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テレビ時代からインターネット時代、そしてAI時代へ。

AIの適切な居場所、普及した姿はこれかもしれない。2年前ある新聞記事に出会って「そうか、その手があったか!」と深く頷いたことがありました。

この特集は、最新の補聴器をはじめとした身体能力を補う機器や、技術へ向き合う人間そのものに関する6本の記事群です。どれも非常に興味深い話ですが、スマートイヤホンともいえるAI補聴器の記事から未来が見えた気がしました。

その機能の凄さや面白さもさることながら、気になったのは聴力と認知機能の関係です。

英医学誌ランセットの専門委員会が20年に発表した論文によると、中年以降の聴力の低下が現在わかっているなかで、最大の認知症リスク要因だった。

喫煙や脳外傷などよりも大きい。聴覚による刺激が減ると、認知機能や社会活動が低下し、それがますます会話など聴覚を刺激する機会を減らすという悪循環を招くとみられる。

早くから補聴器をつけると認知症の発症が減ったとの報告もあり、日本政府の認知症施策推進総合戦略も、危険因子に難聴をあげている。

エボルブAIは、1日につけていた時間や会話の時間、体験した音環境の多様性などから「脳の健康スコア」を示す機能も持っている。歩数や運動量をもとにした「身体の健康スコア」とあわせて、遊び感覚で健康維持につなげてもらおうという工夫だ。

従来の補聴器は目立つこともあって、本来つけた方がいい人も敬遠しがちだった。各国で高齢化が進み、世界の認知症患者が現在の約5740万人から50年には1億5280万人に急増するとの予測もあるなか、人目を引かず、誰もがほしがるような補聴器が安価に手に入るようになれば、恩恵を受ける人たちのすそ野は広がる。朗報に違いない。

朝日新聞 GLOBE+ 人工感覚器の革新「補う」から「身体拡張」へ  
耳元で自動翻訳ができるAI補聴器 インテル元副社長が手がけた「世界のベスト発明」

なるほど、補聴器を使うことに抵抗がなくなる。むしろ、耳には常にスマートデバイスをつけて生活する。それにより聴力の衰えは日頃から音量調節で気にならなくなり、認知機能の衰えを遅らせることになるかもしれない。

数年前から外音取り込み機能の優れたイヤホンをつけたまま仕事や生活している人々を見かけるようになって、そのうち補聴器と区別がつかなくなるのではないかと思っていました。記事を読んで、もしかしたらとっくにイヤホン(ヘッドフォン)をスマートデバイス化する開発は始まっていて、SonyやAppleのオシャレな補聴器(スマートイヤホン)を使う時代がくるのかなと期待が高まりました。

続けてもう一つ、昨年発表されたMeta社のスマートグラスに関する解説記事や体験記を読んで確信したことがあります。こちらの記事ではMetaとAIの関わりを解説した後(”専門家AI”の話が興味深いです)、スマートグラスの機能を紹介しています。

まず注目したのはこのスマートグラスには映像表示装置が一切無いこと。つい、ARのようなものを期待しがちですが違いました。

AIと会話できるスマートグラス

 Metaスマートグラスを,Bluetooth経由でスマートフォンに接続していると,「Hey Meta!」のウェイクワードに続いて,Meta AIに対して音声で指示を行える。スマートスピーカーに,「今日の天気予報を教えて」と呼びかけると天気を音声や映像で表示するような動作はもちろんのこと,より自然な言語で高度な質問が行えるというのだ。

(中略)

 発表イベントでは,Meta AIのプロトタイプ版が体験できたが,ごく限られたテーマでの質問を英語で行えた。筆者も「アメリカの○○代大統領の名前を教えて」と質問したあとに,「その前とその次の大統領は誰?」というような,代名詞を駆使した文脈理解前提の質問をしてみたが,Meta AIはちゃんと正しい答えを返してきた。「撮った写真を『WhatsApp』でおじいちゃんに送って」というような,複雑な音声コマンドにも対応できるという。

 Metaによると,Meta AI実装後のMetaスマートグラスでは,内蔵カメラが捉えている映像に対して,「これは何か」といった質問をできるようになるというから興味深い。たとえば「目の前にある建物は何?」と言った質問に,答えを返せるわけだ。

 映像表示はできないMetaスマートグラスだが,ユーザーが見ている情景についてAIに質問することで,これまでのスマートグラスとは一線を画したシナジーが期待できるかもしれない。たとえば,観光地でのガイドをAIにしてもらったり,博物館や美術館の展示物の説明を行わせたりもできるだろう。

 さらに,カメラで捉えた情景から,AIに現在位置を推測させる「Visual Positioning System」(VPS)を実現できれば,GPSの電波が届かない屋内の経路案内も行えることになる。先述した専門家AIと組み合わせれば,業務用途にも使えそうだ。夢は広がる。

4Gamer.net
Metaが開発したスマートグラス「Ray-Ban Meta Smart Glasses」は,メガネ型スマートフォンの未来を感じさせるアイテムだ

スマホと連携してメガネが音声入出力のインターフェイスになっている、カメラは付いているけど撮ったものはメガネで観られない。なるほど!なるほど!感心して嬉しくなりました。

「ヘッドマウントディスプレイ(HMD)は絶対に普及しない」と断言した男性のテクニカル・ディレクターがいます。社内でHMDの将来性や使い勝手について雑談していた時のことでした。彼は最近メイク(化粧)をするようになって女性の気持ちが分かったとのことで、メイクしている状態で使おうとするとメイク崩れや端末への付着、それをケアするシートが欲しいなど、いちいち気になることがあると。そんなものは日常的なツールとして普及するわけがないとのこと。なるほど、説得力ありました。

