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「ロバの耳」・・・麻田君、大人たちの怖さを知る。考えて見ると、ちょっと怖い話、かもしれない。
「私ほど映画を分かっている人間はいません。
絶対、面白い映画を作ります」
ロケ車両のドライバーのバイトとして、参加していた麻田君は
撮影初日に監督がぶち上げた、新作に賭ける抱負を聞いた時、ちょっと嫌な予感がした。
『新人監督が、そんな事言ったら、スタッフに嫌われちゃうんじゃないのかな』
しかし、麻田君の心配は杞憂に終わった。意外な事に撮影現場には、終始和やか雰囲気が漂い、順調に進んでいったのだ。
これまで出版の仕事をしていて初めて映画を撮るという新人の監督だったが、彼が指示を出すごとに、誰かしらスタッフが賛辞を示し、時には拍手喝采が起きることもあった。
時々しか現場に入らない麻田君の耳にもそんな雰囲気は伝わって来た。
例えばこんな風であったという。
監督「もう少し雲が演技するまで待とうか」
女優「流石です~。監督は雲にまでこだわるななんて素敵」
監督「ここは、ワンシーン・ワンカットの長回しで行こう」
カメラマン「監督はどうしてそんな考えが浮かぶんですか? 発想がすごいですね」
監督「パンフォーカスで、奥のエキストラにもピントが合うようにしよう」
助監督「そんなの見たことないですね。観客が驚く顔が目に浮かびます」
一年に300本は観るという映画オタクの監督は、
フェリーニ、オーソン・ウェルズ、ヒッチコック、相米信二、大林信彦など
映画業界の「偉人」の名前を現場でもよく口にした。
特に好きだという、アルフレッド・ヒッチコックを真似て、
自分の作品に1カットだけ登場したいと言った。
監督「あそこの公園のロングショットなんだけど、俺がエキストラで手前のベンチに座るからさ。小さく分かる程度に入れ込んで写してよ」
カメラマン「分かりました。黄色いジャンパーは目立ちますから、小さくても大丈夫ですよ」
カメラマンも監督の話をよく聞き、指示に従った。
当初、何かというとモニターで演技やカメラポジションを指示していた監督も、ロケ後半ではスタッフに任せるようになっていった。
監督「ああ。良いですね。今の演技、最高です。頂きます」
監督「信頼していますから、撮ったカットの現場チェックはしなくて良いですよ」
ロケ初日から、スタッフや俳優陣と意気投合していたため、
監督は喜んでOKを出し、撮影は当初のスケジュールより早く進み、
資本を出している、映画の製作委員会も喜んだ。
監督は絶好調で、「こんな気持ちの良い現場は初めてだった」
とクランクアップの際に挨拶した。
麻田君は、ドライバーのバイトをする日数が減ってちょっと残念に思ったが、すぐに次の撮影現場でのバイトが決まったので、あまり気にしなかった。
ここからは、数年後に麻田君が、当時のアシスタントプロデューサーから聞いた話である。
編集プロダクションの試写室の都合で、これまで撮影した素材を確認するオールラッシュが行われたのは、ふた月も後になったそうだ。
試写室の最前列に監督が座り、その後ろに、女優、助監督、プロデューサー、カメラマンなどスタッフ一同が、期待に胸躍らせて座っていたという。
ブブ~。
上映開始の合図の後、試写室が暗転して、スクリーンに撮影した素材が
映し出されていった。
恋に破れた若い女が、男への未練を断ち切って都会を離れるラブストーリー。その断片が、次々に上映されていく。
監督が、奥のエキストラにもピントが合うようにして欲しいと言ったカットの順になった。だだ、その映像は微妙にピントが合っていなかった。NGでは無いが、パンフォーカスとしてはOKではない、そんなカットだった。
監督はちょっと不満に思ったが、エキストラも多く、撮り直すには費用が掛かりすぎる。『試写が終わったら、カメラマンに文句を言ってやろう』そんな風に思っていた。
