自分だけ褒めてもらえない時の心持ち。
先日、趣味サークルに参加して、チーム分けで成果発表をしたら、私のチームの他の人だけが褒められて、私個人に対するコメントはもらえなかった。
で、私は、めちゃくちゃ落ち込んだ。
たぶん、自分としてはかなり上手くやったと思い込んでいたから、自分が褒めてもらえなくて余計に凹んだのだろう。
現に、私はまだ拗ねている。ずっとしょんぼりしている。
やる気満々で頑張ろうとしていた趣味に手をつけるのが怖くなっている。
あまりにも豆腐メンタルだが、それが私なのでぼちぼち立ち直っていくしかない。
評価するべき対象が複数いたところで、特定の人にだけ言及して、他に触れないなんて、酷いじゃないか!!!
としばらくは思い込んで、褒めた人を責めていた。
だが、自分だって、日常的に他人にそんなことをしているのだと思い出したのだ。
私には推しのグループがいる。
私のポリシーとして「メンバー全員を好きになったグループのみ推す」と決めている。
だから、前提としてはメンバーのビジュアルも性格もパフォーマンスも全員、本当に大好きなのだ。
もし仮にメンバーが別のグループでバラバラにデビューしていたとしたら、それぞれのメンバーを各グループの「イチ推し」に選ぶと思う。
グループを推していると、どうしても「イチ推し」なメンバーが出てくる。
そして他人と推しについて話す時には「○○というグループが好きで△△くんが推しなんだ!」という感じになる。
同じグループを推している人ならば「やっぱ○○はメンバー全員サイコーだよね!」と共有した後で推しメントークになるが、そうではない人と話す場合は先ほどのような流れになる。
もし仮にこの会話を推しグループのメンバーが聞いていたら、名前が出なかったメンバーは、「あ、この人は自分のことは好きじゃないんだ」と思うかもしれない。
いや、まあ、売れっ子の彼らはそんなこと慣れているし、そんなこと思わないのは分かっているのだが。
もし私だったら、人間の心情としてそう思ってしまうなぁなどと、考えたのだ。
メンバーはファンを信じてくれている。
だからたとえ、特定のメンバーに向かって(仮に●●くんとする)で「私、△△君が好きなんだ!」と他のメンバーの名前を言ったとしても、
その言葉の前に「もちろん、グループ全員が大好きで、あなたのことも大好きだけれどね!」が入っているのは分かってくれているとは思う。
メンバー全員と順番に話せるサイン会の様子などを見ていると特にそう思う。
特定のメンバーのファンであることをアピールするようなカラーやグッズを身に付けていても、メンバーはにこやかに対応する。
(仕事だから当たり前かもしれないが、やはりファンとメンバーとの間でそういう精神的なやり取りはあるように思う。)
で、なんの話だったっけ。
ああそうだ、褒められない、という話。
「推しメンを選ぶ」という行為で自分だってそんなことを日常からやっているのだから、人から選ばれなかったときに、落ち込む権利などない気がしてくる。
しかし、そんなことに慣れていない、プロのアイドルや物分かりのいい大人ではない情緒不安定な私はそれを受け入れるのがなかなか難しい。
考えておきたいのは褒められなかったからと言ってその人がダメだったわけではない、ということだ。
「もちろん、いつも素晴らしいのだけれど、もしこの瞬間、あえて言うなら」というのが褒める前にコメントとして付いていると考えるのが良いだろう。
本当に「いや、オメーは褒めるポイントねえよ」という場合もあるだろうが、まあ、そうはっきり言われてもいない以上はポジティブに、またはフラットに捉えておけばいいと思う。
相変わらず私は拗ねているが、たくさん食べて寝て回復に努めることにする。