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「アニキのオムライス」・・・好みの違いに直面したら。短編。


火曜日にラヂオつくばで放送された短編に一部加筆したものです。

『アニキのオムライス』        作 夢乃玉堂

「すみません。今夜は遅くなりますから、夕食はご自身でお願いしますね」

そう言うと、夫は決まって困ったような嬉しいような顔をして、
「ああ。」と一言だけ答える。

我が家では、生活費は共同の財布から支払うが、
飲み会など個別の出費があった場合は
各々お小遣いから払う。結婚当初からのルールだ。

エステサロンの営業職をしている私は、付き合いの飲み会なども多い。
最近は人手不足で、施術師やセラピストなどのスタッフも、
マメに接待しなければならない。
もちろん経費だから、それなりのレストランに行くのだが、
一人で食事している夫の事を考えると、ちょっと心が痛む。

一方、精密機器メーカーの技術者である夫も、
一人で食事をする時は外食を選ぶが、
贅沢な北京ダックやフランス料理のフルコースを食べる訳ではない。
もっとも、そんなものを一人でこっそり食べてたら、
来月からお小遣いは半分にしてやるんだから。

以前、外食をお願いした時、たまたま早く帰って来た私は、
夫が駅前にある中華飯店のカウンターに
座っているのをガラス越しに見かけた。

カウンターと四人掛けの赤いテーブルが三つ四つ並んでいるだけ。
トイレの横の大きな業務用のクーラーがゴーゴーうるさい音を立てている
「昭和」がたっぷり残る大衆食堂だ。

夫が頼んでいたのは、ビールとオムライスだった。
家でも見た事ない、嬉しそうな顔をして食べていた。

「中華食堂なのにオムライスなの?」

見ると、壁のメニューには、親子丼やカレーライスもある。

中に入って声を掛けようかとも思ったけど、
クライアントと夕食を食べた後だったし、
お店で浮きそうな一張羅のブランドものを着ていたので、
そのまま先に帰った。

美味しそうに食べる夫の姿を思い出していると
久しぶりに、オムライスを食べたくなった。

「ねえ。今度のお休み、ちょっと遠いんだけど、
卵料理のお店に行ってみない?」

卵料理とぼかして言ったのは、中華飯店を覗き見していたのを
感づかれたくなかったからだ。

翌月、同じ日に休みが取れたので、独身時代に同僚とよく行った
大好きなオムライス専門店に夫を誘った。

お店に着くと、当然のようにお勧めのオムライスを頼んだ。
チキンライスの上に乗ったふんわり卵にナイフで切り目を入れる。
とろりとした半茹での卵が左右に広がっていく動画萌えするオムライスだ。

私はそのイベント性が楽しくて「うわ~美味しそう」って声を上げたけど、夫は、「うん。そうだね」と一言言っただけだった。

見た目も味も100点だけど、満足感は65点。そんな顔をしている。
あの中華屋さんで見た笑顔には程遠い。


「それは、アニキのオムライスですね」

エステサロンの後輩、直美ちゃんに相談すると、そんな答えが返って来た。

「私も彼を、オムライス専門店に連れてったんですけど、
彼ったら『良いね。良いんだけど。これじゃあ無いんだよな』
なんて言うんですよ。最高にムカつきましたよぉ。
『セレブなお口に合いませんですみませんね』
ってその場で喧嘩になっちゃって。
その時に言ってたのが、『アニキのオムライス』なんですよ。
彼氏によると、子供の頃、近所に住んでいた大学生が
中華屋さんのオムライスを、美味しそうに食べているのを見て、
そう名付けたらしいんです」

「なるほどね。アニキのオムライスか、分かるような気がする。
最初に美味しいと思った食べ物のタイプが、
そのジャンルのベストになるってことね。
いつの時代、どの世代でも男の好みは意外に保守的なんだよね」

「でもアタシも、ふわふわパカッのオムライスの方が
好きだった筈なんだけどなぁ」

筈?ということは・・・どうやら直美ちゃんの好みも
アニキのオムライスに変わり始めているようだ。

そこで私は、「アニキのオムライス」の影響力、求心力を確かめるため、
駅前の中華飯店に一人で行ってみることにした。

ドアを開けると、明るい声で、

「らっしゃい」

と、「い」を飛ばした挨拶で出迎えてくれた。

店員は、ぞんざいに私をテーブルに案内するとすぐに

「ご注文は?」

と聞いて来たので、迷わず

「オムライスをお願いします」

と注文した。

「お待たせしました~」

出てきたのは、確かに懐かしい感じのオムライスだった。
ぼってりとしたボリュームで
真ん中に、たっぷりとトマトケチャップがかけられた
オーソドックスな、『ザ・オムライス』。

