
【芹沢あさひ考察】誰も彼女を押しとどめることはできない【ムーンライト・ガーデン、さよならカイト】
個人的な習慣であるが、アイドルマスターのアイドル達に対して何か疑問を抱いた時、必ずメモを取るようにしている。10年以上続けているこの習慣は、テキストという媒体の性質を強く見せつけてくるシャイニーカラーズと向き合うにつれて、更に高じていったような気がする。
そんなメモ帳の片隅、あさひのWINGを初めて読んだ時のメモ。その三行目に、こんなことが書いてあった。
【疑問】アイドルに対していつまでも興味を持ち続けることはあるのか
・トップアイドルになる、何かで優勝する、といった「目標」ありきの性格ではなくその場その場の「過程」を楽しむ(ライブでの景色、熱などの味)ことを目的としているため、それがなくなった時にはあっさりとやめてしまいそう
・それがなくなるという事態があさひにとってどういう状況を示すものなのか(今まで見てきた光景の繰り返し? ライブやそのものに対しての興味の喪失?)
・「自分には自分の最高のステージ(WING決勝前)」についてのあさひの中での答えとは
あさひが実装して数日目の、WINGをやった時のただの走り書きだ。しかしこの走り書きは、数年間私の頭の片隅にこびりついていた。感受性豊かで、あらゆるものに対して楽しさを見出している彼女を見ていると、ふと目を離した瞬間にいなくなってしまうのではないかという不安が常にあった。
だからこそ、私にとってはあさひの『Landing Point』が、Pカード『Howling』が、本当に本当に特別なコミュだ。
今になってこの走り書きが、違う意味合いを持って私の前に広がっている。数年越しの再会ではあるが、『ムーンライト・ガーデン』『さよならカイト』を読んだ今なら、しっかり向き合えると思うのだ。
※この記事には、以下のネタバレが含まれます。
Wintermute,dawn(ストレイライトコミュ)
ムーンライト・ガーデン(あさひP-SSR)
さよならカイト(あさひP-SSR、手紙の内容まで含まれます)
あさひSTEP
ムーンライト・ガーデンという大傑作カード
あさひとかぐや姫
あさひのプロデュースカードはどのカードもシナリオの質が高いということで間々話題になるが、今でも語り草になるほどの傑作カード『Anti-Gravity』が実装されたのが2023年初頭。そして1年半もの間、今か今かと新カードを待ち望んでいた私たちに対して、満を持して実装された『ムーンライト・ガーデン』もまた、その期待に十二分に答えてくれる、それはそれは素晴らしい代物だった。
かぐや姫、というテーマをメインに据えて進むこの物語は、『Wintermute,dawn』とは違うアプローチでのあさひの集大成ともいうべきカードだ。
木の剪定をする警備員さんに、あさひが話しかけるところから話は始まり、木の枝から連想された『蓬莱の珠の枝』という単語をあさひがふと口にするシーンへと繋がる。『竹取物語』に登場する財宝であるが、その後のコミュへと繋がる導入だ。
その後描かれたパーティシーンには、あさひが要求した食べたいものを取ってきてくれる男性、一緒に写真を撮ってほしいと求めてくる男性、仕事を持ってきてくれる男性。

この発言は完全にかぐや姫
「ある時は、竹取を呼び出でて、娘を、われに賜べと、伏し拝み、手をすりのたまへど」とシャニPが思わず頭に浮かべてしまったセリフの通り、まるでかぐや姫への求婚のように様々な男性に囲まれていた。
仕事を持ってきてあさひへと捧げる自分は、公達になぞらえて描かれているこの人達と何が違うのだろう、と一瞬過ってしまったが、その後パーティを終えたあさひがしっかりと否定をしてくれた。
かぐや姫が本当に欲しかったのは、財宝ではなかったのだと。そして、そう言ってくれた彼女が『Howling』で手を伸ばしてくれたことが、どれほど大事なことだったのかと。
『空気』を読む
あまりそうは思っていない人もいるかもしれないが、あさひは今まで「言ってもわからないから」という諦め方を沢山してきたのではないかと思う。

あさひSTEP『ここは、四角い空』先生 (右)
どちらも、大人としては仕方のない発言ではある
今までのあさひを取り巻く環境では、あまりにも彼女に対して一方的な言葉を投げかける人間が多かった。あさひは相互理解を求めているにも関わらず、だ。誰が正しい、誰が悪い、という話ではなく、巡り合わせが悪かった、という他ない。『射撃手は風を読む』というコミュタイトルだが、作中で風を読んだあさひは、撃っても意味のない弾は撃たないという選択をした。それはつまり、言っても意味のない言葉は口にしない、ということ。14歳の女の子が口にするには、少し、寂しすぎる言葉だ。
常緑
4コミュ目の題名である『エバーグリーンの住人』。時が進むことのないシャニマス時空で、永遠を意味する『エバーグリーン』という言葉を使用する時点で挑戦的なコミュだ、と私は実装時に思っていた。しかし、このコミュは最近、更なる意味を含んだ。
このコミュは、あさひが更なる成長を求め、それに対し先生が「まだ先があるのだから」という言葉を返す。

