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怪談「通夜の湯」・・・義実家で。
「義実家のお風呂」
入院していた夫の父が、急な病変で亡くなったのは、2月の末だった。
東京から車を走らせること4時間。
私たちは娘を連れて、数年ぶりに義実家を訪れた。
らしい盛大な通夜だったが、
参列者には老人も多く、さほど夜が深くなる前に終わった。
田舎の通夜は朝まで、と聞いたことがあったので、
私はホッと胸をなでおろし、
夫と3歳になる娘を寝かしつけてから、
お風呂をよばれることにした。
昔旅館をしていたこともある儀実家の風呂は大きかった。
広すぎるお風呂は、空気が温まるのにじかんがかかる。
ぬるめが好きな義母の後なので、私はお湯を沸かし直し、
ガスの炎が燃える音がして、湯船が温まる間、体を洗っていた。
すると、いつの間に入ってきたのだろう、寝ている筈の娘が
風呂場の中にいた。
「そうしたの? 目が覚めちゃった?」
「うん。ちょっと寒けがするの」
「え?風邪でも引いたのかしら」
私は娘の額に手をやってみたが、熱は無いようだった。
「お母さんの手、あったかい」
「そう。少し冷えたのかもしれないわね。お風呂に入って温まりなさい。
「わかった」
そう言うと、娘は素直に湯船に入った。
いつもなら、熱いだの、ぬるいだの、文句を言ってから入るのに、
やはり具合が悪いのだろうか。
「大丈夫? 気持ち悪かったりしない? 眩暈とかしたらすぐに言いなさいよ」
「うん。平気」
娘はお湯から首だけ出して、こちらを見ている。
これも変だ。いつもなら五月蠅いくらい歌を歌うのに、
静かすぎる。
「ねえ。いつものお歌は歌わないの?」
「いつもの?」
「そう。るっるるんるんって、アレ」
「るっるるんるん?」
娘は初めて聞いたような顔をした。
まさか、と私は思った。
警戒の気持ちが顔に浮かんだのだろう。
娘が、それまで見せた事の無い顔で、ニヤリと笑った。
「しまった。バレたか」
そう言うと、ニヤリと笑って、娘は首を湯船の中に沈めた。
私は慌てて湯船を覗き込んだ。
真っ白なホウロウの湯船の中には、
湯気を立てるお湯の他には、全く何もなかった。
次の瞬間、浴室の中にけたたましい笑い声が聞こえ、
私は悲鳴を上げて洗い場に倒れこんだ。
声を聴いて目を覚ました夫と娘、そして義母が浴室に駆け込んで来ると、
私は裸のまま気を失っていたらしい。
抱きかかえられ、目を覚ますと、ひとつ大きなくしゃみをした。
だけど、それ以外にケガなどは無かった。
今見たことを説明すると、なぜか義母が謝ってきた。
「ごめんなさいね。やっぱり作法は守らないといけないのね」
理由は言ってくれなかったが、深々と頭を下げると仏間に帰って
お経をあげ始めた。
「あのまま母さんは朝までお経をあげるんだ。だから・・・」
夫が何かを言ったようだが、私はそれ以上聞かず黙っていた。
夫と私は、気分を落ち着かせ、娘を連れて寝室に入った。
悪いとは思ったが、娘は夫の布団で寝てもらうことにした。
布団の中から、心配そうに小さな手を振る娘に、
「大丈夫よ」と、笑顔で答えると、
娘は夫の布団の中に潜り込んだ。
その時、私は思い出した。
浴室に現れた娘が、頭をお湯に沈める時、その笑った顔が
一瞬、皺だらけの年老いた男のように見たことを。
その日以来、私は夫の実家に泊まることは無くなった。
おわり
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