すると、背後の闇の中で呟く声が聞こえた。
「あんな天気でパンフォーカスなんて、エキストラの配置を考えたら絶対無理なんだよな」
小さくてよく聞こえないが、助監督の声に思えた。
『現場では、観客が驚く顔が目に浮かぶ、とか言ってたくせに、こいつも後で説教だ』
監督はそのまま次のカットを見続けた。
続いては、ワンシーン・ワンカットの長回しである。
画面の中で役者たちの熱の入った演技が始まった。
途中、掛け合いの中で、役者同士が長めの間を取る箇所に、画面の上端にマイクがはっきりと写り込んでいた。
『何だよ、あれは。これじゃあ、このシーン、別のカット入れなきゃいけないじゃないか、ワンシーン・ワンカットにならなくなっちゃうじゃないか』
と思ったところに、やはり後ろから呟きが聞こえた。
「こんなタルイ演出で、カット割らないなんてありえないよな」
監督は、忸怩たる思いで、この意見は仕方ないな、と思った。
それほど素材の出来が悪かったのだ。
そして、女優が天を仰ぐ映像が始まった。雲の形が良くなるまで待ったカットだ。
雲は思った通りの美しさだった。
だが、女優の顔が暗い。女優を編集で明るく加工したら、雲の形は分からなくなるだろう。
「こだわるってこの程度なの。早く終わって次の現場行きたかったのにさ」
すぐ後ろの席から、今画面に映っている女優が、監督の耳に囁きかけてきた。監督は座ったまま振り返って一言言ってやろうと思ったが、女優はそんなスキを与えなかった。
「ほら。大事な場面が始まるわよ」
監督の肩越しに女優はスクリーンを指さした。
次のカットが始まった。公園のロングショットだ。
監督がヒッチコックを真似て、エキストラとしてベンチに座っているカット。
そのロングは、木漏れ日の公園を美しく映していたが、
監督の座っているベンチは画面の外側で見えなかった。
「あれ?」
と疑問に思った瞬間、カメラが大きく動き、それまで画面の外にあった監督の姿を捉えた。
ベンチに座わる監督の全身が、画面一杯に映し出された。
まるで主な登場人物のように黄色いジャンパーが目立っている。
明らかに異様なカットだった。
その後もたくさんのカットが流れたが、
撮影現場で役者やスタッフに指示を出している場面が思い出され、
監督はそのほとんどを、まともに見ることが出来なかった。
全ての素材の上映が終わり、室内が明るくなった。
監督が振り返ると、試写室の中には、誰も残っていなかった。
ポツンと一人取り残された監督は、役者やスタッフが
問いかけているような気がしたという。
『さあ。監督。どうします? 趣味を取りますか?作品を取りますか?』
それから、一か月、監督は悩みに悩んで、
パンフォーカスでは無いが、エキストラがたくさん出るカットを使い、
ワンシーン・ワンカットを諦め、予備のカットで細かく編集し、
女優が見上げる場面は、雲が見えないくらい明るくして女優の顔の映りを優先した。
そして、監督は最終的に、黄色いジャンパーを着た自分の映っているカットをボツにしたそうである。
麻田君は、その話を聞いて、背筋に冷たいものを感じ、あの華やかな世界が少し怖くなった。
アシスタントプロデューサーは続けて言った。
「でも結果的に、この監督の選択は正しかったんだよね」
彼の初監督作品は中程度のヒットし、評論家の間でも好評だった。
監督は、雑誌などのインタビューで、
『女優の顔を優先し、テンポアップを図り、エキストラのロングカットを
効果的に使ったんですよ』
と、演出の狙いについて鼻高々に語っているのを、麻田君も読んだことがあった。
インタビューの最後は必ずこう締めくくられている。
「映画は監督のモノでもスタッフのモノでもなく、観客のモノですから」
おわり
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