自己紹介
はじめに
はじめまして、暁紅めいろ(P.N.)と申します。
これからnoteでは、主に、仏教に関する知識や学生時代に得た学びなどを、わかりやすく発信していく予定です。
特に原始仏教に興味があり、そうした魅力を伝えたいと思っています。
少しでも仏教に興味を持つ人が増えれば幸いです。
また、名作を生み出せるような同人マンガ家を目指しており、
仏教に関連したマンガなども発信していきたいです。
「わかりやすい」・「正しい」・「面白い」記事を
書けるように心がけていきます。
それでは、以下で自分が何者なのか、詳しく自己紹介をします。
以下、かなり長文になってしまいましたが、興味のある方は
ぜひ読んでみてください。
プロフィールの紹介
自分は長らく学生をしてきました。合計すると、もう10年以上も学生をしています。勉強や研究をしなかった時期は殆どないように思います。そのため、この学生期間のことを飛ばして、自己紹介はできないと思うため、まず紹介します。
学歴
元々、理系の大学で物理学を専攻し、理論物理学の研究者を目指していました。そして大学院修士(博士前期)を出て、博士課程(博士後期)まで進みました。
しかし、博士課程はすぐに中退しました。理由としては、実力不足が大きくあります。しかし、それ以上に物理学の研究は自分にとって人生をかけるほど本当にやりたいことではなかった、と気付いてしまったためです。
どんな分野でも博士課程は、研究する内容が人生をかけるほど本当にやりたいことでなければ、やり遂げることは難しいと思います。その研究が自分の適性にも合っていて、本当に好きでなければ、とても続けられないほど大変だからです。博士課程を中退することにはなってしまいましたが、自分の中でやれることはやりきったため、非常に良い経験を得たと思っています。そして、ここまで学んだことの多くは、今も自分の血肉となっています。
そして、昔から仏教にも興味があり、仏教を学ぶために文系の大学(東洋大学)に編入学しました。元々が理系なので、ほぼすべて一から勉強し直しでした。ですが、この経験のおかげで、何かを一から勉強し直す自信がついた気がします。わずか3年間でしたが、仏教の基礎はもちろん、とても多くのことを学べたと思います。
勉強遍歴
以上のような長い学歴の中で、様々な勉強をしてきました。noteに関連するであろう「何かを伝える」ということに絞って、自分の勉強経験を語ってみます。一見、何かを伝えてきた経験はなさそうに見えますが、例えば自主ゼミ・演習・論文などで自分が他人に向けて発表した経験は、伝える力に少なからず通じていると思います。なぜなら、それらは自分の学んだ内容の要約や研究したものなどを他人に発信することであって、そこにはわかりやすく伝えるといった技術も当然含まれるであろうからです。
たとえば理系大学学部生時に、「数物セミナー」という全国の物理・数学科の学生たちが数日間合宿で集まって自主ゼミをするイベントに参加しました。全国の学生の凄まじいレベルの高さを知ったことは、大きな衝撃でした。そしてその縁から、同大学の数学科の人々や近場の他大学物理学科の人たちとも自主ゼミを行いました。数学科と物理学科の違いなどを意識しつつ、自分が発表する際には相手の反応が悪かったりしたら、表現を変えて自分の言葉で咀嚼して内容を説明するような工夫もしていました。
理系大学院(修士)在籍時には、他にも同期の大学院生たちと一緒に受けた授業(自分の指導教官)の内容があまりにも難解だったため、自分が内容を噛み砕いて解説するという経験もしました。他にも、大学院生(修士・博士)が全国から集まって研究発表会をするという「夏の学校」にも参加し、その縁からまた他大学の院生の方々とSkypeで遠隔に自主ゼミもした経験があります。大学院では研究以外でゼミをすることはあまりできなかったので、自分一人でも勉強・研究する形が多くなりました。しかしその際には何も見ずに、何も知らなかった頃の自分に対して学んだ要点を伝えられるかを意識して勉強していました。そのため、その知識を知らない誰かに要点を伝えられるようになりつつ、自分一人でも勉強するという地力がある程度身についたと思います。
