松田直樹選手の思い出
こんばんは。
松田直樹さんが亡くなって9年が経ちました。今日は命日です。
もう9年も経つのか。。って思います。
今やただの山雅サポおじさんとなってしまった私ですが、幼き頃は東京に住んでて、マリノスが好きで、半年に一度くらいはスタジアムに連れて行ってもらっていました。ここからただの思い出話をします。
マリノスのディフェンスラインといえば、松田、中沢、河合、那須。栗原も出てきましたね。サイドはドゥトラ、隼磨。そんな記憶です。キーパーは榎本達也。懐かしいなぁ。
BSTBSやNHKBSでやってたマリノスの試合は、欠かさず観ていました。飯倉がチョップかなんかして退場になって、残り時間マツがキーパーやってたの、めちゃかっこよかったですよね。
何年もタイトルから遠ざかっていたマリノスは、大刷新を決断。山瀬、坂田、清水、そしてマツを契約満了、クビにしました。
マツさんがマリノスでのラストゲームとなった日、マリノスの判断に怒り狂った私は、なけなしの小遣いでチケットを買い、ゴール裏で彼らの最後の勇姿を観にいきました。
昔の写真漁っていたら、その時の写真出てきました。
試合後のセレモニーでは何度も何度もナオキオレチャントを歌い続け、別れを惜しみました。
これがマツを生で観た最後でした。
今でもこの瞬間は脳裏に焼き付いています。
私はこの瞬間がずっと頭から離れなくって、マリノスの首切りがショックで、しばらくJリーグを観ること自体をやめました。もちろんマツが山雅に加入したことも知っていましたが、やはりマリノスで戦う彼のイメージしかなかったし、トリコロールの彼が好きだったので、当時山雅もマツもそんなに追うことはしませんでした。
そしてマツは亡くなりました。
時は過ぎ、私は松本に住むことになり、再びJリーグ、そして今度は家から一番近いという理由で山雅を応援するようになりました。
アルウィンでちらほら見かけるJFL時代の3番のユニの人を見る度に、「山雅のマツも見ておけばよかったなぁ」なんて思ったりします。
ここまでマリノス時代の記憶しかない山雅サポは稀かもしれません。チャントを歌うならなーおーきーナオキオレです。もしJFL時代から応援してた山雅のおっちゃんたちにマウント取られた日には勝ち目ありません。
でもマツはマリノスでも山雅でも、情熱、闘う気持ち、サッカーへの愛情はずっと変わらず持ち続けていました。
どの立場でどのように見てたか、それ以上に
サッカーで大事なのは本気で闘うこと、そして本気で楽しむことだということをマツの存在で毎年思い出させてくれるのです。
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