「麻田君、給料二か月分をはたく」・・・散財して買ったものとは。
『麻田君、ネクタイを締める』
旅行好きの麻田君が、仕事でヨーロッパを訪れた時の事です。
接待の一環で、クライアントを創業100年というネクタイ専門店に連れて行きました。
その店は、イタリアは勿論、イギリスの王室にも納めているという、歴史あるネクタイ店で、気難しいクライアントも喜んでくれると思ったのです。
予想通り、クライアントはお店に入った途端、
その店に並ぶ品々の素材の良さと丁寧な仕事に感心していました。
麻田君と部下の南くんは、ホッと胸を撫でおろしました。
しばらく、上機嫌でネクタイを選んでいたクライアントが、
傍に居た南くんを捕まえて、こんなことを言い出したのです。
「これなんか、君に似合うんじゃないか。どうだね、思い切って一本買ってみないかね」
南くんは困惑しました。
クライアントが勧めてきたのは、どこかの国の王族の紋章が刺繍してある藤色のネクタイで、そのお店の中でも高級な部類の品でした。
値段はおそらく、南くんの給料と同じくらいします。
その様子を後ろから見ていた麻田君は少し癪に障りました。
ここ数日、仕事で一緒にヨーロッパを回り、このクライアントがケチな癖に、何かというと身に着けているものを自慢する、『マウント取りたがる男』だということを感じ取っていたからです。
ここで断ると、
『やっぱり、安月給の君たちには買えないか、ゴメンゴメン。ハハハ』
などと馬鹿にして笑うのは目に見えています。
今も、『私にはとてもとても』と南くんが断ってくるのを心待ちにしているのがわかります。
麻田君は、間に割って入り、
「おやあ。良いネクタイですね。実は私今日、誕生日なんですよ。
記念に、私が買わせて頂きますよ。
ついでだから南の分も一緒に買ってお揃いにしようか」
と言って、二か月分の給料をはたいて、
藤色の高級ネクタイを二本、買ってしまったのです。
クライアントは「そうかね・・・」と、とても詰まらなそうな顔をしていました。
この後、仕事に支障が出ないように、本来の接待である高級飲食店ではおだてるだけおだてて、その日の接待は終わり、解散となりました。
翌朝、ホテルのレストランで、買ったばかりの藤色のネクタイを締めて
コーヒーを飲んでいると、南くんが近づいてきて目の前に座りました。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。
麻田さん、似合いますね、そのネクタイ」
「ありがとう。南は締めないのか?」
「あ。すみません。せっかく買っていただいたのに・・・」
「いいよ。気にするな。俺の自己満足。自分へのご褒美だから。
いらないと思ったら、適当に古着屋にでも売ってくれ」
「とんでもない。あんな高い物、気楽に締められないですよ。
大事に取っておいて、重要なタイミングで使います」
「それならそれでも良いが、モノなんてどんなに高級でも、
使わなければ意味がないからな。・・・」
麻田君は、南くんに顔を近づけて言いました。
『我ながら、ちょっと良い事言ったかな』
と内心鼻高々だったのですが、
南くんは、麻田君の顔を見ていませんでした。
顔の下、テーブルの当たりを見つめています。
その目線を追ってテーブルの上を見ると、今飲んでいたコーヒーカップに、ネクタイの先が浸かっているのです。
「あ!」
大慌てで引き揚げ、ナプキンで拭いたのですが、後の祭り。
お給料分の高級ネクタイは、しっかりとコーヒー色に染まっていたのでした。
「ああ。やっちまった!」
麻田君は大きく肩を落としました。
帰国後、
自分のデスクで出張の書類を整理していると、
南くんがやってきました。
「麻田さん。誕生日おめでとうございます」
差し出したのは薄い箱。
麻田君が中を見てみると・・・
藤色のネクタイ。デザインは違いますが品の良い品でした。
「安物で申し訳ありません」
「いや。嬉しいよ。ありがとう」
麻田君は早速、受け取ったネクタイを締めてみました。
それは、どんな高級ネクタイより、輝いていました。
おわり
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