明朗
明朗快活で、と始まる文章があります。高校生の時の自己うんぬんかんぬんのやつです。
そうです。少しだけ暗くても明朗快活なのです。
三つ子の魂百までという諺があります。3歳の時の大人達からの他己分析だと明るい、明朗快活の権化、太陽のように周りを照らす、などと恥ずかしいくらいの褒め言葉をいただいております。
20年後の今、私を他己分析する言葉は自分の意見を持っている、媚びない、物事の芯をとらえる。
要は頑固、無愛想、ネガティヴ、理屈っぽいということです。
そんな感じで照らすどころか暗闇提供人と化したらしいです。
私自身は何も変わりません。
いや、少しだけ変わりました。
わかりませんが。
変化がないことは心電図でいうとピーっということなので、変化は欲しいです。
ということは、二面性がある。ということです。明るい部分も有れば暗い部分もある。
人間ってみんなそうなのではないでしょうか。
底抜けに明るいと言われている子でも何かしら悩みはかかえていると。
それもわかりません。あくまで他人なので。
他人のことに干渉するほど今は脳味噌のキャパシティがプレミアム会員にならなければ入りません。とエラーを出しています。
三つ子の魂百までならば、私はオセロの達人ですし、人生ゲーム負けなしという世界的な有名人になっている予定です。
片鱗もありません。
初対面の人には、会って3ヶ月くらいで変わったね。と言われます。
そりゃそうです。初めから理屈っぽく、頑固なところは見せませんし、見えません。
見えてたらとしたらもうその人はオーラを見る番組に出た方がいいです。
明朗快活(のようにみえる人)が少し痛いところをついた意見を言うと変わったな。最初はそうではなかったのに。と言われます。
出会い頭で核心をついた意見を言っても良い人は何人かしかいません。生まれた時点で決まってます。
結局、何が話したいかと言うと、小難しい本を読んだあとだと人はすっごく理屈っぽくなります。わかることは1つです。いつもひとつなのです。
今でもピーマンは苦手ですし、ひじきは全くダメですし、モーニング娘。のハッピーサマーウエディングの赤い衣装はかわいいということには変わりません。
言っていることがすぐ変わることも三つ子の魂百までなのです。