物語を覗く
こんにちは。
今週は那須野が担当です。
私たちがお世話になっている行信教校では、専精舎という夏安居(せんしょうしゃ、げあんご、と読みます。夏期集中講義のようなものです。現役生は泊まり込みの5日間です)が終わり、ボケっとしがちな私です。
さて、数日前に実家の母から古い写真が送られてきました。
写っているのは幼い母と叔父、叔母、うら若き祖父母、出会ったことのない曽祖母です。
幼い母は私の子供の頃にそっくりで、目に見えない遺伝子の相を見たような気さえします。
驚くのは曽祖母です。
彼女がまた似ているのです、母に、私に。
40歳を過ぎた頃、8人の子を残し、若くして亡くなったと聞きました。
他人を大切にする女性だったそうで、
「すごく貧乏やったのに葬儀の時には大勢の人に見送ってもらったんやと」
とは母から聞いた言葉です。
出会ったこともない、70年も前に亡くなったその女性と、
直接ではないですが、母や祖母を通して出会わせてもらったような気がします。
当たり前ですが、子や親や祖父母だけではなく、私のいのちの過去には、多くの方のいのちがあり、それぞれに物語があるんですよね。
綺麗な物語だけではないでしょう。
どれだけ多くのいのちを犠牲にしてきたことでしょう。
言わば、私のいのちというのは、そういう細かくも大きないのちと物語の上で成り立っているわけです。
小さな貪欲に振り回されて、一喜一憂している自分のなんと小さいことでしょう。
昨夜、聖覚法印という方が書かれた『唯信鈔』という書物を読んでいたら、最後はこんな言葉で締められていました。
「今生夢のうちのちぎりをしるべとして、来世さとりのまえの縁を結ばんとなり。
われおくれば人にみちびかれ、われさきだたば人をみちびかん。
生生に善友となりてたがひに仏道を修せしめ、世世に知識としてともに迷執をたたん。」
この言葉の前には道綽禅師の。。というのは今はやめておきましょう。
いのちそのものがそうであるように、仏法もまた、今日の私のところまで届いています。
きっと多くの先人たちの苦労の中で、伝わってきたのだと思います。
実際に宗祖親鸞聖人は流罪の身になり、4名の僧侶が死罪になっていますし、中国での仏教の歴史など見ていましても、相当な過酷な状況を乗り越えて今日のご法義があることは間違いないでしょう。
しかしそうまでしても伝えなければなならない、伝わらなければならないものがあったのでしょう。
いのちをかけてでも伝わって来なければならないもの。
それはやはり、この私に届かないと意味がないから、という一点に尽きるように思います。
今、この私のところに届かないと、意味がないのです。
阿弥陀様の願いは、この私に向かっているということです。
2500年、いえ、もっともっと長い兆載永劫という時をかけて、やっと私のところへ届いているのです。
私の今生での時間だけではありません。
その間阿弥陀様は常に願い続けてきてくださいました。
やっとやっと私のところに届いたのです。
それだけご心配をかけ続けてきたのがこの私であったというのです。
ご心配おかけしました。
そしてもうしばらくお願いします。
今この私のところへ届いているお念仏は、たった六字のお名号のように感じてしまいますが、そのたった六字にはものすごく広大な物語が詰まっておりました。
白黒の古い写真を前に、そんなことを思わせていただいた本日でありました。
称名
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