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お寺DIY

皆さまいかがお過ごしですか?
今週は岩田担当です。

寒波襲来の予報が出ていますね。
どうぞお身体にお気をつけてお過ごしください。

さて、今回はやや旬を外した感がありますが、年末年始の出来事からのお味わいです。

手先が不器用な私ですがDIY熱が高まることがあります。特に年末年始に。
  ※DIY = Do It Yourself の略。
  (真宗寺院でDIYというのも趣深いものです)

昨年は本堂のパイプ椅子の座面を張り替え、今年は手作り二重窓に挑戦。
きっかけは、現在父が寝ている部屋の凍えるような寒さでした。

その部屋は個人の寝室ではなく、「本堂の阿弥陀様からは一番近い、戸で仕切ることの出来る六畳」でして。
昔お寺でお葬儀があった頃は、寝ずの番のご親族の控室として。またあるときはご門徒様方がお食事を取る部屋として。
祖父母の寝室であった時期も、遠方の従姉妹達が泊まりに来たときの滞在部屋になったこともありました。
和室というのは便利なもので、時に応じて様々な用途で活躍してきた部屋です。

その部屋に、建物の老朽化による歪みで壁面からは隙間風、床下からは湿気を含んだ冷気が入り込みます。北東の角部屋で二面に大きな窓が設けられているので熱量の損失が大きく、暖房と冷気のせめぎ合いは冷気優勢。
後期高齢者には過酷な寝室です。

私から父に
「暖かい部屋で寝て」と言っても「用心が悪くなる」
「じゃあ交代するわ」と言っても「オマエじゃ頼りにならん」そうで…
絶対に譲りません。

それではと、その二面の窓の二重窓化に乗り出したのでした。

準備を進めている時点でも頑固者は
「便利にし過ぎて身体がひ弱になるんだ」「俺はここで75年生きてきたんだ」「じいさん、ばあさんもそうやってきた」とかなんとかブツブツ…。
若い頃なら「ではご勝手に」となるところですが、私も大人になりました。聞こえていないふりをして黙々と準備を進めます。

なにせもう資材は買い揃えてしまいましたから。笑

作業は好きなものですから楽しく進めていましたが、フッと先程の父の言葉が頭をよぎり(←やっぱり根に持ってる)、そこから祖母のことが思い出されました。

おばあちゃん、ストーブをガンガン焚いて、電気毛布使ってこの寒い部屋で寝ていたなぁ。(あの頃に寒さ対策出来ていたら良かった…)
今みたいに軽くて暖かい布団なんてなかったから、重い寝具を重ねていたな。
重いといえば、冬になると着ていた丹前(厚い綿の入った足首まである防寒上着)は重たいだけで、今思えばあんまり暖かくなかったよな。

長年、思い出しもしなかったシーンが次々と、細部まで浮かび上がってきます。

私が高校生の頃には、寒さが堪えるだろうと祖母の寝場所を父が移動させました。
(なんと、親子で同じ事を繰り返していたのです。祖母は素直に移動しましたけどね 笑)
祖母の自室は本堂から少し遠のくことになりましたが、毎日毎日阿弥陀様の前に出て手を合わせていました。
晩年、大腸癌が大腿骨に転移し、ちょっと脚を動かすだけでも激痛に襲われるようになっていましたが、脚を引きずりながら阿弥陀様への日参は続きました。
「そこまでして阿弥陀様のところまで行かなくても…」内心そう思っても口に出来ない気迫が祖母にはありました。

ある日、祖母がいつものように阿弥陀様に御礼を済ませて自室に戻る途中で転倒・大腿骨骨折。癌の病巣であったため通常の大腿骨骨折の手術は出来ず、もう自力歩行は叶いません。ベッドを起こす角度も30度が限界、という状況に一変しました。
それからは介護用ベッドの上からお念仏申す日々です。

