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善と善と争いと
全国のご門徒の皆さま、冷たいお茶と涼しいお部屋、何よりお念仏ありがとうございます。
僧侶の皆さま、お盆参りお疲れさまです。
多くの皆さま、ようこそです。
さて、真宗教団連合の法語カレンダーですが、
次のブログではそれについて書こう、と思っておりましたら、先週佐々木さんに先越されました笑
そんなことで、別に打ち合わせした訳ではないのですが、リレーのようなブログになります。
「私たちの人生の争いは、いつも善と善との争いだ」 宮城顗
宮城顗(しずか)師は、1931年のお生まれ2008年ご往生の、真宗大谷派の方だそうです。
少し前に、15歳になる我が家の長男が聞いてきました、
「母ちゃん、正義ってなんやと思う?」
中々難しい質問です。
どうやら学校で正義について論じる授業があったようです。
悩んだ私の返事は、
「正義は、揺れるものやな。時代によって変わる危ういもの」
というものでした。
だいぶん言葉足らずですが。。
皆さんはどう思われますか?
今回の言葉も同じ味わいがあるように思います。
善と言うのですから、本人は良いことをしているつもりです、しかしその「良いことをしてる」という意識が、傲りという煩悩に振り回されている姿そのものなんですね。
皆さん、米米クラブというグループの歌手をご存知ですか?
今もご活躍されていますが、私が幼い頃に流行って、テレビなんかにも出演されてました。
ある日、二階の子供部屋にいると、下から両親が言い争う声が聞こえてきました。
「また夫婦喧嘩か、嫌じゃなあ」そう思ったことを憶えています。
しばらくして、姉が来て言いました。
「なあ、お母さんら、なんで喧嘩しよると思う?米米クラブのこと、“ヨネヨネクラブ“か“ベイベイクラブ“か、どっちかで喧嘩しよるんぜ」
我々姉妹は絶句の後、大笑いしたことです。
“コメコメクラブ“ですからね、二人とも間違っています。
間違っていますが、自分の間違いには気づかず、両者「自分が正しい」と思い込んでるんですね。
その間違った正しさで、相手の間違いをどうにか「教えてあげているつもり」なんですね。
笑い話ではありますが、笑えない話があります、戦争です。
今月15日は、79回目の終戦の日です。
祖父は亡くなるまでアメリカが嫌いでした。
アメリカ人を恨んで亡くなりました。
戦争がそうさせたのです。
よく話をしてくれました。
昭和3年生まれの祖父は、15歳で予科練生となり、その後海軍に入隊、南大東島で終戦を迎えました。
「朝一緒に食事をした仲間が、夕飯の時には居らんのぞな、それが当たり前じゃった、戦争はいけん、人殺しじゃけんの」
今でもその声が、顔が思い浮かびます。
たった15歳の少年を、正義の名の元に軍国少年にさせ、多くの命が奪われました。
そして最期までアメリカは敵国、という思いのまま今生のいのちを終えました。
もう一人の祖父は、特攻隊員でした。
結論を申しますと、終戦を迎えて飛ぶことはありませんでした。
その祖父曰く、
「自分は8人兄弟で、後には女も男もおるけん、自分一人おらんなってもかまんと思って志願した」
一人っ子だろうが、8人兄弟だろうが、一人一人の大切ないのちであるはずなのに、15歳の少年にそんなことを思わせてしまう恐ろしさです。
(祖父二人は同級の幼馴染でした)
祖父が予定通り飛んでいたら、母も私も、息子たちも、当然生まれていません。
同時に、多くの少年の可能性を奪ってしまったとも言えましょう。
冒頭にお盆参りの挨拶を述べました。
私が法務するお寺では、お盆参り中には、墓地参りがあります。
早朝から墓地に立って、お参りする皆さんをお迎えします。
まだ人がまばらな時間に、墓石を見て歩いておりました。
当然ですが、どの家の誰それ、などを探す訳ではなく、戦没者の墓石を拝見しておりました。
「昭和十九年十月十五日ビルマ方面にて戦死」(23歳)
「故陸軍兵長〇〇之墓」
「故陸軍歩兵上等兵〇〇之墓」(昭和十四年十月三十一日戦死)
「昭和十三年六月二日於朧海線杞縣縣城孟楼之戦闘為戦死行年二十六歳」
お顔も知りませんが、この土地で健やかに生きた多くの若者の、そのことを想像すると、居た堪れないのであります。
詳しい状況が分かる方も居れば、そうではない方もおいでです。
盆参り中も、可能であれば当時の話を聞いて、耳に残しているこの頃です。
日本もアメリカも、参加したすべての国の多くの人が、互いに正義を貫いた結果の出来事です。
日本では戦後80年近くが経っても、世界中で同じことが繰り返し行われています。
時代が変わり、人が変わり、社会が変わると、正義や善の内容は簡単に変わるのです。
当時の祖父たちと同じ15歳の息子と、正義について話すことが、どれだけの縁の上に成り立っているのか。
まさに有り難きことであり、尊いことでありました。
墓石には、「南無阿弥陀仏」「倶会一処」とある中に、「光明遍照」の言葉がありました。
「一一光明徧照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」
阿弥陀さまの光明は、私の、息子の、あの人の、お念仏となって、一人も漏らさないはたらきをなさっています。
十方の、というのがありがたいですね、私の、息子の、あの人のところに阿弥陀さまの願いが届いている、と味合わせていただきます。
今生で、互いの正義を振りかざしながら我欲に走る私たちでありますが、どのいのちも阿弥陀さまの願いがかかっているのでおりましょう。
阿弥陀さまの願われた、私のいのち、息子のいのち、祖父のいのち、アメリカさんのいのち、あの人のいのち、どのいのちも尊いのだ、ということをよくよく考えたいことであります。
お盆の真ん中、8月15の終戦の日を前に。
終戦は一度で結構です。
称名