広告コミュニケーションの謎を解く、株式会社パズル誕生。
2006年7月にパズルを設立した当時の時代背景と社名の由来について。どうもマス広告が届いていない、どうすべきか正解が分からない。そんなぼやき声が広告業界で多く聞かれていた頃の、昔話です。
変わった景色
1995年にマイクロソフトのOS「Windows95」が発売され、インターネットブームが起きました。家電量販店で買い求める人々の行列する姿が報道されていました、って、現代ならOS(ソフト)買うのに店に並ぶってどうゆうこと?と思ってしまうような、インターネット以前の街の景色です。多くの人は「インターネット」が何かもよく分かっていませんでした。自分もその一人でした。
幸いなことにこの方面に明るい新しモノ好きな同期が会社にいてくれたおかげで、ネット社会への適応が比較的早かったと思っています。大げさでなく今の自分があるのは彼のおかげと思っています。彼はインターネットによってこれから起こる世界の変化と会社としてすべきことを経営陣に説き、回線を引いて大量のPC端末を購入させてしまいます。20代半ばでした。ある日、彼から「メール送っておいたよ!」と言われ、「メールって何?!」と聞き返していた日々が懐かしいです。
またたく間にインターネットは普及していきました。ダイナミックに世界が変わっていくのを目の前で見ていた、そんな感触です。そしてある日、NTTdocomoからiModeのサービス開始がリリースされ、同期の彼は「その手があったか!」と深く頷き、未来予想に拍車がかかりました。1999年、モバイルインターネットの始まりです。当時のインターネットはケーブルの刺さったパソコンから意識してわざわざ接続する必要がありました。(この感覚、イマドキの子に分かるかな。。)携帯電話がネット端末になり、さらにカメラもついて多機能化していきました。
そしてあっという間に街の景色が変わりました。駅のホームでは多くの人が俯き加減に携帯電話(ガラケー)の画面を見ており、新聞や本を読む人が少数派となりました。電車の中でも待合せ場所でも、人と話をしている時ですら携帯電話の画面を見つめる人が急増しました。携帯電話の使い道ランキングで「通話」が5位へ急落しました。人々が小さな画面に見入る様子による街の景色の変化はTV-CM制作を仕事とする自分にとって漠然と「今のままではいけない。」と考えさせられる出来事でした。きっとこの人たちはテレビを観ながら携帯電話の画面も見ている、と。
今のテレビが映らなくなる?!
在籍していたCM制作会社へはプロデューサー志望で入社しました。正確には、募集職種に「プロデューサー」は無く、そのステップとしてプロダクションマネージャー(PM)を志望して入社しました。ちなみCM制作会社への就職を考える学生は圧倒的にディレクター(いわゆる監督)志望が多いのですが、学生時代に広告や映像について勉強したことのなかった自分は就職活動を通じてさまざまな職種を知り、確信をもってプロデューサーになりたいと考えていました。
PMの経験を経てついにプロデューサーになった時、達成感よりも虚無感というか喪失感というか、目標を見失ったような感覚に陥ったことがありました。目指して憧れた先輩プロデューサーたちは更に遠くへ行っていて、永遠に埋まらない差に焦りよりも諦めの気持ちが強かった気がします。そんな時に例の同期の彼からCSデジタル放送の番組制作の仕事へ誘われました。彼は先にプロデューサーになってTV-CM以外の新しいメディアへ向けたコンテンツ制作を手がけ始めており、同期ながら何をしているのかよく分からないところもありました。
話を聞いてすぐに夢中になりました。CSデジタル放送は地上波の放送(いわゆるいつも観ているアナログ放送のテレビ)とは放送方式が違うこと、放送内容を補完するデータ放送なるものを同時に受信できること、テレビにリクエストを送ると衛星からデータが降ってくること、ハイビジョンが実用化される予定があること、地上波もデジタル放送になる予定があること、そしてそれらが全て実現する時、いま観ているテレビは映らなくなるということ。ショックでした。
