読書 1月24日 鍛冶明香『止利仏師ものがたり』(飛騨市河合振興事務所、2023年)

鍛冶明香『止利仏師ものがたり』(飛騨市河合振興事務所、2023年)を読んで付箋を貼ったところの記録。

講談師は物語を語るのが仕事です。
特に玉田家は「新作を創作するのが伝統の一門」です。
お仕事のご依頼も、新作創作が古典講談のご依頼よりも多いです。
いざ新作創作となると、資料の読み込み、専門家や関係者への聞き込み、現地調査が必要です。
そこで今まで知らなかったこと、興味がなかったこと、気付いていなかったことに出会うことになります。
仕事で勝手に、知的好奇心の扉の前に立たせて頂けるのが玉田家の講談師です。
本当に有難いことです。

今回の止師仏師も全く前提知識なしでしたが、とても面白い物語でした。
しかも、ほとんどマンガでしたので、あっという間の読書時間でした。

物語は約1400年前のお話。
聖徳太子により都から飛騨に遣わされた鞍部多須奈(くらべのたすな)は寺を創建するための立派な木材を探しておりました。
そんな中で出会ったのが醜女の忍。

鞍部多須奈の姉、嶋は出家し、百済で仏教を学ぶ。(29頁)
そして、多須奈も出家の決意を忍に伝える。

多須奈は聖徳太子の彫った像で、荒ぶる山の神を静め、順調に木材を集めていく。
「あと少しで多須奈はいなくなる」ことを悲しみ、池端で月を眺めていた忍の目の前で、月は白鳥となり、池に浮かぶ月影に吸い込まれた。
その月影を飲み込んだ忍の姿は変わり、とても美しい女性となった。
忍と多須奈はその晩、結ばれ、忍の腹には新しい生命が宿された。

忍は一緒に京に行こうという多須奈の願いを断った。
一緒に行けば、多須奈の出家の気持ちが揺らぐからだ。
多須奈は忍の決意が固いことを感じ、「この子が大きくなったら、これと共に司馬家を訪れてくれ」と手彫りの仏像を渡した。
崇峻3年、多須奈は出家し、徳斎法師となる。(62頁)

忍の腹は大きくなり、もう隠す事はできなくなったとき、忍の父が「この子の親は誰だ」と問うが、忍は答えない。
それにより勘当された忍は山中に用意をしておいた家で、一人で子を産む。
その子の名前を止利(トリ)と名付けた。

トリが掘る木像は勝手に動き、母子のために田畑を耕した。
しかし、その神技(能力)を使うたびにトリの体は高熱を発し、倒れた。
忍はトリにその神技(能力)を使わないように約束させた。

大きく成長したトリと忍は京に行くことを決める。
しかし、トリはそれまでの無理がたたったのか、その道中で亡くなってしまう。
母の遺言であった、こぶしの木の下に母の遺体を埋め、一人で京にむかったトリは司馬家に大工として仕えた。

しかし、都は反仏教派が多くおり、寺創建にはいつも邪魔が入った。
そんな中、日本で初めての大型鋳造仏、飛鳥大仏が作られた。(138頁)

ところが、仏像が鎮座するはずの金堂に入らない。
どうやら設計図が書き換えられていた。
このままでは式典に間に合わない。

そこで、トリは神技を使うことにした。
トリは棟梁に一人だけで作業することを約束させた。
そして、その場に父である徳斎法師を呼んでもらった。
トリは徳斎法師に、邪なモノが大仏に入らないように経典を読み続けることをお願いした。

いよいよ作業がはじまると大仏は動き出し、金堂の中に自ら入り、そしてその場に鎮座した。
それを同時に、トリは父の胸の中に倒れた。

回復したトリは、鞍作首止利(くらつくりのおびとり)として活躍した。(162頁)

法隆寺の釈迦三尊像の光背裏には「司馬鞍作首止利佛師」という銘がある。(171頁)

「なぜ「仏作」ではなく「鞍作」?
鞍をはじめとする馬具は、権威を象徴するものとして、木工、金工、繍工など、当時の技術の粋を集めた製品でした。馬具づくり長けた、つまり多岐にわたる最新技術と知識を持った鞍作氏が、造寺造仏の要請に応えるべく、鞍(馬具)つくりから仏(寺・仏像)つくりへと、時代の変遷とともにその活躍の場を移していきました。」(186頁)

全く知らなかった止利仏師の物語。
不思議な術を使えるところ、物凄く面白い。
「神技といえど使い方を誤れば下法となる」(108頁)との言葉とおり、命を吹き込まれた木像たちが勝手に動き出すところも恐ろしかったです。
また、神技をつかった後は高熱が出て、体力を消耗するところは、パタリロのロビー少尉の話を思い出しました。

講談の中で飛騨と言えば、飛騨の匠・左甚五郎です。
甚五郎も掘ったものが動いたりするのですが、この止利伝説が元ネタなのかもしれません。









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