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「今、此処に在ることに感謝」 #48

心に焦点を当てることは容易いことではない。

人は生きているうちに、意識的にも無意識的にも、多くの感情を抱いては忘れていく。

その内に特別心に残っているものだけが、思い出として残っているが、それ以外にも多くの感情を抱いて生きてきたことはいうまでもない。

そして、その一つひとつが”私”を形成している大事な大事な一部である。

その中には、良い感情もあれば悪い感情もあるだろう。

生きていればこそ色々なことがある。

その度に喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりするわけだが、その一つひとつを引きずり過ぎていては、先に進めないからこそ、都合の良いように解釈し、時には思い出自体を作り変えることで人は今を生きる。

だからこそ、深層心理に眠る思い出に焦点を当てすぎると、都合の良いこともあれば都合の悪いこともあったりする。

中には封印したいような気持ちもあるだろう。

しかし、そこがネックになって”私”を形成する上で大きな役割を果たしている場合、そこにきちんと向き合わない限り、本当の意味では前に進めないのである。

そして多くの場合、この人合わないなとかこの人のこういうとこおかしいんじゃないのかな?と思われていたとしても、基本的には波風立たないように付き合おうとする人ばかりなので、指摘してくれる人は少ない。

それは、「裸の王様」である。

「裸の王様」ではあるのに、そこには自分らしさでなく、周りの目を気にした「裸の王様」がいる。

それでも人は生きていける。

ただそれは本当の”私”というところからはほど遠い、社会的に枠組みされた中での”私”であって、その中での表現には限りがある。

もっと感情的に、無意識の中にある感情もすべて吐き出した中で、愛に包まれた感情を植える。

土壌が悪ければ、どんなに愛情込めて育てたところで、キレイな花は咲かない。

まずは土壌を耕すところから始めよう。


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