と同時に、今はまだほとんどの映像制作者が未経験の領域でいち早くスタートできることはチャンスだと思いました。街の景色の変化に漠然と抱いた不安は消え、これから必ず実現する、今はまだ無い世界が見えました。新しい目標が見つかりました。テレビと双方向の通信をして欲しい情報を得る視聴スタイル。データ放送はまだ実験段階で情報体験としては不十分。そこでwebサイトへ目をつけました。
ブロードバンドと常時接続
90年代に米国で実施された調査によって自宅のパソコンは(テレビのある)リビングに設置されていることが一番多いことが分かっていました。これは当時とても意外で、仕事道具であるパソコンは家族がくつろぐリビングでなく書斎、または寝室のどこか仕事スペースにあるはず、という固定観念が一般的でした。この調査結果を知って、さらに携帯電話の使われ方を自分の目で見て、テレビで放送する番組やCMとwebサイトの情報は補完し合う関係になると考え始めていました。
多くの企業が自社のホームページを作り始めたこの頃、CM制作の傍らで同期の彼や身近な先輩と一緒にweb制作の仕事をし始めました。本来なら自社では受けない仕事をできる限り自分たちで引き取り、すでにweb制作を仕事にし始めている若い世代(代表的なのは1976年生まれのナナロク世代)の外部スタッフに声をかけ、一から教えてもらいながら一緒に制作して納品し始めていました。猛勉強の日々でしたがのめり込む面白さがそこにはありました。気づいたら21世紀でした。
2001年はインターネットサービス事業社による通信速度競争と価格競争もあってADSLの普及が進んだブロードバンド元年と言われます。利用料は安い月額で固定された定額制によってインターネットへのつなぎっ放し、常時接続も進みました。webサイトではFlashのバージョンアップにより映像表現が飛躍的に進歩していました。無線LANやWi-Fi対応のパソコンも増え、インターネットの接続環境にストレスが無くなっていきました。
それ以前のインターネットはwebページや画像を表示するのに数分かかったり、動画を観る気すら起きにくいインフラでした。ブロードバンド化によってサクサクとwebサイトを見ることができるようになり、そこへより面白いコンテンツやゲームも増え、人々はより多くの時間をwebサイトへのアクセスに費やすようになりました。検索エンジンの精度も上がり、知りたい情報を能動的に探し出してアクセスする行動も増えていました。ECサイトでモノを買うことが増えるなど、生活様式がすっかり変わっていった時期がこの2001年以降、2000年代の前半です。
話は変わりますが、90年代から映像や写真の領域ではデジタル技術により撮影機器や編集機器にも大きな変化がありました。CM撮影はまだフィルムが一般的でしたが後に希少なケースになります。民生機器と業務用機器に解像度など品質の差が無くなって制作者にとって自由度が広がり始めた時期でもありました。今までプロユースの高価な機材や機械でなければできなかった仕事が市販の民生機でできるようになる。この制作環境の変化は新規参入障壁を低くし、金銭的な元手を必要としないビジネスへの変革を意味していました。
続きはwebで
2000年代前半に起きた広告の変化の一つにwebサイトへのアクセスを促す役割を持たせたことが挙げられます。TV-CMではラストカットに「続きはwebで。」と検索を促すメッセージを入れることがお決まりの作法になっていきました。情報量の多いグラフィック広告でもwebサイトでのより深い体験を促したり、広告だけでは伝えきれない、場合によってはさらにおトクな情報へのアクセスを促していました。来訪者のwebサイトの滞在時間が企業にとっての価値と見なされていました。
伝えたい情報はwebサイトへ置き、そこで勧誘や販売などのゴールへ導く手法が効率的と考えられていました。そのため広告は単体で好意度を上げてもらうよりもいかにインパクト強く最初の興味をひくかを重視され、制作者にとって工夫の為所が少なく感じるような企画を求められるケースが増えました。また、すでに多くの時間をwebサイトの視聴に費やしているターゲット層は実はマス広告に接触していない、マス広告が届いていないというようなデータも上がり始めていました。
