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「さよ姫伝説」・・・美しい姫の身に起こったことは。
巳年にちなんで、蛇のお話を。
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「壺阪霊験記~さよ姫伝説」(前編) 夢乃玉堂
平城京が栄華を誇った頃でございます。
壺阪寺の近くに、小夜姫というそれはそれは可愛い娘が
住んでおられました。
松浦(まつら)長者と呼ばれる裕福な家に生まれ
親子三人、何不自由なく暮らしていましたが、
小夜姫が四歳になる頃、父が病に倒れてしまいました。
父は枕元に二人を呼ぶと
「わしは間もなく冥土に行く。
だがどこにいてもお前たちを見守っているから心配ない。
もしもの時には、この法華経にすがりなさい」
と言って法華経一巻を手渡し、そのまま亡くなってしまったのです。
大黒柱を失った母と娘は、着物を売り、家具を売り、
僅かな蓄えを頼りに日々暮らしておりました。
小夜姫が十六歳の誕生日を迎えた日、
美しく成長した娘に、母は告げました。
「まもなく父の十三回忌なれど、
我が家では法要を行うことも叶いませぬ。
せめて父が残したこの法華経に
手を合わせる事といたしましょう」
母はそう言って形見の経文を姫に渡すと、とめどなく涙を流しました。
小夜姫は思いました。
『なんと情けないことよ。親の菩提は、身代をかけても弔うもの。
この身を売ってでも、父の供養を行わねば』
その思いを人づてに耳にしたのか、ある日、くたびれた着物を着た
人相の悪い旅の商人が、小夜姫の前に現れました。
「私は、さる高貴なお方から頼まれ、
美しい娘を求めて陸奥の国から参りました。
西国一と誉れの高い小夜姫様を是非にもお連れ申したく存じます」
と言って商人は五十両の入った包みを出しました。
丁寧な口調ですが、要は人買いです。
怪しげな風体と鋭い眼光に、小夜姫は一瞬躊躇しましたが、
すぐに己の決意を思い出して答えました。
「よろしゅうございます。
父の菩提を忌うため、この身をお売りいたします。
ただ、法要が終わる五日後までお待ち頂けますでしょうか」
「おお。身を売って供養を行うとは、なんと感心な娘ごじゃ。
だが、よろしいかな。約束を違えることはなりませぬぞ」
と言って商人は、ひとまず宿に帰って行きました。
屋敷に戻ると小夜姫は、
母の元に五十両の包みを差し出しました。
「母上様。門前に黄金(こがね)が落ちておりました。
これはきっと、この黄金で父上様の菩提を
ねんごろに弔えという観音様のお導きに違いありません」
日頃から信心深い母は天の恵みという小夜姫の言葉を
何の疑いも無く信じ、そのお金で盛大な法要を行ったのでした。
そして、父の十三回忌も無事に済んだ約束の五日目。
小夜姫は、母の前に居ずまいを正して真実を伝えました。
「母上様。実はあの黄金は観音様のお恵みではございません。
この身を売って作ったお金なのです」
突然の娘の告白に、母は体を震わせました。
「ああ。哀しや。供養のために娘が遠い異国に身を売ろうとは。
不甲斐ない母を許しておくれ」
大粒の涙を流して縋りつく母を、小夜姫は、
「別れがつらくなるだけ」と離そうとしましたが、
その手に落ちる涙の温かさを感じると力が入りません。
「母上さま・・・」
そこに、件(くだん)の商人が現れました。
「小夜姫様。迎えに参りましたぞ」
先日と変わらぬ穏やかな口調ですが、
その声には底意地の悪さと強い意志が感じられました。
母は、今度は商人の足元にひれ伏して、
「娘を連れて行かないで」と懇願しました。
しかし商人は、「姫はいずれ名家へ奉公に出すつもりだ。
何も心配はございませぬ」
と、その場限りの取りなしを言い残し、
小夜姫の細い腕をひっつかんで強引に連れ去ってしまいました。
「小夜姫! 小夜姫ぇ・・・あああ」
広い屋敷にひとり打ち捨てられた母は
いつまでも小夜姫の名前を呼んでいましたが
その悲しい声も、
しばらくすると聞こえなくなってしまったのでございます。
小夜姫を連れた商人は、近江、尾張、駿河と、休む間もなく駆け抜け、
数日の後には、陸奥の国、安積山(あさかやま)にある
大きな館に到着しました。
そしてすぐに女達に命じて、
小夜姫に水垢離(みずごり)を七回、湯垢離(ゆごり)を七回、
さらに塩垢離(しおごり)を七回行わせ、その身を清めさせたのです。
「陸奥の国では家に上がるのに、これ程まで丁寧に清めるのですか」
不思議に思った小夜姫が尋ねると、女達は顔を見合わせて答えました。
「おいたわしや、姫様。ご存じなくば、お教えあげましょう。
この館の北十八丁ほどの所に『さくらの渕(ふち)』という沼がございます。
その沼に棲む大蛇の祟りを鎮めるために、
毎年一人ずつ、美しい娘を捧げねばならないのです」
小夜姫は驚きました。
商人が自分を求めた理由は、奉公でも何でもなく
大蛇への生け贄だったのです。
(後編に続く)
*この物語は、朗読家の葉月のりこさんの企画の為に壺阪に残る伝説から書き下ろしたものです。
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