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「さよ姫伝説」後編・・・巳年ですから。
「壺阪霊験記~さよ姫伝説」(後編) 夢乃玉堂
それでも姫は気丈でした。
「元より父の供養のために、自ら決めた身の上。
いかなる憂き目にも立ち向かいましょう」
と、悲しみも怒りも、心の底にぐっと飲み込んだのでございます。
日が西に傾き、深い森が闇に包まれる頃、
「さくらの渕(ふち)」の中ほどにある築島(つきしま)に
沢山の松明が立てられました。
島の上に設けられた祭壇ではゆらゆらと揺れる灯りに照らされて、
ただ一人、小夜姫が法華経を唱えていました。
その手にはしっかりと父の形見の経文が握られています。
「お父様。どうぞ小夜をお導きください」
突然、月がむら雲に覆われ、雷鳴が轟きました。
穏やかだった水面が大きく盛り上がると、築島の向こう側に、
身の丈、十丈ほどの巨大な蛇が姿を現したのです。
体中の鱗がぬめぬめと桜色に輝き、
十二の角を持つ鎌首を森の木よりも高くもたげ、
瞳のない目(まなこ)には、真っ赤な炎が燃えていました。
大蛇が生け贄をひと飲みにしようと、大きな口を開いた時、
小夜姫は恐れることなくこう言い放ちました。
「大蛇よ。汝(なんじ)も生(せい)ある者ならば、
ありがたき念仏の終わるまで、今少しの暇(ひま)を得させよ」
その言葉が届いたのでしょうか
大蛇は大人しく首を垂れて目を閉じました。
それを見た小夜姫は、声高らかに法華経をそらんじながら、
経文をくるくると巻き上げると、
やあ、とばかりに大蛇に飛びかかりました。
そして、手にした経文で、頭から順に大蛇の体を打っていったのです。
打たれるごとに、十二の角ははらはらと、
一万四千の鱗もザザっと音を立てて落ちていきました。
続いて全身からぼおっと優しく淡い光を発し始め、
その中に十五、六の娘の姿が浮んでくるではありませんか。
「私はその昔、氾濫を繰り返すこの沼を鎮める為、無理やり人柱に
された者でございます。
無念の思いは鱗となって、私の魂を縛り付け、このような姿に
変わり果ててしまいました。
今宵、あなた様のおかげで仏の慈悲に触れ、ようやく
恨みの鱗から解放されたのです」
大蛇から姿を変えた龍女は深々と頭を下げると
小夜姫に一つの美しい玉を差し出しました。
「これはいかなる病もたちどころに治してしまう
如意宝珠でございます。どうぞお受け取り下さい」
小夜姫は玉を受け取ると言いました。
「私は都に母を一人で残してきました。今はそれが気がかりでなりません」
すると龍女は、「心得ました」と、小夜姫の手を握ると、
一気に天空に舞い上がり、壺阪まで飛んで行ったのでございます。
ところが、懐かしい我が家は蜘蛛の巣にまみれ、
戸も壁も朽ち果てて、廃墟のようになっていました。
荒れ果てた座敷には、みすぼらしい老女が一人。
まぎれもない、母上様です。
小夜姫を失った母は、昼夜を問わず泣き続け、
ついには両眼を泣き潰して、盲目になっていたのでした。
「母上様、小夜姫です。今まで申し訳ありませんでした」
小夜姫が駆け寄って詫びの言葉を伝えると母は、
「小夜姫は人買いに連れ去られこの世にはおらぬ。
亡き者を騙る不心得者め!」
と、か細い腕で小夜姫を追い払おうとします。
小夜姫は、やせ衰えた体をしっかり抱きしめ、
龍女の宝玉を光のない母の両眼につけて祈りました。
「平癒(へいゆ)なれ。平癒(へいゆ)なれ。」
その途端、母の両眼がぱっと明るく開いたのです。
「おお。これは小夜姫。どうしてここに」
小夜姫は、これまでの不思議な出来事を語り、
仏のご加護に感謝して二人は再会を喜び合ったのでございます。
その後、年は流れ、天のお導きによって
小夜姫は近江の国、竹生島の弁財天となり、
小夜姫を救いこの地に残った龍女は、
壺阪の観音様としてあがめられるようになった、
と伝えられています。
おしまい
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*この物語は、朗読家の葉月のりこさんの企画の為に壺阪に残る伝説から書き下ろしたものです。
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