「今、此処に在ることに感謝」 #32
「最近、いつ無邪気に笑っただろうか?」
「最近、いつ腹を抱えて笑っただろうか?」
大人になると理性的になり、また色々な経験を通して慢性的になり、変化を恐れて惰性的になる。
でも、誰もが常に怒っていたいわけでも、悲しんでいたいわけでもないのに、何故人は常に楽しみを享受することをしないのだろうか。
私があなたの人生を生きることはないし、
あなたが私の人生を生きることはないのに、
何故他人の目線ばかりを気にして、私の人生を最大限豊かにすることに全力を注がないのだろうか。
常に自分の中にある「楽しみ」にフューチャーしてみると、いかに日常の中で「楽しみ」を享受していないかが分かる。
そう、どこかで知らず知らずのうちにセーブしてしまうのだ。
楽しむことというのは本来天井知らずであるはずだ。
楽しめば楽しんだだけ、楽しいはずである。
しかし、どこかで相手の楽しみの熱量に合わせてしまったり、
他が楽しみを感じない場面で、自分の楽しみを表現しなかったり、
そんな経験がたくさんある。
けれど、相手のために楽しむわけではないと考えれば、それほどに可笑しいことはないというのは分かるはずだ。
要は、自らが自らを以て楽しもうとするか。
相手ではない。
常に私である。
そして、私が楽しめば、相手も楽しい気分になることもあるだろう。
『笑う男 めちゃイケ』