし、自分の身体という部分だけに関してはノータッチだった。
もちろん、日に日に太っていく中で、このままではヤバイなと思い、抗った時期というのもあるのだが、体型維持ということに関しては無頓着であったが故の結果が、中年太りという今を支えているのであろう。
数日前から、そこの体型という部分に重きをおいて体型改造計画を実施している。
まだまだ一週間足らずの出来事なので、ここから鈍りに鈍ったこのダラシない身体がどう変化していくのかというのは楽しみではあるが、
往々にしていえることは、こと自分事になるとストイックであることの難しさである。
前述したように、今まで自分がやってきた活動というものに関しては本当にストイックに向き合ってきたつもりである。
けれど、その対象が自分の身体となった時に、甘えが出てきてしまう。
筋肉トレーニングをしている時も、追い込みをかける時にもうダメだとストップをかけてしまっている自分がいる。
もちろん、「もっと頑張れる」「まだまだイケるぞ!」と鼓舞するのだが、それよりも「もうダメだぁ〜」と諦める気持ちの方が優ってしまうことの方が多い。
この葛藤に打ち勝たない限り、先には進めないことはわかっているのだが、まだまだ打ち勝つ気持ちが足りない。
だからこその今のこの体型だろ!と言われてしまえばそれまでなのだが、今まで自分が行ってきた活動と同じようにストイックになることが出来れば、確実に体型改造計画は遂行できるように思う。
「己に克つ」
簡単なようで非常に難しい。
結局のところ、弱き自分に打ち勝たなくてはいけないという意味においては、いかに自分に向き合えるのかということが何よりも大事だということ。
そしてそれは、精神においても肉体においても、内を見ることの大事さというものを示唆している。
「内なる自分」
普段生きている限りにおいては、そこに重きをおいて思考することがないからこそ、実は一番大事な観点だと、このわずかなトレーニング期間をもって体感した。