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「すきま」・・・怪談。隙間を恐れる男は何を見たのか。


『すきま』


「目が覗いてくるんだ」

杉田は、明らかに神経過敏になっていた。

レスリングのインターハイに向けた強化選手に選ばれた杉田が
練習にも大学にも顔を出さなくなって二週間。
業を煮やした部長の命令で、同期の俺と吉野がアパートを訪れたのだが、
杉田は奇妙な話をするばかりだった。

「最初は閉め忘れた窓の隙間だった。
夜中に寒いな、と思って見たら、見開いた目がこっちを見ていたんだ」

「覗きか?」

「俺も最初はそう思った。男の一人暮らしを覗くなんて趣味の悪い輩だな、
って怒りながら窓を開けたら、誰もいなかった。
ところが次の夜はドアの郵便受け。
その次はクローゼットの服と服の間や本棚の参考書の間だ。
ちょっとした隙間があると、そこから目が覗いてくるんだ」

俺たちの目の前で背中を丸め、膝を抱いて震えている杉田の姿は、
とても勇猛な学生チャンピオンとは思えない。

アパートの窓や、ドアの郵便受けは、ガムテープで目張りがされ、
空っぽになったクローゼットや本棚が、異様さに拍車をかけている。

これはかなり重症だな・・・もしこのまま杉田が出てこれなかったら、インターハイの強化選手は選考し直しか。そしたら俺か吉野のどちらかが・・・俺の頭に不謹慎な考えが浮かんだ瞬間、吉野が立ち上がった。

「狭いアパートに閉じこもってるから、気持ちが滅入って変な妄想に憑りつかれるんだよ。ほら。空気入れ換えて練習に来いよ」

「やめろ!」

窓際まで歩み寄った吉野を、杉田が大声を上げて止めようとした。

吉野はそれを全く無視して、一気に目張りしてあるガムテープを剥がすと
窓を開け放った。木枯らしが部屋の中を一周するのが分かった。

「うわあ!」

吉野にすがりついていた杉田が弾けるように、部屋の隅まで飛び跳ね、
着ているトレーナーの襟を立ててしゃがみ込み、ガタガタと震えていた。

「杉田。大丈夫か?」

何を言っても杉田は答えない。
吉野と俺はどうにかして、杉田を立ち上がらせようとしたが、
ただ手足を縮めて体を固くするだけだった。

しばらく杉田に声を掛け続けたが、目を閉じたまま動き出す気配はない。
俺は、吉野と相談し、無理やり引っ張っていくわけにもいかず、
とりあえず今日のところはこのまま帰ることにした。


駅までの道すがら、吉野は呟くように話しかけてきた。

「こんな事を言って変な奴だと思われるかもしれないけど」

「なんだ、言いなよ」

「杉田は、すきまに取り付かれたんじゃないだろうか」

「すきま? 間が空いてる隙間か?」

「違う。俺の田舎の方に伝わる妖怪で、『すき魔』っていうのがあるんだ。冬の寒い日に誰もいない部屋の、閉じ切っていない襖の隙間から
冷たい息を吹きかけてくるんだ」

「へえ。すきま風の妖怪『すき魔』か。そんなダジャレみたいな妖怪がいるのか」

「ダジャレや冗談なんかじゃない。
襖や障子を閉じても閉じても、どこかの隙間を狙って冷たい息を吹きかけてくる。そいつに息を吹きかけられると、みんな凍えて死んでしまうんだ」

「バカバカしい、杉田に影響されて、お前までおかしくなっちゃったのか。
しっかりしろよ。そういうのは民間伝承ではよくあるんだ。
特に寒い地方では、ちゃんと襖を閉じなければ凍えるぞ、
という教訓を妖怪伝承にしていることは多いんだよ。」

付け焼刃の科学的分析だったが吉野は、そうだなと言って納得した。
俺も冷静を装っていたが、なぜだか気持ちが落ち着かなかった。


そして数週間後、杉田の訃報が届いた。

季節外れの大雪が三日続いた日。

アパートの入り口で凍え死んでいたそうだ。

雪が積もる中、外からドアに背中を押し付け、
開かないように両手両足を突っ張った状態で凍り付いていたらしい。

四日目の朝、見回りに来た大家さんが発見した時にはもう息が無かった。

杉田の部屋は、窓もドアも外側から段ボールが貼り付けられ、
厳重に目張りがされていたという。
体には外傷はなく、カギも本人のジャケットのポケットに入っていたので、
杉田は精神錯乱による異常行動から、突発的な心臓麻痺を
引き起こしたのだろうという事になった。


葬儀の後、俺たちはどちらともなく、杉田のアパートに行ってみようという話になった。

『あの日、何をしてもあの部屋から出すべきだったのではないか』

そんな後悔が、二人の胸の内にあった。

雪が溶け残っているアパートは、目張りがされたままだった。

大家さんも中々手を付けづらいのだろう。

俺たちはドアの前まで行って手を合わせた。

あんなにも活発で将来を嘱望された友が、こんなにも突然にいなくなるなんて、不条理な空虚感が心を支配していた。

「全く信じられないな。まだ中にいて、震えてるんじゃないのか」

そう言って吉野は、ドアの脇にある窓の段ボールの目貼りをめくり、中を覗いた。その途端。

「うわあ!」

と声を上げて吉野は後ろに飛びのいた。

「誰かいる。中から見てる! 目が合った!」

「よせよ。そんなわけないだろう」

俺は吉野がしたように段ボールをめくって中を覗いた。
ガラス窓越しに少しだけ外の光が差し込み、部屋の様子が見えたが、
人影などない。

「誰もいないじゃないよ。変なこと言うなよな。
窓ガラスにお前の目が映ったんじゃないのか?」

吉野は答えなかった。
上着の襟を立ててその場にしゃがみ込み、ガタガタと震えていた。

その姿は、あの時の杉田にそっくりだった。

冷たい風が、吉野の周りで渦を巻いているような気がした。


                  おわり





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夢乃玉堂
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