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「いざないの湯」・・・怪談。大自然の中でカメラマンが誘われた癒しの湯とは。
18歳になったばかりにしては、その女の子は奇妙な落ち着きがあった。
旅行雑誌の読者モデルで、『多津のぞみ』というレトロ趣味の芸名を使っていた。おそらく派遣してきたタレントプロダクションの老社長が適当に付けたのだろう。
まあ、珍しくも無いことだ。
長年、旅行雑誌専門のカメラマンをしていると、このモデル、適当に扱われているな、と感じる事は多々あるが、お互い様の面も少なからずある。
ファッション誌と違い、旅行雑誌の読者モデルは入れ替わりが早い。
理由は移動時間も含めて拘束時間が長いのと、写真に写らない部分の過酷さで、「ガンバリマス!」と元気よく言ってるモデルも、ほとんどが数回で辞めてしまう。
真面目に芸名を付ける気にならない、という気持ちもよく分かる。
東京駅で編集長から紹介された彼女も、そのカテゴリーの一人だろうと思い、「ああ。どうも」と安い挨拶をした。
ところが、彼女は両手を前で揃えて深々とお辞儀し、
「ご鞭撻よろしくお願いします」
と挨拶した。
いささか初対面には不似合いではあるが、色白の肌と切れ長の目。
薄い唇の間から放たれる声は、どことなく品があり、
その言葉の奥にある意味を考えると、奇妙な色気さえ感じられた。
「じゃあ、後はよろしくお願いします。
多津さんも熊谷さんの言う事よく聞いて、頑張ってね」
編集長は挨拶もそこそこに帰って行った。
18歳の娘と二人きりで日帰り温泉巡り・・・そう聞くと羨ましく感じる者もいるだろうが、辺鄙な山の中の露天風呂を6か所も廻るとなると、余計な事を考えている時間など無い。
思春期の女の子の機嫌を損なわないようにして、
必要な枚数の写真を撮影し、無事に事故も起こさず、
最終電車に間に合うことをずっと心配しなければならない。
かつては二、三か所廻るだけでも一泊し、編集部の人間とともに夜は宴会。
というのがお決まりのコースだったが、出版不況の現代では望むべくもない。
だが、多津のぞみとの仕事は快適だった。
若いのに気配りが出来る上に、こちらの求めるポーズや仕草を的確に作っていく。
おまけに現地の情報にも詳しく、道案内までやってくれる。
着替えで待たせることや、湯あたりで気分が悪くなることも無く
撮影は予定を大幅に巻いて終りそうだった。
「この山を少し上ると、もう一つ外湯があるんですよ」
六か所目の露天風呂につかりながら、多津のぞみは言った。
「そこは、傷ついた動物が入りに来るような癒しの秘湯で、
雑誌にもまだ載ってないんですけど、ついでに行ってみませんか」
現場で追加撮影を提案すると嫌がるモデルもいる中で、
自分から言い出すのは珍しい。
俺は久々にカメラマンとしてのやる気を刺激された。
時間はまだまだ余裕がある。
もし無駄足になっても、必要な枚数は確保してあるので大丈夫だ。
俺は、彼女の提案に乗ってみる事にした。
4WDのレンタカーでもちょっと苦労するような山道を1時間ほど走ると
その秘湯はあった。
朽ちかけた看板に「いざない湯」とだけ書かれている他は何もない。切り立った渓谷の谷間から湧き出ている温泉は本当に手付かずの自然のままであろう。
木々の間を湯気が漂い、木漏れ日が光の筋となって行く筋も差し込んでいる。野趣あふれるとは、まさにこのことだ。
俺はその露天温泉に一瞬で魅了された。
だが一つ問題があった。その露天温泉に入るには、
お湯が流れてくる渓流、湯の川を5メートルほど渡らなければならない。
「先に行ってますね」
躊躇している俺の横を、素っ裸の多津のぞみが通り抜け、湯の川を泳いで行った。瞬く間に温泉の湧く岩場まで泳ぎ着くと、あっけにとられている俺に向かって手を振ってきた。
「来ないんですか~」
もう引き下がる事は出来ない。
俺はシャツとズボンを脱ぎ棄て、カメラを防水パックに入れて湯の川に入った。
下着を着たままにしたのは、一応、理性を保っているというアピールでもあった。帰りは下着なしで服を着てしまえば良いと、年甲斐もなく投げやりな気持ちになっていたのも確かだった。
湯の川はずっと足の着く深さで、渡り切るのは簡単だった。
お湯の湧く岩場に着くと、さらに景色は幻想的になった。
苔の生えた岩場が周囲の音を遮るのだろう、
風が葉を揺らす音さえも消え、聞こえるのは沢の音だけである。
湯気の向こうにのぞみの姿が見え隠れする。
俺はシャッターを切りながら近づいて行った。
白い肌がこれまで以上に赤く火照っているのが分かる。
俺は水面ギリギリにカメラを構え、モデルの最高の瞬間を捉えようと身構えた。
「誰かいる!」
フレームの中、湯けむりの向こうに人影らしいものが見える。
よく確かめようとズームインすると、それは猿だった。
多津のぞみの後ろ1メートル程離れたところで、
気持ちよさそうに湯につかっている。
特に危害を加えそうな様子も無い。
「大丈夫そうだな」
美女と野生の猿、という恰好の被写体に興奮しながら急いで写真を撮りまくった。
ところが、気が付くと別の動物が温泉に浸かっている。
細身の体長い首、大きな角がある。鹿だ!
鹿が猿の隣で首だけ出して湯につかっているのだ。
どこか地方で猿がはいる温泉というのを見たことがあるが、鹿まで一緒にいるのは聞いたことが無い。
さらに湯けむりの奥に別の影を見つけた。
毛深く目が鋭く、牙が見える。イノシシ?
俺はもう自分の目が信じられなかった。
猿と鹿とイノシシが人間の女と一緒に温泉に入っているなんて。
だが、さすがにイノシシは危険だと思い、俺は多津のぞみに
こちらに戻るように伝えようとした時、それまで天を仰いで温泉を満喫していた多津のぞみが、キッと睨むようにこちらに顔を向けた。
その切れ長の目が大きく見開き、獲物を捕らえるケモノのように、
真っ赤な舌が大きく伸びて唇を舐めている。
あ! と思った瞬間、俺はカメラを湯の中に落としてしまった。
慌てて拾おうと伸ばして手を見てさらに驚いた。
俺の手も指も真っ黒い毛に覆われ、短い指には動物の鋭い爪が伸びていた。
「さあ。いらっしゃい」
いつの間にか多津のぞみが目の前にいた。
木漏れ日を浴びて肌が美しく輝いている。
青い満月のような瞳に魅せられたまま、手を引かれて湧き出している湯の傍まで行った。
そこで彼女は両手でお湯を掬い、頭から俺に湯をかけた。
一回、二回・・・湯が流れ落ちるたびに、俺は俺自身を忘れていった。
名前も、仕事も、人間であることさえ、すっかり忘れてしまった。
「ようこそ。クマさん」
多津のぞみの声も、いつしか湯の川の音に混じって消えていった。
おわり
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