見出し画像

今ここで、私が出遇うまでの歴史

こんにちは、那須野です。
随分冷え込みましたね、山にはうっすらと雪が積もっておりました滋賀県です。

さて、自坊ごとではありますが、この度本堂の修復を行うことになりました。
修復と言っても、他所様のような大きなことではなく。
今の状態を少しでも保てるように、という最小限の修復です。
内容はと言いますと、本堂の歪みを直すという地味なようで意外に大掛かりなもの。

大体300年ほどになるでしょうか。
その間には地震もあれば洪水もあり、本堂は北に西にと、おかしな歪みを抱えることになりました。
その歪みを直すために、大きなワイヤーで四方から引っ張って、あるべきところに直す作業です。

そのためには本堂の中身を空っぽにしなければなりません。
ご門徒さん方のお力により、畳一枚まですっかり空いた本堂となりました。

本堂のお内陣や外陣もさることながら、裏にある歴代の物物。
絶対要らんやろというようなものから、これは何か価値があるかも知れないというようなものまで。

そんな中に見つけたのは「おひつ」。
ご飯を入れるあれです。
年代は享保17年寄進。1732年です。
調べてみますと、この年は関西以西で大飢饉があったそうです。

私は、大飢饉の中でお寺におひつを寄進するってどういうこと?と思いました。
自分たちの今日のいのちを阿弥陀さんに預けたのかな?など。

しかし簡単に調べるうちにも、関西以西は微妙なラインで。
近隣の藩の方々が少しでもお米のある関西に逃げ込んでおったそうなんですね。
そうしたら、おひつの意味合いも違ってきます。

飢饉に苦しむお同行は、少なくとも個人のお宅を叩いて「お恵みください」とは言わないでしょう。
お寺に訴えて来られたのではないでしょうか。
そこで米所近江のお同行は、遠くはるばる来られたお同行に、少しでもご飯が行き渡るように、おひつを寄進されたんではなかろうかと思うのです。

阿弥陀様のお慈悲を聞いておられた先人たちの、せめてこれだけでもというお慈悲を感じずには居られません。


須弥壇を解体していると、いつの時代のものかわからない銀杏の殻がポロポロと出て来ました。
おそらくネズミでもいたのでしょう。
お念仏聴きながら、我関せずと一心に銀杏を貪っておったのでしょうか。

私の生まれるよりずっとずっと昔の話です。
しかし、今私がここでお聴聞できるのは、間違いなくその先人たちのおかげです。

そして、迷いに迷い続けた私が、今ここでお聴聞しているということ。
須弥壇の裏で一心に銀杏をかじっていたネズミは、お念仏に出遇う前の私の相そのものでしょう。
それだけ阿弥陀さんのおそばにいながら、聞けていなかったのですね。
あるいは私とは違って、須弥壇のネズミは皆さんと一緒にお聴聞して、お念仏しておったかも知れませんけどね。

私が気づくよりずっと前から、阿弥陀さんの願いはこの私にかかっていたのだということを、感じたご縁でありました。

称名

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?