東洋大学においては、授業の単位のために勉強するというよりも、大学院時代と同様に学んだ知識の要点を他人に伝えられるようになることを意識して勉強することで、成績も結果的に良くなりました(オールS評価になったことも一度あります)。また、仏教の原語には、主にパーリ語・サンスクリット語・仏教漢語・チベット語の4つがあります。その中でも、教授主催のサンスクリット語勉強会(隔週)に参加したり、パーリ語勉強会を院生(博士)の方々と週一で行っていたりしました。大学院の授業(パーリ語の輪読)にも毎回参加しました。また仏教青年会という学術系サークルに入って、仏教の内容の解説を載せる会誌も執筆担当しました。伝える文章を書く能力も、レポートや論文制作などでかなり高まったように思います。また卒論に非常に力を入れたため、東洋大学におけるインド哲学分野の卒論の賞である田村芳朗賞も受賞できました。
個人的な実感としては、物理学よりも仏教学の方が自分の適性は合っていたと思っています。以上のような、何かを伝える経験をしてきました。このことから学部卒ですが、仏教の基礎知識を伝えられる最低限の実力はあると自負しています。
本当にやりたいこと(人生の目標・なぜ達成したいか)
プロフィールは単に経歴だけなので、表面的なものに過ぎず、本当の意味で自己紹介にはなっていないでしょう。たとえばマンガでいうなら、そのキャラクターがどんなキャラなのかを伝わるのは、そのキャラクターの行動指針(主義や信念など)となるようなキャラクターの核心部分が伝わるときです。単なる経歴だけでは、キャラクター性は伝わらないでしょう。このキャラクターがこういう状況なら、絶対にこのように行動するだろうと分かっている時、キャラが立っていると言えると思います。
これを個人に当てはめるなら、自分の核心部分となる自分の行動指針のようなものを書き出せばよいはずです。そのためには自分自身が、誰よりも自分自身を深く知らなければ書き出せないでしょう。つまり元来、自己紹介をするには、自己分析・自己理解を深くしていく必要があるものなのだと思います。自分は、分析などは得意な方で、自己分析も今まで色々しました。例えば、「自分が本当にやりたいことは何か?」・「自分が本当に大切な価値観は何か?」・「自分の性質・性格は何か?」などを、これまで自問自答してきました。そこで、ここではひとまず、自分の人生においてどうしても成し遂げたい目標、つまり「人生の目標」は何かを書いていきます。(ちなみに自分にとって「人生の目標」は、夢と同義です。)
「人生の目標」は、自分の核心となるものの一つと言えるでしょう。なぜなら、人生の目標を達成させることが、あらゆる選択における基準となるからです。つまり、その目標達成につながる行動をしていき、その達成につながらない行動はしていかないという行動指針になるものだからです。それは、自分の人生をかけて達成していきたい目標のことであり、本当に叶えたい夢でもあります。そのために人生を懸けても、全く後悔しないものです 。なぜなら、それを叶えることこそが、自分の本当にやりたいことなのであり、自分自身の大切な本心に他ならないからです。他人の介在する余地もありません。自らの心のコンパスが指し示し、導き出したものでなければ、人生の目標とは言えないでしょう。人生とは、自らの人生の目標を達成することが目的でもあると言えるでしょう 。
具体的な人生の目標が、自分の場合は4つあります。
ここではnoteに関連すると思われる、その中の2つの目標を説明します。
まず1つ目が上です。noteで何らかの情報を発信することはこの人生の目標の一環になります。これを何故達成したいのかと言われれば、自分を変え、成長していくことで、自ら幸せを掴み取っていきたいからです。
そして2つ目が上です。これが、同人マンガ(一次創作)活動をしていたい理由です。