広告制作者の中にはマス広告 vs インターネットと捉えている人もいたように感じます。webサイトをプロモーションの中心に据えて考える風潮を良く思わない人も少なからずいました。嫌なムードが蔓延していたことをよく覚えています。一方、すでにインターネットの将来性や醍醐味、web制作の面白さに気づいていた自分たちのチームは、むしろマス広告とwebサイトを一つのものとして考えて、同時に制作することこそが全ての効率を上げると考え始めていました。
この頃から、TV-CMの企画提案では連動するwebサイトの企画をつけて一緒に提案し、同時に制作することを始めました。web制作の現場ではマス広告の制作で撮影された素材を待つことが多かったのですが、同時に制作することでwebサイト本位の撮影をすることもでき、クオリティを上げることにもなりました。もちろん、TV-CMの最後には「続きはwebで。」と自信を持ってアクセスを促します。
リーチからサーチへ
TV-CM制作の仕事をしていて、その広告としてのパワーが他のメディアと比べても圧倒的に強いことは面白くもあり、やりがいにも繋がっていました。そこへデジタル技術とインターネットが既存の価値観を片っ端から崩していく破壊力にリアルタイムで触れ、この世に正解は一つではないことを思い知りました。広告の受け手である消費者が生活様式を変え、興味への向き合い方を変え、情報の受け取り方を変えていく様子に驚きながら関心を持ち続けました。
変化の中でテレビの見方が変わると直感しました。インターネットは既存のメディアを壊して置き換わるものではく、むしろ共存する情報インフラであり仕組みであると気づきました。いろんなメディアがそれぞれの強みを際立たせながら役割を重ね合わせて、一つの大きな体験を生み出す時代がくると感じました。ただ成功の方程式は無く、毎回コミュニケーションのシナリオを考え、時間軸で体験をデザインする必要があると考えました。
マス広告による一方通行で圧倒的なリーチによって受け手の気持ちを直接動かす方法に加えて、何かといえばすぐサーチする受け手の行動様式へ入るきっかけを探す方法、きっかけから並走し続ける方法もと、広告コミュニケーションの選択肢が増えると考えました。ただこれはちょっと手のかかる答えの分かりづらい方法でもあり、毎回が難問への挑戦、謎(パズル)解きゲームのようでもあると思いました。
その謎解きへ挑み続ける組織として、社内にチームを作り、新会社の設立を考え始めました。
2つの顔で、会社設立へ
webサイト上の映像表現が発達するにつれて高品質な映像コンテンツや映像素材のニーズが高まりました。当時ほとんどのweb制作会社は映像制作のノウハウを持っていません。CM制作会社にいながらweb制作も手がけているプロデューサーとして知られ始めていた頃、web制作会社から映像パートの制作依頼を受けることがありました。この時、自分がかなり特殊なポジションにいることにも気づきました。
TV-CMを含めほとんどの映像コンテンツはビデオテープで納品されていた時代です。映像制作者でweb制作の知見を持つ人はほとんどいません。データファイルで納品することはもちろん、webサイト上で表現するためにデータを最適化する知識や経験を持つ人がいませんでした。むしろweb制作者の方が試行錯誤しながらノウハウを蓄積していましたが、本格的な映像制作となると話は別でした。
ブロードバンド化するインターネットではやがて放送レベルの映像表現ができると考えて実験サイトを作ったりしながら、映像制作者なりのノウハウも蓄積していました。そこへ高品質なweb用の映像制作を引き受け始めて、自分がwebもできる映像制作者であり、映像の得意なweb制作者でもあることに気づきました。一度目標を見失い、新しい目標を見つけて動き出して、その通過点で気づいた自分の役割でもありました。
マス広告が届きづらくなったテレビ時代からインターネット時代への変わり目に、消費者の行動様式が変わって広告コミュニケーションが謎解きゲームのようになった時代に、二面性ある自分の役割を果たすための新会社、どんなに謎(パズル)でも挑み続けてきっと解き明かす、株式会社パズルの設立を決めました。これが社名の由来です。
設立時の会社概要1ページ目です。
実際はこんなストレートに理詰めで社名を考えたわけではなく、ずい分いろんな候補もありました。「パズル」という名前は寝ている時に頭の中へ降ってきた感じです。今やっていることを考えても、なかなか良い社名かなと気に入ってます。
(後編へ)
パズルの設立趣意など続きはこちら。