
シメオネのコトバと振り返る第33節
2021年10月10日、栃木SCにウノゼロ敗戦。
あまり、、書くことが浮かびませんでした。
そこで今回は趣向を変えて、ある記事を引用して振り返ろうと思います。正直うまくまとまる自信はありませんが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
今回紹介するのは、goal.comに掲載されたデル・ボスケとシメオネ監督の対談の内容をまとめた記事です。
ディエゴ・シメオネについて知っている人は多いと思います。元アルゼンチン代表で現役時代はラツィオなどでプレー。現在は2011年からアトレティコ・マドリードで監督を務めています。メガクラブの中ではかなりの長期政権の部類です。昨年はリーグ優勝。コンスタントに結果を残し続けているからこその長期政権と言えます。
球際に強く、よく守って、最小限の力でゴールを奪う。これが彼の戦い方、通称”チョリスモ”です。
まあ、もっと簡単に言えば、一年中黒ずくめのスーツを着たもじゃもじゃヘアーの熱いおじさんです。ゴール決まって嬉しすぎると、「ウチの子はタマあるでー!!」ってやります。(simeone juveで検索すると出てきます)
En el trono de Neptuno, donde no cabe ninguno...Que no sepa SOÑAR. #gracias pic.twitter.com/TcEaG995Cm
— Diego Pablo Simeone (@Simeone) May 24, 2021
かたや日本の2部リーグの残留争い、かたやリーガで優勝争い。一見すると共通することなんてあんまりないような気がします。でもアトレティコで栄光を手にしてきた名将シメオネのコメントを読んでいると、妙に前節栃木戦に刺さる。さらに残留に向けた残りの試合へのヒントになるんじゃないかと感じる部分がありました。
”ボールをつなぐ攻撃など仕掛けない。”
「最高のスペイン代表、最高のバルサが監督たちのエゴを増大させてしまい、彼ら全員に自分たちもピケ、ブスケツ、チャビ、イニエスタを擁しているという夢を見させた。……彼らを擁しているわけなどないのに。こうして、絶対に安全とは言えない状況からプレーを開始する考えが植え付けられることになった。」
「私がそうした特徴を持ち合わせていない選手たちを擁しているとしたら、ボールをつなぐ攻撃など仕掛けない。紳士諸君には申し訳ないが、私たちはピッチの半分からボールを蹴り入れて、後方からボールをつなぐのと変わらない場所に到達する……ボールを飛ばしてね」
シメオネは、2008年あたりで始まったスペイン黄金期の中盤が魅せた「後方から繋いで崩すサッカー」だけが正義じゃないと言っています。
そのうえで、もし繋ぐ技術のないチームなら、いっそ蹴りこんで勝負してしまえばいい。何本も繋いでから到達するのと、一本のパスで到達するの、結局ボールが相手ゴール近くに「ある」という事実は変わらねーじゃん!ということだと解釈します。
もっと意訳すると、ゴールに迫るのにどっちが合理的かを選択しなければいけないということだと思います。なにより最優先は「勝利」。理想のサッカーはわかるけど、チームの状況など現実と照らし合わせて最適なサッカーをしなければいけないということです。
さて、ここで対戦相手の栃木SCを思い出してみます。
最前線に豊田陽平、サイドに矢野貴章、セットプレーにおいてはCBの柳と三國が上がってきます。特に前半は、彼らをターゲットにシンプルに蹴りこんでくることが多かったです。
もちろん松本もそれは織り込み済みで、空中戦に強いノノくんをスタメンに起用し、高さ対策を講じていました。久々のスタメンながら、よく跳ね返していて素晴らしいプレーでした。
ただそれでも、栃木はその縦に速い戦い方を貫いて、蹴りこみ→セカンド回収の繰り返しで押し込んできました。そしてペナの中でスクランブルを起こし、PKという形でもこの試合唯一の得点を挙げることができました。
明確なターゲットとなる選手とセカンドボールを回収するスピードのある選手という配置。更に縦列型4-4-2でシンプルに松本陣内にボールを飛ばしてくる。
まさにシメオネの言っている戦い方の選択で優位に立ったのが今節の栃木だったように思えました。
”守ることだって芸術なんだ。”
「私は守備面を評価しないことには反対の立場を取らせてもらう。守ることだって芸術なんだ。自陣からボールを持って相手を引き寄せるとしたら、それもスペースをつくり出す方法となる。後方から攻撃を始めることは守備的、それとも攻撃的のどちらなのだろうか? それは解釈次第だろう」
「私は相手を引き寄せる。それは相手の後方にスペースを見つけるため、相手を攻撃するために行うことだ。無条件に後方からボールをつないでも意味がない。そうするのは相手に打撃を与える方法があるためで、そしてそれは様々な方法で実現し得る。なぜかと言えば、それこそがフットボールだからにほかならない。ワールドカップもスペインのように勝つこともできれば、フランスのように勝つこともできる。フットボールは素晴らしく、誰もが正当性を持つことができる。3-0の勝利が美しいプレーを意味するわけでも1-0の勝利が悪いわけでもない」