自分自身が満足するマンガとは、「本当に伝えたかったテーマを物語の核としたログラインに従うコンセプトによってまとめ上げ、自問自答で深めたアイデアの世界観の中で、魅力的なキャラクターによって物語を読者と繋ぎ、先の読めないストーリー展開を感情によって彩り、推敲を重ねることで洗練された伏線回収をする完成度の高い感動の物語をつくり上げること」です。自分自身が「本当に面白い!」と強く思えるものであれば何でも良いです。しかし、これはハードルがかなり高いので、いずれできるようになりたいです。
なぜこの目標を達成したいかといえば、自分自身が何よりも「自由」でありたいからです。
話が少しずれますが、成長とは、縦軸を成長・横軸を時間(もっと詳しく言えば成功体験の数)にした成長の線を描いたとき、決して直線なのではなく曲線を描くものだと思います。
つまり、ある段階までは成長をなかなか実感できませんが、ある一点(閾値)を超えると一気に成長を感じるものです。これを、自分は成長曲線の閾値を超えるということで成閾超越(せいいきちょうえつ)と、何となく格好良いので勝手にそう呼んでいます。
自分にとって「自由」とは「“本当にやりたいこと”を、成閾超越し、束縛なく自己表現している状態 」のことです。なぜなら、自らの「本当のやりたいこと」を、どんなもの(例えば、他人/社会/無意識のパラダイム)だろうとも束縛されずに自己表現している状態こそが自由の本質であると思うからです。文章を書いたりすることでも、それはかなり満たされますが、自分にとって自己表現で一番満たされるのがマンガを描くことだと感じています。
そして持論ですが、人は誰しも情熱が溢れてくるようなその人自身だけが持つ、磨けば光り輝ける“可能性の原石” を内に秘めていると考えています。個人的には、これは大乗仏教でいうところの仏性思想(如来蔵思想とも言います)に類似した概念だと勝手に思っています。仏性思想とは、仏になれる可能性が、全ての生きとし生けるものにあるという思想のことです。『大乗涅槃経』における「一切衆生悉有仏性」という言葉が非常に有名で、意味はまんま上のことです。大乗仏教において「仏になること(成仏)」は目指すべき最も大きな価値があることなので、それがすべての人にあり得るという大いなる可能性を皆が秘めているということです。言い換えれば、これはすべての人が仏として光輝ける可能性を秘めているということになるでしょう。
自分の持論においては、「仏になること」ではなく、少なくともその”可能性の原石”を磨きあげれば、ある領域・分野において情熱が自然に溢れて他を圧倒する実力を持てるようになれる可能性があるというものです。その”可能性の原石”を磨き、光り輝くほどのものにできたら、誰にも負けることがない自分だけの唯一無二の武器となります。そしてそれは、成閾超越したものに違いないでしょう。今までの経験上でも、情熱を持ち、心から楽しむ人には誰にも敵いません。たとえば、将棋の藤井聡太さんや野球の大谷翔平選手のような人は、他の誰よりも将棋・野球に、情熱を持って心から楽しんでいると思います。そういう人は、ほとんどが誰にも負けない自分だけの武器を磨き上げています。そうなると周りの人が放っておかず、多くの人に求められるような存在となり、生活・仕事にも困らなくなるでしょう。自分の中の自由とは、このように”可能性の原石”を磨き上げて、情熱に満ち溢れ、実力によって自ら光り輝いているような状態のことです。
もちろん、それはどんな領域・分野に対してもできるわけではありません。基本的に自分にとって、好きかつ得意なある特定の分野の狭く深い領域についてのみ、言えるものでしょう。第一人者はその狭く深い領域において誰にも負けない唯一無二の武器を持っていて、だからこそ、その実力によって引く手あまたな存在となり、自由な立場になれるのだと思います。そして誰しもが、ある特定分野の実力が他の誰にも負けない深さになった時に、それが自分だけの磨き抜かれた武器になるでしょう。学問の研究で言うならば、その最低限の深さが博士号を取得するということだと思います。なぜなら、それよりも広く浅いような力ならば、他の誰かにも真似できてしまうため誰にも負けない武器には決してなりえないからです。博士号が狭い一分野でしかとれないのはこのように至極当然のことで、専門家はその専門分野でのみ、誰にも負けない専門家なのです。いわゆるスペシャリストです。ただし、ある程度広くても、浅すぎない深さの領域の横断的組み合わせで誰にも真似できないような唯一無二の武器を作り上げるという、いわゆるジェネラリストと呼ばれる人たちもいるでしょう。さらに極稀に、スペシャリストでありジェネラリスト(広く深く)のような超人もいると思います。
