794(延暦13)年、桓武天皇は長岡京から平安京に遷都。
桓武天皇は平城京で即位。皇太子は同母弟の早良親王。
784(延暦3)年に長岡京に遷都。
造長岡宮使(ぞうながおかぐうし)は藤原種継。
種継は暗殺。
首謀者は早良親王として、乙訓寺(おとくにでら)に幽閉。
早良親王は絶食で抗議をするが、淡路島へ流罪。
配流の途中で亡くなるが、その後、桓武天皇の周りで人が次々に亡くなる。
早良親王の怨霊の祟りと恐れられる。
早良親王の怨霊を慰めるために、「崇道天皇」を追号。

平安京は中国唐代の長安城をモデルにした都。
平安京の南辺の正門は羅城門。
北東西の三辺は低い土塁があるぐらいの構造。

平安京の地相(四神相応)
北に玄武(船岡山)
南に朱雀(巨椋池)
東に青龍(賀茂川)
西に白虎(山陰道)

平安京は碁盤目状。
一条から九条まで南北を横に「条」
区割りが「坊」(十六町で一坊)


京都守護職の松平容保(会津藩)は金戒光明寺に本陣を置く。
「くろだにさん」と呼ばれる。
法然上人ゆかりの地。


1864(元治元)年、新選組が長州藩士が会合していた池田屋を襲撃。
古高俊太郎への拷問により、尊王攘夷派の計画が発覚。

1866(慶応2)年、伏見区の寺田屋にいた坂本龍馬は幕吏(ばくり)に襲撃されるが、お龍の機転で逃走。

1867(慶応3)年、徳川慶喜が二条城で大政奉還。

1868(慶応4)年、正月に鳥羽伏見の戦いがはじまり、これが戊辰戦争の発端となる。



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