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「今、此処に在ることに感謝」 #16
人は自分の視野の中でしか生きていけない。
そして、
人の頭の中は全くもって他者からは分からない。
昨日の記事に続いて、
人の頭の中は全くもって他者からは分からないという話をしようと思う。
これは考えれば単純なことですぐに理解できるのだが、日常生活をしていく上では、ついつい忘れがちである。
つまり、私が言ったこと、私が感じたことの100%をあなたは理解してくれているよね?という錯覚である。
人間関係で問題が起きることの99%がこのギャップによって起こされているように思う。
例えば、お花畑を見にいった時に、
「あぁー、お花綺麗だな」と感じる人もいれば、
「花粉症に悩まされていて、なんかここ無理かも」と頭の中で会話している人もいれば、
「このあとのお昼には何食べよう」と想像している人もいる。
特に後者の2人に関しては、一切合切言葉として表に出てくることはないので、その人がその時に何を感じ何を考えているかなんてことは、正直のところ他人からは分からないのである。
これは、親子関係や夫婦関係、親友関係といった親しい関係性においても同じである。
ただ共感度が多少他の人よりも多いとかの居心地の良さはあるものの、何を考えているのかということへの理解度に関しては、どっこいどっこいでそこまでの大差はないだろう。
強いて言うのであれば、信頼度があるかないかの差くらいだ。
人間関係とはそんなものである。
それを前提とした時に、人と人との関係はもっと楽になる。
相手のことがわかると思うからこそ、何か違和感を感じた時にトラブルになるし、
自分のことをわかってくれるだろと思うからこそ、理解してくれなかった時に苛立ちが優先してしまうわけだ。
だが、一言で言えば、分かるわけないだろ!
それを基準に考えるとあらゆることが、ほんの少しだけ楽になるのではないだろうか。
もしくは理解してほしいと思うことがある時には、自分よがりの言葉でなくて、しっかりと相手を意識して、ちゃんと理解してもらえるように、噛み砕いて噛み砕いて話すくらいの優しさをもって伝えることが出来るのではないだろうか。
そこまでしても、理解度としては60%も満たないであろう。
それは、一つひとつのワードに対する解釈が違った場合に、それをつなげたひとつのセンテンスというのは、大きく解像度が変わってくるからである。
技術革新により、人と人の関係性は大きく変わったし、これからもさらに大きく変わっていくだろう。
そんな中では、オフラインでの人間関係の深さというのは、なかなか育たないように思う。
それにはメリットもデメリットもあるが、
趣味嗜好も違うコミュニティで築き上げる人間関係よりも、何か一つの”好き”を元に集まるコミュニティの方が生きやすいというメリットを享受できるのは大きい。
しかし、だからこそ、違うことも自分と同じように感じるだろうという前提に立ってしまった途端、その関係性は希薄なものになってしまう。
人は考え方や感じ方が完全に合致することはない。
故に、何を考えているかなんて当人以外分からない。
当人ですらはっきりと分かっていない場合もあるくらいだ。
だからこそ、何かひとつ共通項があったとしても、それで相手が全てを理解してくれるとは思わないほうが良い。
コミュニティのあり方が大きく変わっていくであろうこの10数年において、今のうちからその大前提をしっかりと自覚しておく必要がある。