祖母は転倒してしまったことを「失敗した、失敗した…」と歎き、
阿弥陀様の前に身を置けないことに「こんなことでは…」と独り言を漏らしていました。
本堂まで行けないなら、せめて身体を起こして欲しいとせがまれたことも一度や二度ではありません。

「『こんなことでは…?』何なんだろう?」
祖母の言葉に私は引っかかっていました。
でも、宗教も、浄土真宗の教えも、実感として持つことが出来なかった私。
祖母の思いに立ち入っても、私では手に負えない大きな問題が広がっている気がして、続く言葉を聞くことはとうとう出来ませんでした。

それで、勝手に想像していたんですよね。

「『こんなことでは…申し訳ない?』え?阿弥陀様に?阿弥陀様、そんな意地悪じゃないでしょ」
「まさか『こんなことでは…往生できない』とか?イヤイヤそれは違うだろう。アレ?でも違うってなんで言い切れるの?そもそも往生ってどういうこと?」

見えない祖母の心中を想像してはつっこみ、ぐるぐるグルグル。
祖母の思いと阿弥陀様の関係性をどんな方向性で考えればいいのか、見当もつきません。
なにも知らず、なにを拠り所としてどんな道筋で考えればよいのか、全く分からない状況でした。
それなのに自分の感覚で考えてしまうものですから、話は余計に核心から逸れていってしまうのです。

でも、そうやって素朴な疑問を持たせて、教えを知りたいと心の底から感じるように育てて貰っていたんだなぁ、と振り返ります。
祖母だけでなく多くの方々のいのちをかけた宗教的な構え、阿弥陀様に向かう姿を通して、私は阿弥陀様のお心を聞かせていただける場所へ、少しずつ少しずつ引き寄せられていったのでした。

今、どこを向いて生きていけばいいのか方向性を教えていただきました。
あの時のことを思い出しながら、心を一カ所に落ち着けてこう思います。

阿弥陀様は一度捕まえたら放してはくれない仏様。
どんな場所から、どんな姿勢で、どんな心でお念仏をしているのかは問題としない仏様。
だから私が称えている状態や心持ちが、救いの条件とはならないお念仏を与えてくださった。
あの時のおばあちゃんであれば、こちらから出向いていかなくても、身体を起こせなくても、寝たきりになったのならばそのままに、精一杯お念仏称えて浄土に生まれてきてくれよ。そう願いをこめて阿弥陀様はお念仏を与えてくださった。それが届けられて、おばあちゃんはお念仏申していたんだな。

だから、昔はよく分からなかったけど、おばあちゃんが阿弥陀様の前に行きたかったのは強迫観念とか、引き換えとは違うよね。阿弥陀様に対する感謝の思いを胸に抱き、できる限りのことをさせていただきたかったのよね。

祖母の胸の内の確認は取れないので、今は私が聞かせていただいたことを拠り所としてこう思っておきます。
執念深い私ですから、真相はまたお浄土で聞いてみます。

さてさて、祖母を思って鼻水垂らし、阿弥陀様のお心を聞かせてくださった先生方のお話を思い出して目頭を熱くしながら、二重窓は完成しました。

父のぼやきも水に流しましょう。
あの寒い部屋に留まり続ける理由を防犯目的のように言っていましたが、もしかしたら言葉には出さない思いがあるのかもしれません。
誰もが量り知ることの出来ない深い思いを抱えて生きているんだ、と感慨を深めながらDIYの後片付けまで終了しました。


そして、翌朝。


「びっくりした、部屋が暖かかった。スッゲ~な二重窓。もう寒すぎて心臓止まりそうだから寝るところ引っ越そうかと思ってたけど、これでしばらくは大丈夫そうだな」


って…。引っ越すつもりだったんかい!!

まぁ、色々味あわせて貰ったから、ヨシとしましょうか…笑
身も心も温まるDIYでありました。

ちなみに、画像は余った材料で作った小窓の二重窓です。
(父の寝床にウサギはいません 笑)

では、今回はこれにて。


称名

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