こうした光り輝く”可能性の原石”は、人によって千差万別かつ、基本的に狭く深い領域にあるものなので、それは実践を含めた徹底的な自己分析によって自ら見い出すものだと思います。そして自分の場合は、それが特にマンガを描くことなのではないかと見ています。そしてマンガに関して未だに成閾超越はしていませんが、それが果たされれば、自らの可能性の原石を磨かれ、それが誰にも負けない唯一無二の武器となるでしょう。そうなれば、情熱に満ち溢れ、自ら光り輝いているような状態になり、自由になれるだろうと思います。毎日情熱が自分の中から溢れて、楽しい人生を送ることができるだろうと思います。おそらくこれは、自分らしく生きるということにも繋がるでしょう。
つまり自分は、本当にやりたいことを思う存分堪能し、自由で自分自身が光り輝き、情熱に満ち溢れるような楽しい生活を送りたいのです。そのために、自分はこの目標を達成することを目指したいです。人生の目標の中でもこれが最も成し遂げたい目標であると、自分の中の心のコンパスはそう強く訴えています。
偉大なマンガ家・ちばてつや先生は、同人誌即売会の一つであるCOMITIA(コミティア)で「マンガは世界中の人々に元気と勇気と生きがいを与えることができる。こんなにやりがいのある仕事はないですよ!」ということを仰っていました。ゆくゆくは自分も、そのような境地に至りたいです。
どうやって目指すのか(脱完璧主義・紫宝燦歩)
上のように、自分は人生の目標を見出すことはできました。しかし、たとえ人生の目標が分かっていても、それをどうやって達成していけばよいかは今も苦心しています。なぜなら自分は完璧主義の性質があるからです。完璧主義とは、自分にとって、無意識のうちにしてしまう思考の悪癖です。
たとえば、よく自分は自己嫌悪に陥ります。自己嫌悪して心が気落ちしてしまう理由は、自分ができていないことや欠点に無意識に目を向けて、未熟さ・不甲斐なさを感じてしまうからです。「何故あそこであのようにできなかったのか」・「本来だったら、〇〇だったのに」といった理想的な完璧状態の妄執に囚われて、その自己嫌悪を引きずってしまうのです。これが自分の中の完璧主義の悪癖です。
もともと理想が高く、だからこそ悪いところが目につきやすく、悪いところが少しでもあると失敗とみなしがちです。そして失敗だと思うことで陰鬱な気持ちになり、現実逃避してしまいます。さらに現実逃避すれば、それも失敗とみなすため、どんどん自己嫌悪を深めていきます。このようにして、完璧主義の自己嫌悪の作用が働いてしまうのです。こうした失敗経験が強固になり、どんどん失敗してしまうという負のスパイラルを生み出してしまいます。
こうした完璧主義の自己嫌悪作用が強くなると、成功体験を成功体験と思えなくもなってしまいます。上に述べたような成長曲線における成閾超越は、小さな成功体験の積み重ねの先にあるものであると自分は考えているので、これは由々しき問題です。
また完璧主義は「もう少し頑張れば、もっと良いものができるのではないか」という幻想を抱いたり、「未熟な自分が何かを発信するのは恥ずかしい」といった理由から、何かを公に発信することも延々と先延ばしにしてしまいがちです。特にマンガに関して言えば、「駄作を世に残すのは嫌」といったムダに強い拘りもあり、これが致命的です。
