それ、実は業務改「悪」かも 注意したい取り組み3選【事務業務編】
よくある業務改善の取り組み、本当に改善できていますか?
PDFでペーパレス化
元々紙であるものをスキャンしてPDFで保存する電子化は「ペーパーレス化」と言えます。一定の業務改善効果やコスト削減にもつながるでしょう。
しかし、Word文章の印刷をやめてPDF化することは、ペーパーレス化ではなく単なる「電子ペーパー化」です。紙の実体こそなくなり、物理的なコストや保管・移動の手間は省くことができます。一方でPDF化の作業やPDFファイルの安全な送受信手続き、PDFファイルの管理は必要になります。時代の流れに沿って電子化した、という達成感と改善効果は別物。手間の対象の実体を電子化しただけでは、トータルコストは必ずしも削減されません。
ところで、毎回「紙でください」と言う役員や、紙の資料の用意を促される会議が少なからずあります。「昭和」と揶揄する人がいますが、なぜ、そのようなリクエストがあるのでしょう? それは、モニターに映した文章を見ることに、メリットがまったくないからです。むしろA4縦のレイアウトで作成された文章をモニターの横長画面で見る違和感を考えると、見る側にとっては紙の方が合理的なのです。
電子化により「見られ方」も変化します。紙の用紙サイズに合わせて静的な文や図が整然とレイアウトされた文章・資料を依然として作り続けることこそが「昭和」で、これを脱却しない限り、電子化による表面上のペーパーレス化は実現できたとしても、業務改善にはつながりません。
文章・資料の本質である「見やすさ」を蔑ろにして電子化だけを追求する「電子ペーパー化」は日本の企業でかなり横行していると考えられます。電子化ならではの付加価値の創出を追求してこそ、業務効率化を目的としたペーパーレス化といえるでしょう。
メール文化
その昔、「電話してくる人とは仕事するな」という堀江貴文氏の持論が話題になりました。
その影響があってかどうか、昨今ではすぐに電話をしてくる人は少なくなりましたが、代わりに、すぐにメールを送ってくる人が増加していると感じます。
隣のデスクの人にも目の前のデスクの人にもメール。関連しない人までccに入れて大勢に「情報共有」したがる人もいます。また、ごく簡単な作業依頼や指示を長文メールで送る上司...あなたの周りにもいらっしゃいませんか?これらの方のメールはコピペでもなく、だいたい丁寧な文面で、「きれいなメール」であることが特徴です。
丁寧なメールを送る人は印象がよく、多くの仕事をこなしている“ように”見えてしまいます。しかし実際には、大したことをしていないのにメールを送っている、メールを送ることで仕事をした気になっている、またはそう見せかけているだけの「メール職人」かもしれません。堀江氏の持論が「(電話をしない人≒全部メールの人)=仕事ができる」のように世間での解釈が歪められる中で、「全部メールの人」になることは「仕事ができる人」の評価を得る近道であり抜け道になったと考えられます。人事評価の抜け穴ともいえるでしょう。業務の本質が、メールを書くことにすり替わってしまっているのです。
メールを受け取った側も、電話とは違い自分の都合に合わせられるとはいえ、適切なタイミングで返信をしなければなりません。時にはリアルタイムで「Re:」の応酬になることも珍しくありません。メール職人自身の生産性の問題だけではなく、周囲にも多くの無駄が生じます。堀江氏の言う「電話をしてくる人」の弊害と何ら変わりありません。
連絡手段や情報共有手段は情報の性質やスコープ、伝播の対象や規模に応じて、適切な伝達手段を選ぶことが必要です。連絡手段にはメール以外にもSlackやGoogle chatなどのコミュニケーションツール、口頭や電話、時には手紙なども視野に入れ、合理的な方法を選択しましょう。
その丁寧なメールを書く時間、無駄ではないですか?
手前Excel、手前Access、手前Python
ExcelやAccessは業務改善ツールとして大活躍します。最近では現場担当者自身がPythonでツールを自作するケースも増えています。こうした改善活動は周囲にも好影響を与え、業務改善を力強く推進する礎になります。
問題は、その製作者がいなくなった後に発生します。
現場では「前にいた○○さんが作ったExcel」が脈々と受け継がれています。しかしいざ業務の改変が発生したとき、誰もツールの改修ができず、試行錯誤の末に誕生したアクロバティックなオペレーションで回避を繰り返します。それがツールの業務改善効果を帳消しにしてしまうばかりか、むしろ工数の増加を招いてしまうことも少なくありません。現場としてみれば「○○さんいないし、どうする?どうする?」と慌てふためいていたものが、なんとか回避できて安堵に包まれているため、作業工数のことなど考える余地もありません。
保守不能状態で実稼働している手前ツールが現実的に多く存在していることを考えると、社内に情シス部門があれば大丈夫ということでもないようです。各現場で製造された手前ツールまでは情シス部門も管理しきれないのが実情でしょう。
今やネット検索や生成AIをうまく使えばおおよそのツールを作ることができます。しかし誰でもみんながそうできるかといえば、そうではありません。どうしても「詳しい人」の存在は必要なのです。これはローコード・ノーコードツールでも同じことが言えます。
現場発信の業務改善活動はたいへん貴重で、作られたツールは貴重な資産です。組織にはこうした活動を継続して支援するような仕組みや、生成されたツール資産を管理することが求められます。
業務改善のはずが、実は改善改「悪」...。この他にも、身の回りには意外とたくさんあるかもしれません。業務改善の目的は、「業務改善をやること」ではありません。その効果を、客観的に評価する必要があるでしょう。