幽寂閑雅
「節約×時短!コスパ最強自炊メニュー大公開!」
私が現世で最も嫌いな類のインスタだ。チープな加工になんとも安っぽいテキスト、なんとなくプロフィールに飛んでみたらフィードに並んだ無印やユニクロに寒気がした。楽天市場で購入した格安家具に囲まれ、狛江駅から徒歩10分の激狭1Kでギリギリ東京にしがみつきながらの”丁寧な暮らし”。そんな人生になんの意味があるというのだろうか。
東大経済から三菱商事に就職した父。興銀で40年間勤め上げた厳格な祖父に寵愛され津田塾から同じく三菱商事の一般職に就いた母との出会いは、入社前の内定懇親会だった。私が生まれてから母は会社を辞め、自由ヶ丘の一軒家でひとり娘の私をかつて祖父が彼女にしたように寵愛した。中学は理由こそ特になかったが、母の勧めで何となく桜蔭に進んだ。遺伝子のおかげか、昔から勉強は得意で受験も特に苦労はしなかった。
入学後も、父の駐在で7歳から10歳までをNYで過ごしたこともあり、英語は誰よりもできたし成績も常に上位だった。同じ小学校から来た幼馴染の誘いで演劇部にも入り、友達もたくさん出来た。高校に入ってからも変わらずそこそこ成績は良かった。大学受験に向けて鉄緑会に通い始め、塾終わりに代々木のドトールで勉強することが日課となった。家族仲も良く、学校でも多くの友達に囲まれていたが、そこでひとり勉強する時間が妙に心地よかった。案外、”当時から”ひとりで居る事が好きだったのかも知れない。
順風満帆な人生の中で、ふと自分の将来に不安を憶えた。私はそれまで、自分の意思で何かを決めた事がなかったのだ。常に何かを与えられる環境で与えられたものを完璧にこなす、自身のそれまでの人生を酷く厭悪した。「自分の大学は自分の意思で決める」そう決意して氷の溶けた薄味のアイスコーヒーを飲み干した。とは言っても、自分の意思で何かを決めた事がなかった私にとって選択肢は多くなかった。結局、目指せる中で偏差値の一番高い東大文Ⅱを第一志望にした。
奇しくも父親と同じ東大経済の登竜門だ。ようやく厭悪から解放され、懸命に受験勉強に励んだ。しかし初めて自分で選んだ道をまるで嘲弄するかのように2次試験で大ゴケし、僅か4点差で不合格となった。私は憔悴しきり、浪人することを諦め滑り止めで受けた早稲田の政経に進学した。入学式当日、両親はすごく心配していたが、私自身は意外とケロっとしていた。桜蔭の同級生も沢山居たし、何より早稲田の背伸びしないこの空気感が何故だか懐かしく感じたからかも知れない。
新歓にも沢山行ったが、結局商学部に進学した中高の親友と広研に入った。自分で言うのも何だが、よくモテたしすぐに彼氏もできた。美人で有名だった母親に似たのか、目鼻立ちはくっきりとしてスタイルも悪くないし、何より男の扱いがうまかった。最初に付き合ったのは広研の同期、彼は本庄出身でちょっと田舎臭かったけど、センスは悪くなかった。
馬場でひとり暮らししていた彼の家によく泊まってふたりで駅前の磯丸で飲んだし、誕生日にはCELINEのバングルもくれた。彼は自分のセンスに絶対的な自信を持っていて、「俺は岡康道みたいなクリエイティブディレクターになるんだ」が口癖だった。OB訪問を繰り返して、電通のカラフルな名刺を全部集めるんだと息巻いてた姿が世間知らずの私には格好良く見えていた事を今でも思い出す。
結局広研に馴染めず1年で辞めてしまった私は、彼ともその後すぐに別れてしまった。これまで通り成績は良く英語も出来た私は留学を決意し、コロンビア大学に1年間行くことになった。そこで出会う人や文化、価値観に大きなカルチャーショックを受けた。学生達は皆会話の中で国の政策や経済活動について討論するし、GAFAMや投資銀行でインターンをすることが当たり前とされている世界に飛び込んだのだ。
そこにはトリヤローで吐くまで飲んでワンチャンを狙っている奴は勿論いない。居るのは自分の理想の未来を掴み取るために日々努力を辞めない刺激的な人々だけ。ここは私にとってまさに夢のような環境だった。気づけば常に自分の意思を持って行動できる人間になり、そのままボスキャリで外銀から内定を貰った。私は自分で、この手で掴み取った明るい未来に心躍らせた。
最早、本庄出身の田舎臭い元カレもゲロ臭い高田馬場も思い出す事さえなくなった。個性を埋没させ「みんなが勧めるから」「何となく良さそうだから」その程度の理由でメガバンや商社に就職していく俗人的な同期たちをいつしか見下すようになっていた。外銀でセールスとして働き始めた私は評価もまずまずだった。大金を手にして、広尾のタワマンにも住んで人生に何の不満もなかった。
確かに物質的に満たされてはいたけど、心はどんどん貧しくなっていった。ふとラインを見ていると本庄出身の田舎臭い元カレが子供の写真をアイコンにしていた。あれだけ電通に行きたがっていたのに、あっさり落ちて結局楽天に就職した彼が幸せそうにしている事実が許せなかった。たいした給料も貰えないくせに、と自分を正当化した。
今年で30歳になる。私は結局、人の価値を金でしか測れない人間になってしまった。あれだけ順風満帆だった私の人生はどこで壊れてしまったのだろうか。こんな人生になんの意味があるというのだろうか。そんな事を考えながら私はそっと携帯を閉じた。