こうした思考の悪癖をなくすために、脱・完璧主義を目指していきます。 マンガに関して言うならば、妥協案として最低限のことを学んだら、未熟でもどんどん発信していき、むしろそこからどんどん成長していくことに目を向けていきたいです。
完璧主義の根底にある問題は、無意識に悪い・嫌なところに目を向けてしまうことにあると見ています。これは向上心が強いが故に、それを阻害する悪い嫌な部分に目が行きがちであり、それができるようになる理想・完璧状態に執着してしまうということだと思います。だからこそ、それをなくすには、無意識的に良いところに目を向けるようにすることが根本的に必要となるでしょう。
仮説ですが、「嫌な気持ちをずっと引きずりたくない」と考えるようなパラダイムこそが解決策になると考えています 。嫌なところばかり目を向けてしまえば、自然に嫌な気持ちになりますが、良いところに目を向ければ、自然と良い気持ちになるでしょう。だから嫌な気分になったら、その元凶における自分の成長につながるような良い部分を何とか見つけ出し、嫌な気分を良い気分へと変えていくのが大切でしょう(いわゆるネガポジ変換)。嫌な気分をそのまましておくことは、そもそも損失です。人生は楽しまなければもったいないからです。いつも楽しく、いつでも心が充実した状態を目指したいです。そのためにも、そもそも自己嫌悪するような行動をせず、毎日毎日振り返り反省して、次に活かしていきたいです。
また、実践的には、夢を叶えるための小さな一歩から歩み始めていきたいです。この小さな一歩は、誰でもできるような本当に小さなことです(例えば「PCの電源をつける」など)。ですが、どんなに小さな一歩でも、夢に近づくための一歩です。その小さな達成期限を設け、今できる夢への小さな一歩に集中していきます。その小さな一歩の積み重ねこそが、運命を変え、夢を叶えるのだと思っています。小さな一歩で、できなかった嫌なところに目を向けるのではなく、その一つ一つをこなせたという良い事実に目を向け、着実に夢へと近づいていることを誇りにしていきたいです。可能性の原石を磨き上げて、光り輝けるようになる小さな一歩を踏み出し、それを積み重ねていくのです。これを紫宝燦歩とまた自分で勝手に呼んでいます。(紫色が個人的に好きかつ、紫が「理想」といったイメージを持つ色と、至宝にかけて「紫宝」としています)
言うならば、成長曲線でいうところの成閾超越をするまで、小さな一歩を続けるゲームのようなもの(成閾超越ゲーム)です。こう考えれば、一歩一歩を楽しめるでしょう。このようにして、“今ここ”にある、小さな一歩に集中していきたいです。これが習慣化できれば、小さな成長実感を積み重ね続けていけるでしょう。要点を抑えて徐々に負荷を上げていけば、成長も自ずと実感するでしょう。たとえそこで成長の壁にぶつかっても、創意工夫の試行錯誤によってそれを乗り越えて、成長曲線でいうところの成閾超越ができるはずです。そうすれば、人生の目標・夢を叶えることに繋がると信じています。成閾超越するまでの過程は、まるで長い夜が明けて、きれいな朝焼けの光(暁紅)を見つめるようなものです。これを目指していきたいです。(ペンネームの「暁紅」の部分はここからとっています。)
こうしてnoteなど、何かを人に発信すること全般においても、完璧主義が顔を覗かせます。ですが、決して完璧状態に執着しすぎず、最低限のクオリティーにできたら発信していきたいです。未熟な自分がこれから成長していけば良いのだという点に目を向けていきます。このように、noteの文章を発信していくことも脱・完璧主義の一環です。マンガも同様にしていきたいです。マンガは、自分の萌えだったり、自分なりの面白さを、何も縛られずに自由に追求していきたいです。
これからどんなnoteを書いていくか
せっかく今まで学生で学んだことが多くあるので、学んだ内容の要点を捉えて分かりやすくまとめ、そうしたことをnoteでは主に発信したいです。
なぜなら、アウトプットしていかないと、今まで学んだことがだんだんと自分の中から抜け落ちそうだという危機感があること。そしてアウトプットすれば、自分の知識をさらに深めることができるという理由からです。
