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願い

10月になりやっと過ごしやすくなってきました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今週は愛知から岩田が呟きます。

先日、母方の親戚の納骨のため、岐阜の高台にある古刹に親戚が集まりました。
ひっそりとあり続けているとしか思えなかったそのお寺は、境内に一歩足を踏み入れると圧倒的な存在感で出迎えてくださいました。
何かしら私の中で意味づけがされたのでしょう、ご縁ができてからでないとそう思えない私です。

母を親戚に預けて「境内をぐるっと一周してくるねー」と独り散策開始。
後期高齢者達から「若い!」と声援?を受け出てきましたが…開始直後から膝に違和感 笑 

古い石の階段には長年人々に踏みしめられてできたのであろうくぼみが、規則的に並んでいました。
麓の楼門から、両側に木々が生い茂る急階段を上ってご本堂、また梯子のような階段があって開かれた場所に出ると客殿と駐車場、さらに仰ぎ見れば緑の合間から納骨堂や奥之院が見え隠れする山中の境内です。
先人達の建築の技術と名もなき多くの方々のお仕事、人々の想いをちょっと想像するだけでも言葉を失います。
寺族としては「掃除大変だろなぁ~」と現実的な苦労に思いを馳せます。

息を整えてひとけのない本堂に参拝。柵の外からの拝観でしたが、それぞれの宗派の教えに基づいたご本尊がおいでです。こちらではどんな願いを持たれた仏様なのかと柵から身を乗り出します。
暗いお堂の中に目を凝らすと壁面には曼荼羅が掲げられ、仏具、本堂の様式、お供え、授与品、お寺の歴史…地味にワクワクしていました。
境内に植わっている木々や草花にも、お寺に寄せられる人々の想いにも、あっちこっちに関心が向きます。

シブいお堂の前に絵馬掛けがありました。

「戦争のない世の中になりますように」
「(ご家族の)手術がうまくいきますように」
「学校のテスト、資格試験、スポーツの大会、会社のプロジェクトetcが合格、勝利、成功しますように」
「○○さんとの縁が切れますように」「○○さんと離れて暮らせますように」

絵馬に書かれている一つ一つの願いを読んでは、常々抱える世界の為政者への腹立たしさがぶり返したり、家族を思う心に共感したり、私も受験の時にうちの阿弥陀さんにお願いしたなぁと苦笑したり…苛酷な人間関係の中で過ごしている知人達の顔を思い浮かべたのでした。

自分の力ではどうしようもない現実に直面したとき、自然と願いが湧き起こるのが人間です。幼い頃に誰かに教えられたわけではありません。

仏教を学び始めて、これらを自己中心的な願いと言われて納得いかなかった私でした。
「いやいや、私の事だけじゃなくて他者のことも願ってるじゃないか」と。

でも、よくよく教えを聞いてわが身を振り返ってみると、私の都合に基づいた願い事なんですよね。

勝負事で私が勝ったら敗者が生まれます。

“ 私の大切な人だから ” 元気でいて欲しいし、病気で苦しんでいたらいてもたってもいられずすぐに行動に移してしまうし、居なくなって貰っては困るんです。
対して、戦争のない世の中は願うけれど、遠い空の下で毎日多くの方がいのちを奪われているのに、私は胸が張り裂けるほどの思いを…時々は持ててもずっと持ち続けていけるわけではありません。

私の “好きか、嫌いか、無関心か” の目で世の中を見て、願いを起こしている。
その指摘に反論することは出来ませんでした。

人間を超えた大きな存在の力を信じ私の願いをきいて貰う。それは自然な宗教観で古今東西共通しているようです。
一方的に願い事を叶えていただくのではなく、功績を認めて貰ったり、何かと交換したり、仲介者が儀式を執り行ったり、後から御礼をしたり。願いをきいて貰うには多少なりとも引き換えが必要と考えるのも、共通するようです。

ただ、一生のお願いは1回きりでは終わらず、一つ解決してもまた苦難がやってきて、新たな願いが生まれます。
次から次へとやってくる都合の悪い現実を受入れたくない、変えたい。
その思いこそが自らを苦しめているんじゃないのか?と教えてくださったのがお釈迦様でした。

ここまで、頭では分かります。分かりますが、刻々と湧いて出てくる自分都合をまれには飲み込めても、止めることはできない私です。
地面を這いつくばって生き、目先のことに悩み苦しむ。そんな存在がお釈迦様のような悟った方の道を辿る事はできません。
できないどころか、歩もうとも思わないのが私です。


それでも歩んでいける仏道がある。全ての者の幸せを心から願っていける仏と成らせていただく仏道がどこかにあるはず、と道を切り開いてくださったのが法然聖人であり、親鸞聖人でした。

そして、願いをきいて貰うのが宗教であるとなんとなく思っていた私に、願いをかけているのはこっちの方だと名告り(なのり)出てくださったのが阿弥陀様という仏様でした。

阿弥陀様の願いは、切ない親心から出ているんだと、これまた切ない表情で語ってくださる先生がいます。
これまでの仏道では落ちこぼれていくしかなかった私を見過ごすわけにはいかず、お前こそ仏と成らねばならぬ、どうしたら仏とすることが出来るかと悩み抜いて、救いを完成された仏様です。

「本当に私の国に生まれると思って、私の名を称えて生きておくれ」
それが阿弥陀様が私にかけられた願いです。それだけなんです。
他の方法では救うことができない私に拵えられた救いが、お念仏を称えながら生きる仏道でした。

この願いを知らされた時、私の中で一大転換が起きるのですね。
いや、知る前からもう願いは届けられていて、お念仏するはずのない者がワケも分からずお念仏を口にしていました。
そして、腹が立って泣ける時、悲しくてやりきれない時、その最中にお念仏を意識するでもなく口からこぼれることがあります。

その時、目先の都合のいいこと悪いことに振り回されていた私に、状況は変わらずとも、少しだけ逞しくしなやかに乗り越えていける心が授けられるようです。
一瞬だけでも捕らわれから離れ、阿弥陀様が指し示す方向に目が向けられます。
相変わらずジタバタはしますけれど、これまではなかった力強い光が射し込む瞬間です。

「如来様がご一緒です」
「私のいのちは阿弥陀様に願われているいのちであった」

度々仲間達が聞かせてくれる言葉です。

色々あって、色んな思いを抱えて生きていかねばならない人生ですが、それだけではない。
阿弥陀様の願いをくり返し聞かせていただき、お念仏に支えられている人生でもあります。


南無阿弥陀仏

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