このタイトルで、この言葉を選択するという意味深さたるや。そして、この『エバーグリーンの住人』という言葉と真っ向から矛盾する存在が、このゲームには存在する。パラレルコレクションだ。アイドル達の未来の一つを描くというコンセプトのこのカードと、永遠を意味するこのコミュには、一つ直結するものがあると私は考えている。
レッスンの後、二人で夜の公園へと足を運ぶシャニPとあさひだが、「体幹」という字面から、ふと木の話題へと話が移り変わる。そして「体幹を鍛えるということは木のようになるということだ」という言葉を皮切りに、あさひと木が重ねられる。
「言ったってわからない」「木は言葉を持たない」、それは今まであさひを取り巻いてきた環境のようで。しかしその後、シャニPが選択したのはあさひと相互で言葉を尽くしてコミュニケーションを取るという行為だった。まるで、一方的な存在になってたまるかと言っているような最高の反骨心は、あまりにも美しい。
このコミュの締めくくりにシャニPがポツリと呟く、「その力をずっと手放さないでくれ」という祈りのような言葉は、奇しくも私の5年半前の走り書きと、重なって聞こえた。
「アイドルのifの未来が垣間見えるガシャシリーズ『パラレルコレクション』」
〈IF〉のセカイにようこそ
6周年の目玉の一つとして発表された特殊ガチャ『パラレルコレクション』だが、つい先日あさひの実装を迎えた。カード名は『さよならカイト』。このカードで、私は一つの確信を得た。それは、「パラコレはBadではないがTrueでもない未来である」ということだ。
ストレイライトコミュ屈指の名作と名高い『Wintermute,dawn』の中で、あさひが人々の想いを受け取ることでその重さを実感する、というシーンが存在した。
ならば、この発言は? そのあさひが本当に口にする言葉なのだろうか?

真正面から人々の想いを受け止めた彼女は、困惑をしながらもその重さを受け入れた。その先にある未来が、この未来のはずがない。
この喫茶店でのあさひとの会話には、他にも目を背けたくなるようなシーンが散見された。カイトというワクワクするものがあるにも関わらず、飲み物が残っているからとそれを後回しにしてしまい、果てには「他にできること、ないしね」と自らの可能性を狭める発言までしてしまう。2凸をすると解放されるアイドルからの手紙には、「出発する日、行くのを少し後悔していた」なんて書いていて。これが本当に見たかったあさひの未来なのか? そんなはずないだろう?
さよならカイト
このカードでは、序盤に現在のあさひがカイトを見つけ、2コミュ目では喫茶店でカイトを発見し、Trueコミュではカイトを飛ばそうと試行錯誤するなど、終始『カイト』というものが物語の軸になっている。
ではこの『カイト』は何を示しているのか。それはTrueコミュで答えを示してくれている。カイトは本来一人で飛ばすものではあるが、ハンドルをあさひとシャニPで持ちあい、二人で飛ばす。その時あさひが口にした言葉が、このカイトの意味を全て記していた。
このハンドルは、プロデューサーさんが持ってて
そのほうが、自由に飛べるみたい
このカードの中で飛んでいるカイトの下には、あさひとシャニPがいる。そして、同じ時間軸でそのカイトを目撃するということは、並走する違う世界で飛ばされたものを目撃するということだ。
だからこそ、冒頭ではパラレルワールドへの導入として描かれ、喫茶店であさひが目撃したカイトを探しに行ったときには引き手もカイトも消えてしまった。そして我々が目撃するカイトは、パラコレの二人が飛ばすカイトなのだろう。
「一緒に揚げるか、カイト」という選択肢の先、大きな声を上げることで魚群探知機のように応えてくれる存在を探す、というのはLPと同じ構図であったが、画面越しにパラコレ内の二人がソナーを飛ばしてきたように私は感じた。
だからこそ、この認められないパラレル世界に対して私はこの言葉を送りたいと思う。
さよなら、カイト。
誰も彼女を押しとどめることはできない
『ムーンライト・ガーデン』の作中で剪定という事象になぞらえて示された通り、あさひは他人から手を加えられるということを嫌なことだと認識している。シャニPもまた、その剪定という行為をポジティブなものであるとは決してとらえていない。

竹取の翁とは、言い換えれば剪定を出来てしまう立場でもある。だからこそシャニPは、知らず知らずのうちにあさひの持っているものに対して、剪定をするような言葉を投げかけてしまうことを恐れ、あさひに願いを託した。
でも、これだけは忘れないでくれ
あさひの持っているものはとてもいいものだ
誰にも渡さないで
絶対に守ってやってくれ
―――月に行ってしまっても
振り返らずに去っていくあさひを呼び止めることはできないと、誰よりも彼が一番感じているのだろう。そして実際、どこにも行かない、ここにいる、などといった慰めの言葉は、あさひは決して口にしないだろうし、そうであってほしい。
それでも、その先であさひはずっと想ってくれているのだ。声を聞いたら帰ってきたくなりそうだ、と手紙に認めてくれるのだから。
それでも月に手を伸ばす

あさひがそうとハッキリ決めた時に、その決断を邪魔することはできない。だからこそパラコレのシャニPはあさひの海外行きを止めることが出来なかったのだろうし、そしてそれはこれからもそうだろう。月に行ってしまっても、という言葉は一つの諦観が表れているようでもあり、行かないで欲しいという切望が滲み出ているようでもある。
しかし、『ムーンライト・ガーデン』のTrueコミュでは、かぐや姫が月に帰ってしまう場面を想起させるシーンの中、あさひはたった一言で、それに応えてくれた。

なんて簡単な答えなのだろう! 会いに行けばいいという単純な答えは、追いかけてくればいいじゃないかという挑戦状だ。
シャニPが思わず口にしてしまった「何か間違って、時間を無駄にしたり失敗するかもしれない」という不安は、当然誰でも持ち得るものだ。それでも、全力で走る彼女の手を離さないようにするには全力で走るしかないだろう! いつか道を違えたとしても、同じ速度で走れていればいつか同じ場所でまた走れると信じている。
例え、届かなかったとしても、月に行きたいと私は思うから。