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「湊稲荷の狛犬」・・・恋しい人に会いたい思いが、恐ろしい行動を選ばせた。


あっという間に読める短編・・・港町に伝えられる伝説を男への執着で変えてしまおうとする女の物語。自分の都合で神の宣託さえ変えようとする者には、恐ろしい罰が下る。


『湊稲荷(みなといなり)の狛犬』(越後の伝説より)


「思ふまいぞへ 思ふたとても どうせ添(そわ)れる身ではない」

考えてはならん。
考えたところで、一緒になれる訳は無いのだから。

越後の港を眺める廓・結城楼の遊女、お初は、
朝まで床を同じくした船員、清次郎を港まで見送りに来ていた。

『おなごりおしゅうございます』と
喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、女は明るく手を振った。

「順風満帆。旅の無事をお祈りしています」

後ろ髪を引くようなことを言わないのが、港の女の掟。
お初は目を伏せ、清次郎の顔を見ずに別れを告げた。

かりそめの恋と頭では分かっていても、時には心に炎が灯る。
心の中まで嘘をつき通すことは出来ないと知りながらも、
わずかな可能性にすがろうとする心があった。

お初は、皆が寝静まった真夜中、一人廓を抜け出して
湊稲荷神社に向かった。


お初に限らず、男を見送った女たちは、湊稲荷神社に向かう。
神社には、ある言い伝えがあるからだ。

境内の狛犬が東を向けば、海が穏やかになって、船が無事に航行でき、
狛犬が西を向くと海が荒れて船出が遅れると言われてきた。

だから女たちは、狛犬が東を向いているか確かめるために湊稲荷に向かう。


月の無い夜。

お初は、周りに人のいないのを確かめて狛犬を見た。

東を向いている。
ほっと胸をなでおろしたが、その心に邪なものが湧き上がって来た。

「もし、海が荒れたら、あの人が港に戻って来てくれるかもしれない」

一度手を合わせてから、お初は石の狛犬に手を掛け力を込めた。

ゴリゴリゴリゴリ・・・

重い音を立てながら、ゆっくりと狛犬が回った。
お初はさらに力を込める。
狛犬はゴリゴリと音を立てながら、ついに西を向いた。

「海が荒れて、今夜もまた、あの人が帰って来ます様に」


狛犬に手を合わせ、石の粉が着いた手を洗おうとして
手水鉢を覗き込んだ。鉢に満ちた水の上に
もがいている一匹の虫を見つけた。

お初が見つめると、虫が起こす波紋の中に
嵐に逢って海に飲み込まれる男の顔が浮かんで見えた。

「ひえ。そんな」

お葉津は、怖くなって手水鉢の虫を拾い上げて助けた。

そして、大急ぎで狛犬の向きを東に戻した。

神社から見える入り江は、先ほどと変わらず穏やかなままだった。

「ほっ」と一息つくとお初は、先ほどの三倍ほどの大きな音で
拍手を打ち、船の安全を祈りなおした。

お初の耳に、潮風に乗って流れて来た港の唄が聞こえた。


向き合い、背を向け、男と女。忍ぶ思いは願い狛(ごま)。

おわり

新潟港にほど近い「湊稲荷神社」には、実際に回る狛犬があります。
通常は東を向いて、港の安全を祈っているのですが、
どんな思いがあるのか、時折西を向いている時があるのだそうです。

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夢乃玉堂
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