どうすればこんなに薄く焼けるのか、と不思議に思うほdの薄い
卵の皮の中には、
やはりトマトケチャップで味付けられたチキンライスが収まっている。

私の心のもやもやとしたものが落ち着いてきた。
一人の時、夫は駅前の中華飯店に行き、
我が家比85%アップくらいの浮かれた気持ちで
このオムライスを食べているのだ。
ホッとするような、ちょっと悔しいような気分になる。けれども、

「夕食はご自身でお願いしますね」

と言って出かける時に感じていた罪悪感に似たものが消え、
気が楽になったのは確かだ。


ところが、数週間後、私が出張から帰って来た日。
夫は酷く落ち込んでいた。

「中華飯店のシャッターに紙が貼ってあってさ、
『先月末を持って閉店いたしました。長年のご愛顧を感謝いたします』
って書いてあったんだよ」

寂し気に語る声を聞いていると、こちらもなぜか切なくなってくる。
いつかあのお店で、「アニキのオムライス」を
一緒に食べようと思っていたのに、それはもう叶わないのだ。

それからしばらく、夫はネットでオムライスを
検索してはため息をついていた。

数日後、私はこっそり中華鍋を買った。
我が家のIH式調理器では、鉄の鍋を振りまわせないので、
火力強目のカセットコンロも一緒に買った。

夫がいない日を見計らって、高級な調味料セットに囲まれたキッチンで
薄く卵を焼けるように練習を重ねた。エプロンはすぐに汗まみれになった。

努力の甲斐あって二か月後、
ようやく、記憶の中のあのオムライスを
ほぼ完ぺきに再現できるようになった。
ところがその頃から、
私の中に、意地の悪い感情が沸いて来たのだ。

「夫は、あのオムライスの味が好きで、中華飯店に通ってたのだろうか」

もしも夫が、味ではなく、お店の雰囲気が好きで食べに行ってたら・・・
そう考えたら、急に不安になった。

こんな小奇麗な家の中で、あのオムライスを出してもギャップが目について
余計落ち込んでしまうかもしれない。

パチモンのプラモを押し付けられた子供や、
期待して受け取ったプレゼントが思っていた物と違っていた時のような
残念な気持ちにさせてしまうかもしれない。
それはいけない。
味を再現するための努力も無駄になりかねない。

悩んだ挙句、私は最も得意な方法を選んだ。

まず、ホワイトマイセンのお皿を食器棚から出した。
中華スープも同じマイセンの小鉢から、なるべく無地に近い物を選んだ。
結婚のお祝いに貰ったけど、勿体なくて使えなかったセットだ。

そして、去年のハロウィンのために買った
青ひげのコック服を引っ張り出した。

エアコンを強めにして、普段は暖色の間接照明を蛍光色に替えた。

エステで使うパーテーションをテーブルの周りを囲み、
友人から貰った台湾土産の「福」と書かれた壁飾りを
パーテーションに掛けた。

さあ。やれるだけの事はした。これでダメなら、仕方ない。

「ただいま~」

夫が帰って来た、心なしか元気がない。
私は、独特のアクセントを真似して、

「らっしゃい」

と、「い」を飛ばして出迎えた。

続いてお店でしていたような、ぞんざいな言葉づかいで
夫の上着を受け取り、テーブルに座らせた。
何が始まるのか、と興味津々に夫は見ている。

「お待たせしました~」

私はマイセンのお皿に乗った「アニキのオムライス」をテーブルに運んだ。

戸惑っていた夫の顔が、ぱあっと明るくなった。

スプーンを持つと卵の上のケチャップを均して、
弾力と薄さをを確かめている。

続いて、卵にサクッとスプーンを滑り込ませると、
大き目の一口を口に入れた。

そして、あの窓越しに見た時と同じ最高の笑顔を浮かべたのだ。

「ほらね。私はあなたの事なら何でも分かってるのよ」

と勝利宣言をしたい気持ちを押さえて、私は言った。

「お味はいかがですか?」

夫はケチャップを頬に着けたまま、さらに嬉しそうに笑った。

   おわり


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