シメオネは、自陣で守備をすること・相手に押し込まれることは自分たちにとって「悪い時間」とは捉えていません。むしろそれを自分たちの攻撃に繋げる可能性を広げるものとさえ思っています。良し悪しは、そこからどう打開するか次第。
後方のパス回しも、脅威にならない相手の外で回すのではなく、目的をもって回しているかどうかが重要です。相手を引き寄せることでできる空間に一斉に飛び込んでひっくり返していく。そういう攻撃のイメージが共有できているのであれば、押されている時間も無意味な時間にはならないはずです。
そして、スペインのように相手にボールを持たせず支配し続けて圧倒するのもサッカーだし、18年に優勝したフランスのように徹底した守備からカウンターに持ち込むのもサッカーだと語っています。
【10.10🆚栃木】
— 松本山雅FCオフィシャル (@yamagafc) October 10, 2021
昨日行われた栃木SC戦の写真をフォトギャラリーに掲載しました📸#yamaga #松本山雅
こちらからご覧くださいhttps://t.co/4UJEjGqLFK pic.twitter.com/ZtmvHWcEbU
さて、ここでまた山雅を思い出してみます。
負けはしたものの、松本のやっているサッカーが全部悪いわけではないと思います。
確かにここ最近、松本はどの相手にも押されてばかりいる気がします。守ってばっかり。正直観ていても退屈に感じることがあります。でもそれを「5バックで後ろに重いのがいけないんだ」とか「守備的に戦うことが間違いだ」いう意見があるとすればそれはちょっと違うと思います。
シメオネの言葉を借りるならば、守っていることや後ろで回していること自体が悪いことではありません。重要なのは、後方からのスタートだとしても、そこからゴールまでの道筋を共有できるかどうか。相手を引き寄せ、背後のスぺースを作ることができるかどうか。そして、戦いに出ていけるかどうか。
押し込まれる時間が長く、いざ奪っても消極的なパス回しだった前半。どうしても後ろ向きにボールを触ってしまうのが、今の弱さ。苦しい時こそ球際を強く。押しこまれている分、ひっくり返すチャンスがあるはずです。
そして集中したいい入りを見せた後半の序盤。松本が立て続けにチャンスを作った時間は、シメオネの言う後方で回して相手を引き寄せ、ひっくり返して打撃を与えるという攻撃ができていたと思います。オビのビッグセーブがなければ北九州戦の再現もあったかもしれません。
ただ、その後栃木は5バックに変更で蓋をしました。そのバリエーションがあるという時点で、栃木の方が一枚上手だったと言わざるを得ないかもしれません。
”私は誰とも約束をしない”
「誰とも約束はしない、という言葉は真実だ。試合が始まるときには監督もその地位を賭けることになり、監督こそが結果の影響を誰よりも受けることになる。だからこそ、自分たちが求めるものに忠実でなくてはならない。ある日には誰かを傷つけて、違う日にはまた違う誰かを傷つけることになってしまう。」
「今、私たちは素晴らしい陣容を擁している。グリーズマン、コレア、ジョアンに、その日はプレーしないということをどう説明ができる? 事実であるのは各試合でベストを尽くしているということであり、そうすれば選手たちにもそれがベストと信じさせることができる」
シメオネにとっては、絶対的な選手は存在しないそうです。監督にとって結果がすべて。結果のためには、監督という立場を賭けて、その時その時でベストな選手を送り出す必要があります。もちろんそこには犠牲も払わなければいけません。
反対に選手たちもメンバーに入るために、普段からベストでいなければいけません。そして職を賭けて、そして犠牲を払って選ばれているという自覚も。
これは名波さんの起用にも通じるものを感じます。誰もが一直線上。全員にチャンスがある。監督の求めるものに応えられる選手が次のチャンスを得る。
上手いだけでは相手も上手いです。むしろ相手の方が上手い。だからこそ、ここからはシメオネの言うように、自分に上手にプレッシャーをかけ、ベストを尽くす選手が必要、そんな風に思っています。守備でも攻撃でも、もう一歩寄せが速く強くなれば。。
“パルティード・ア・パルティード(試合から試合へ、1試合ずつ戦う)”
「私たちはいつも『なぜこうならない?』『なぜ想像をしない?』と考えてきた……が、想像なんかすることはない。今日の私たちは今日の私たちなのであり、今日できることをしていけばいい。そこから様々なことがやって来るわけだ。しかし、実際の自分たちではないものになりたいと考えてしまえば、そこで終わってしまうんだよ」
今日できることを、できる限りやる。
先のことも気になりますが、まずは一戦必勝で戦っていきましょう。