マンガも、できたらnoteに投稿していきたいです。知識などを主に発信するのは、マンガよりも、今まで学んだ内容を発信していくことの方が、自分にとってハードルが低いからです。完璧主義に陥らずに、できることから気楽にやっていこうと思います。
特に、東洋大学で学んだ仏教の内容について発信していきたいです。
東洋大学ではコロナ禍などの影響で、わずか1年になってしまいましたが、仏教青年会(略称”仏青会”)というサークルでも活動しました。東洋大学仏教青年会と、これを支援して共に活動していく教職員や卒業生からなる東洋大学仏教会は、「設立趣旨」において
を目指して設立されています。
こうしたことを目指すのは、実際に仏教を学び親しむような機会が少ないという厳しい現状があるからでしょう。たとえば、大学における仏教の分野は、理系などと比べるとやはり不人気で、仏教を学べる大学自体が数少ないです。さらに仏教を学べる大学においても、仏教分野の先生が減り続け、仏教に対する学習環境自体も悪化してきていると、個人的には感じています。例えば東洋大学では、一部(昼間)と二部(夜間)の教員が分かれていないため、専任教員の授業の負担が大きく、個人的には専任教員の労働環境もあまり良いとは言えないと思います。当然、授業の質は、どうしてもその忙しさの分だけ下がりがちになってしまいます。そしてそんな労働環境が待っていると分かったら、将来、研究者になりたい人も減ってしまうでしょう。さらに東洋大学では2024年現在において、原始仏教の分野における専任教授の枠が補充されないままの状態になっていて、大学の教員の定数も減ってきています。すべての大学でそうだとは言えないでしょうが、このように仏教に関する分野においては実質、斜陽産業のような状態だと思います。
仏教推しの一人としては、こうした現状はやはり悲しいものであり、仏教の分野自体にもっと多くの関心が集めることで、こうした現状を打破してほしいです。そのため、もう自分は仏青会を卒業しましたが、これからも少しでも仏教に興味を持つ人が増える一助となるようなことを、自分のできる範囲でしていきたいです。noteのこうした発信は、その一環になるはずです。仏教を知らない人にも分かりやすく伝えることで、仏教の面白さなども伝えられたら良いなと思います。そして自分は、原始仏教に特に興味・関心がありますので、その魅力についても伝えていけたら幸いです。
そして最終的には自分の書いた卒論の内容を、わかりやすく発信できることを目指したいです。具体的には、以下の「原始仏教における悟りのメカニズム」の図が、卒論の成果です。これが読者に理解できるようになるように発信していきたいです。そのための仏教の基礎知識や、それ以外でも大学で学んだ内容の解説などをしていきたいです。
しかし、もしかしたら何らかの宗教を発信すること自体が、嫌悪感を覚えるかもしれません。一応、仏教を主に学問的な観点から発信するつもりですが、それでも疑問視されるかもしれません。やはり世間一般では宗教というと、近年の新興宗教団体のオウム真理教や旧統一教会などの事件や問題などがあったため、宗教全般に忌避感があるという人がほとんどでしょう。
とりあえず自分の立場としては、「仏教推し」として発信していきたいです。ですが、そもそも「推し」とは何でしょうか。
「推し」とは、上の定義で、主にマンガ・アニメなどのキャラクターやものに対する深い愛着を持って他の方にもおすすめしたいと思う人物や物を指す表現のことのようです。狂信者のような立場ではなく、押し付けがましく強要するような立場ではなく、宗教というラベルで考えず、上のように「仏教というものは純粋に素晴らしいと思うのでオススメしたい」というような感じで推していきたいです。そんな立場でありたいです。そのため、忌避感を持たずに、どうか記事でも読んでみてほしいです。そして仏教に関連するマンガも、COMITIAなどの同人即売会等に出していきたいです。
知識も、マンガも、良い内容を目指していきます。
これからよろしくお願いいたします。