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「イコタの鉄道」・・・懐かしい鉄道の思い出。かつて鉄道の車内では。

18日にラヂオつくばで放送された作品に少し加筆したものです。


「イコタの鉄道」 作 夢乃玉堂

昔の鉄道には、車内清算というものがありました。
車掌さんが客車の中を歩いて、切符を持っているか確認したり、
その場で下車駅までの切符を発行したりするのです。
無賃乗車の防止や、下車駅での清算の手間を減らすのが主な目的ですが、
自動改札しか知らない今の若い人には
理解しがたいほど非効率的だ、と感じるでしょうね。
でも、昭和の時代には普通に行われていたんです。
これは、そんな少し昔の物語です。

*発車のベル

俺、松浪ヒカル。小学校5年生。

二両編成のオンボロな電車で、
毎日50分かけて町の小学校まで通っている。
家庭の事情って奴で、今はじいちゃんの家に住んでるからだ。

朝7時に通学定期で電車に乗ってくんだけど、帰りは、ちょっと違う。
定期券通りには降りないでそのまま乗り続ける。
毎回行き先は決めてない。
気が向いたところで途中下車して、その駅の周りを探検するんだ。
行き当たりばったり、気分次第の風任せって
かっこいいだろう。毎日がミステリートレインさ。

え? 怖くないかって? 何言ってんだい、冒険だよ。
ドキドキして楽しいに決まってるさ。
緑の間を抜けて来る風はいつも爽やかだし、
田んぼにはカエルの鳴き声、空にはトンビ。
知らない道を曲がるたびに、知らない花が咲いてるんだ。

時々、お年寄りの人が、迷子じゃないかって
心配して声を掛けてくるけど、理由を説明すると

「そうかい。一人で偉いね」

って褒めてくれて、お餅とか食べさせてくれる。
じいちゃんに聞いたんだけど、
鉄道の終点あたりは「ゲンカイシュウラク」って言うらしい。
難しい事はよく分からないけど、ガタゴト揺れる鉄道はいつも楽しかった。

日差しが穏やかなその日、帰りの電車には俺の他に5人くらい。
俺は、今日はどこで降りようかなって考えながら外の景色を眺めていた。

畑の中の小さな駅をいくつか過ぎた頃、最後尾の車掌室から男が出てきた。

もう何度も見かけて覚えている、車掌のイコタだ。
本名は生駒って言うんだけど、でっぷりとしたお腹が
太鼓みたいだから、ちょっと入れ替えて、イコタ。
生駒なのにイコタ、イコタだけど生駒。
な、可笑しいだろう。

「切符をお持ちでない方は、車内清算いたしますので、お申し出ください」

イコタは慣れた口調で制帽を直しながら言った。
大きな体を揺らしながら通路を歩いて来るイコタに
俺は声を掛けず、通り過ぎるのを見送った。

定期券の範囲はもうとっくに過ぎちゃってるけど
下車する駅はまだ決めてなかったし、車内清算は嫌いだったんだ。

車掌に言うと、斜めに掛けた黒い皮の鞄の中から
普通の何倍も大きい清算切符を出してくる。

それには、鉄道の路線図が書いてあって、
図の中の乗車駅と下車駅に入鋏ばさみでパチンパチンと穴を開ける。
これで、新しい切符の出来上がり。

鉄道ファンの中には、この手のひらサイズの切符が好きで
こればかり集める人もいるらしいけど、俺は好きじゃない。
行き先をその時に決めなきゃならないし、
降りる駅で清算すれば、お金だけで済むから、
あんな大きな紙を使うことも無い、紙がもったいない。

