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「鏡の向こう」・・・怪談。ホテルの洗面で。



初めてのお泊り。
広いベッドの上で目を覚ました唯野未伊は、
隣で寝ている年下の彼氏である、雅史を眺めた。

「可愛い寝顔」

未伊は男を起こさぬよう、そっとベッドを抜け出すと、
洗面に向かった。

そのホテルは、改装したばかりのようで、新しい壁紙の匂いがした。
部屋も浴室も広かったが、洗面だけが狭く、
二人で顔を洗うのは難しいな、と前夜部屋に入った時から思っていた。

「先に顔を洗ってお化粧しておこう」

未伊は何かと気になり、先読みして準備をする癖がある。
つい心配であれもこれもと持って行くため荷物はいつも大きい。
出かける時も、30分以上前に準備を終えて、
じっと玄関で時間が来るのを待っている。

自分でも神経質すぎるかな、と思っているのだが、
なかなか止められない。
一度小さいバッグを買って荷物を減らそうと考えたが、
買って二日目には、その小さなバッグは、倍以上ある大きなバッグの
インナーバッグになっていた。

「あれ?」

鏡の前に立った未伊は、
鏡の隅で何か黒い影が動くのに気が付いた。

「何だろう」

映るとしたら、自分の後ろにある何かだが、
動くようなものはない。

遠くにベッドの端が少し見えているが、雅史が動いた様子もない。

未伊はもう一度鏡を見た。

「確か右端の角だったよな」

じっと見つめていると、又、ササッと黒い影が動いた。

今度は分かった。いや、人だか動物だかは分からなかったが、
動いている場所は分かった。

鏡の中だ。

鏡の隅を横切るように動くには、鏡のすぐ前を動かなければならない。
だが手前を何かが横切ることは無かった。

ただ鏡の内側、四隅をササッと影が動いている。

未伊は、その正体を確かめたくなった。
普通の女子なら、怖がるものだが、何事も気になる性格の未伊は、
そうは、ならなかった。

鏡の向こう側、つまり壁の中の世界が見るわけがないのに、覗こうとした。

未伊は鏡の造りが少しおかしいことに気が付いた。

普通、鏡は壁の上にネジや金物で取り付けられる。
だがこのホテルの鏡は、壁にめり込むように付けられているのに気が付いた。

「不思議な造りだな・・・」

未伊は、壁にめり込んだ鏡に、顔を目いっぱい近づけて、
鏡の向こう側、壁の裏側を覗こうとした。

その時、鏡の映っていない壁側の空間から
鏡のガラス面を越えて、黒く細い手が飛び出してきた。

黒い手は、驚きで身動きも出来ずにいた未伊の目元をさっと撫でた。

「あ!」と驚いたが、痛みはなく、
一歩引いた時には、もうそこには誰もいなかった。

「疲れてるのかな・・・」

未伊は目をこすった。
目を開けて二三度瞬きをした瞬間、未伊は思わず小さな悲鳴をあげた。

「きゃ」

目の横を黒赤毛が通ったような気がした。
未伊は、今度は目を大きく開いて、確かめようとした。

すると今度は右側の視野の端で、黒い影が動いた。

「あれ!」

それがどこを動いているのか、壁が白いのでよく分かった。
瞬きを何度やり直しても同じだった。

その黒い影は、未伊の目の中にいるのだ。
鏡の端から、視野の端に移ってきた。

鏡の隅に見え隠れするように、部屋の中には居ないのに、
視野の端にいる。
この影は、未伊の目の中で動いているのだ。

「きゃあああ~」

未伊は悲鳴を上げ、その場に倒れ、気絶した。

物音を聞きつけた雅史が飛び起きて飛んできた。
倒れた未伊を抱え上げて頬を軽く叩いて、気づかせようとしたが起きなかった。
しかし、閉じた瞼の内側に大きなゴミでも入ったように
右の瞼が動き出した。まるでモグラが瞼の下を掘り返しているように、
瞼が動いていた。

何が、この瞼の裏にいるのだ、雅史が確かめようと目に顔を近づけた時、
閉じた瞼の内側から、小さな黒い顔が瞼を押し上げて顔を出した。

雅史と影は目を合わせた、その時、瞼の下からたくさんの小さな黒い人影が
飛び出してきた。
小さな人影の行軍は、未伊の顔を流れるように落ちて、そのまま走り去り、
鏡の中に消えていった。

雅史はそっと未伊をその場に置いて、さっさと着替えを済ませ、
一人で出ていった。

ドアが閉まる音とともに、鏡の中から先ほどとは比べ物にならないほど大量の黒い人型の影が湧き出してきて、あっという間に客室内に溢れかえった。

未伊がその後どうなったか、誰も知らない。


おわり


#ホラー #怪談 #ホテル #黒い影 #鏡 #恐怖 #不思議 #謎


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夢乃玉堂
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