「今、此処に在ることに感謝」 #20
アドラー心理学では、「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」と言われている。
勿論、生きていく上で自分ひとりで生きていくということはほぼ皆無に等しい。
自分ひとりで生まれて、自分ひとりで育ち、自分ひとりで生活して、自分ひとりで老いていき、自分ひとりで死ぬ。
どんなに人間関係を断とうとしたところで、控えめにいってもひとりで生き続けることは不可能だ。
それならば、生きていく上でお互いに協力し合って、気持ちの良い関係性の中で生きていけばよいはずである。
それなのに、何故皆が皆、対人関係において悩みを抱えるのだろう?
それは、「私」という存在の価値を知らないし、であるからこそ、「あなた」という存在の価値も分かっていないからだろう。
自分のことすら分かっていないのに、それを相手に重ねてしまう。
「あなたなら分かってくれると思ったのに、、、」などという幻想を抱いてしまうこともその一つである。
このボタンのかけ違いが、人間関係をギクシャクさせる要因の一つである。
人は環境に慣れる。
それは生存していく為の本能だ。
人類が誕生し、生存していく為にコミュニティを形成し、今度はそのコミュニティ同士で争い、弱肉強食で生き残った先祖の延長線上に生かされている我々は、やはりどこかで争わなければ弱きものとして滅びてしまうという本能的な防衛本能が働くのだろう。
力なきものは喰われる。
そんなことを繰り返してきた我々の潜在的な何処かにやはり優劣をつけることで自分たち自身を守っているという部分が少なからずあるのだろう。
そういう過去を否定もしないし、否定したところでどうなるわけでもない。
だが、そういう過去を受け入れた上で、これからどういう歩みを進めるのかが大事だ。
今後数百年、数千年と続く子孫形成の中で、いまと同じように人を傷つけながら、人を殺めながら、人を蔑みながら生きていくことが正しいのだろうか。
それよりも、私が私らしくいられるために、私の子どもが私の子どもらしくいられるために、私の孫が私の孫らしくいられるために、私の両親が私の両親らしく、私の祖父母が私の祖父母らしく、そして、私の曽孫、玄孫、来孫、、、と、今のような人間関係がずっと続くのだとしたらぞっとする。
「私は私らしく生きていいんだよ」
「あなたはあなたらしく生きていいんだよ」
そう受け入れることで、今後何万年と続く来世の人間関係はもっと違ったものになっているだろう。
我々の世代が、社会の在り方や人としての関わり方をガラっと変えることは難しい。
しかし、もう既に気づいている人が大勢いる。
あなたが今もしあなたらしくいれないのであれば、そうなれる環境にすぐに変えたほうが良い。
そうなれる環境は必ずあるから。
限りある時間の中で、限りない愛を受け取れる場所。
そんな場所に早く巡り合ってほしい。
「あなたはあなたらしく生きていいんだよ」
そう受け入れてくれる場所を。