それに、ここで必ず降りなさいって
強制されているみたいになるのが何より嫌だ。
その先に行きたいって気が変わったらどうするんだ。

おそらくイコタも、毎回車内清算をスルーする俺の気持ちに気付いてるから
何も言わずに通り過ぎているに違いない。そういう優しい所が大好きさ。

イコタは運転席の手前まで行って振り返り、同じように

「切符をお持ちでない方はお申し出ください」

と良いながら戻ってきた。
この列車には清算する乗客はいないみたいだ。

ところが、
そのまま車掌室に戻るのだろうと思っていたら、
ドアの前まで行ったイコタは、もう一度振り返った。

「只今から、お持ちの切符を拝見いたします」

『何だよイコタ。車内清算するか聞いたのに、検札までするのかよ』

検札はお客の持っている切符を、車掌が一人一人確認していく作業なんだ。

検札することは珍しい事じゃない。今までも別の電車で見たことがある。
でも、一度車内清算で聞いておいて、
その後に強制的な検札をするのは納得がいかない。

「黙って無賃乗車しようとしている方々、
今からチェックしますよ。言い訳できませんよぉ」

そんな底意地の悪さを感じる。

俺の手前に3人の乗客が座っていたけど、
そのうちの2人がイコタに清算を申し出た。

イコタはその都度、

「今度は行先まで切符を買ってくださいね」

と勝ち誇った微笑みを浮かべて、大きな車内切符にパンチ穴をあけていく。

一番近い席に座っていた女の人は、
確か、二つ前の駅で出発時間ギリギリに飛び込んできた筈だ。

きっと切符を買う余裕なんか無かったに違いない。
もしかすると、駅員に
「とりあえず乗って降りる時に清算してください」
って言われたかもしれない。

そんな乗客の事情も見ていて知ってるはずなのに。
お説教するみたいに話しかける姿がカチンときた。
運賃の精算は駅でも車内でも、どっちでやっても良いはずじゃないか。
誰にだって事情があるのに、一方的に決めつけるのはおかしい。

そんなことを考えているうちに、イコタは俺の前にやって来た。

「切符を拝見します」

腑に落ちないまま定期券を見せ、
適当な駅名を言って、大きな清算切符を受け取った。

「今度は行先まで切符を買ってくださいね」

そう言い残して次の乗客の所に行こうとするイコタに
俺は何か言いたかった。
ズルいよ、フェアじゃないよ。
これじゃあ、最初に名乗り出なかった人が悪者みたいじゃないか。
文句を言いたい気持ちはあったけど、カッコ悪い気がして止めた。
代わりに出てきたのは、こんな言葉だった。

「ご苦労さん。せいぜい頑張りや」

それを聞いた途端、イコタは大きな体を震わせて、俺の方を振り返った。
真っ赤な顔でこっちを睨んでる。

そうだ。じいちゃんから聞いた事がある。
『ご苦労さん』って言葉は、
目上の人が使う言葉だから、使い方に気をつけろって。

小学生から『ご苦労さん』って言われて怒ったのかな。
関西弁みたいに『せいぜい頑張りや』って言ったのが
馬鹿にしたみたいに聞こえたのかも。

俺は怒鳴られるような気がして、体をこわばらせた。

イコタは一歩俺に近づくと、

「行先が決まってないのは怖くないかい?」

と優しく聞いて来た。その目には涙が浮かんでいるようにも思えた。

「怖くないよ。冒険だもん」

と言うと、イコタはにっこり笑って歩いていった。

何だったんだろう。
俺は訳も分からずぽかんと口を開けて、検札を続けるイコタを見つめた。

答えが分かったのは、数か月経ってからだ。

「アキラ。これ見てみろ」

じいちゃんが、新聞を見せてくれた。

「通学に使ってた電車が経営不振で廃止になるそうだ。
6年生になったら、バス通学だな」

イコタの鉄道が無くなる?

記事には『鉄道職員は全員解雇。バス会社などに再就職か』
って書かれてる。
記事を読みながら俺はあの日の出来事を思い出してた。
あの時イコタは、
『行先が決まってないのは怖くないかい?』って聞いて来た。
イコタはきっと、廃線を知っていたんだ。

だから清算も検札もやって、残り少ない乗車時間で、
出来るだけ乗客と触れ合いたかったのかもしれない。
優しいイコタならあり得る。いや絶対そうだ。

それなのに俺は、「ご苦労さん」とか「せいぜい頑張りや」なんて
廃線でクビになるかもしれない人に、ひどい事言っちゃった。

俺はじいちゃんに、あの日の事を打ち明けた。
話しているうちに、どんどん涙が出てきた。
じいちゃんは、俺の頭を撫でながら言った。

「時代は変わっていくもんだ。それは仕方ねえ。
だけど、去って行くモンには敬意をもって、こう言わなくちゃなんね」

じいちゃんと俺は、廃線の記事が載っている新聞に向かって頭を下げた。

「長い間、ありがとうございました」

                おわり



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夢乃玉堂
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