スマートグラスには軽量化したHMDを期待しやすいですが、Metaスマートグラスはとてもいい塩梅でメガネをインターネット端末にしつつAIインターフェイスにしたと思いました。

かつて携帯電話がインターネット端末になったように、イヤホンやメガネがAI端末になる。記事からは身体機能を拡張したい時のツールにAIの出番が多そうと感じました。ここにAIの居場所、AIが生活に溶け込んで普及する未来が見えた気がしています。いま、インターネット接続を意識することなくスマホをいじるように、AIを意識することなくイヤホンやメガネ(か、それに代わるモノ)を使う時代になるんだなと。

テレビ時代に社会人キャリアをスタートし、多感なキャリア初期にインターネット時代の到来を目の当たりにして変化の波へ乗り続け、AIの台頭に直面している今、そんな時代の日常生活や仕事の仕方がいったいどうなるのか?考え続けたいと思っています。


AIブームのもやもや

たぶん今はAIブームなんだろうか?そして、時代の転換点にいるのかも?と思うことも多く、インターネットによる世界の変化を目の当たりにしてきた経験から考えることもたくさんあります。

生成AIにはワクワクする一方、画像も音楽も動画も生成できて楽しく面白いけど、人は誰でもクリエイターになりたいんだっけ?と思ったり。聞くと何でも答えてくれて便利で助かるけど、人はそんなに面倒くさがりだっけ?と思ったり。自分の望む答えを出力させるためにプロンプトを考え尽くして入力する作業に徒労感を覚えたり…

いま見たり語られているような面白いこと、楽しいこと、便利なこと、助かることはストレートにAIの機能や性能を理解できるけれども、個人的には生活の変化を想像するまでには至ってないことが物足りないのかもしれません。「AIを使って!」「AIならこんなことができる!」と掛け声が盛んですが、そんなにAIをわざわざ使うように意識を切り替えて生活するのは疲れそうだなと。

たとえば一時期とても話題になった画像生成AIなら、コミュニケーションをサポートするツールになってくれればと思いました。「えーと、あれあれ、あのあれが何かああでこうで…」と思いつきや断片的な情報はあるけど、そのものズバリがなかなか言えない時に「コレ?」とビジュアルで示してくれるような、そんな未来が近いかも?なんて思ったりもしました。でも、たぶんその程度の出来事は全く小さな話です。

もっともっと大きな変化、インターネットの時に見てきたパラダイムシフトがきっと起きる、そんな予感から広がった妄想を、あまり脈絡なくメモしておこうと思い、以下、かなり長くなります。

誰にでも使えるAI

近い将来に2022年から2024年頃を振り返って、あそこが転換点だったと言われそうな出来事が生成AIに代表される”誰にでも使える”AIの登場だと思っています。専門家や技術者など特別な誰かのものでなく、”誰にでも使える”モノやサービスとして家庭や職場で使われるようになって、このタイミングを「AI元年」としてみたり、この現象を「AIブーム」と言ってみたり、一気に普及と思えるような状態に近づいたのではないかと感じています。

象徴的に感じた出来事として、とあるAI関連のイベントへ行った際、ChatGPTのプロンプトを学ぶスクールを開いたという講師とその生徒たちが大勢参加していました。生徒の大半は40〜50代の様々な業種のビジネスパーソンらしく、自身の仕事で活用する目的はもちろん、手に職をつける感覚の人たちも多かったのが印象的でした。イベント会場は「時代が変わる!」とやや浮かれた盛り上がりで、まさに老若男女がプロンプトエンジニアになろうとしている勢いでした。

検索で探してみると似たようなスクールが乱立しており、なるほど、確かにAIブーム、というよりも”誰にでも使える”生成AIのブームがきていることを実感しました。そして、この雰囲気は見覚えがあるぞ?と感じました。

話は90年代に遡りますが、インターネットブームからモバイルインターネット、ブロードバンドや常時接続の普及による世の中の変化について、以前こんな記事を書きました。時代の波に乗りながらパズル設立へ至った話です。

誰でも作れるホームページ

1995年にWindows95の発売でインターネットブームが起きた時、個人的には、本当に残念ながら、その本質的な価値を全く理解できていませんでした。自分には関係ないや、と。もしかしたら今のAIブームも本質を分かっていないかもしれない、と少し焦る気持ちがあります。

本質を捉え、将来の変化を予測した人たちの動きは違いました。様々なサービスが生まれたのはもちろん、個人でもWebを情報発信の場として、ドメインを取り、ホームページ(Webサイト)を開設する人たちが続々と現れました。この時、簡単なソースコードさえ書ければ誰でもホームページを開設できる、誰でもホームページ制作者になれる、そんな機運も一気に広がりました。そのためのスクールも乱立しました。

ITやシステム開発の業界だけでなく様々な産業・業種が参入すると同時に、主婦でも学生でもできる(という言い方もどうかと思いますが、、)つまりは技術に疎い素人でもできるとして個人が大企業と並んでホームページ制作を一斉に始め、更にはもっと高度なシステムやサービス開発してしまう、それらを本業としない一般の人たちが現れました。この時の学生だった1976年前後生まれの若者たちから後に76(ナナロク)世代と呼ばれるIT業界のスターが多く生まれました。当時は20代社長として注目され話題を集める人たちもたくさんいました。

テレビ時代から、インターネット時代へ

インターネット登場の前と後を見ることができた90年代、TV-CM制作会社で駆け出しのプロデューサーだった自分は、この時代に社会人として活動し始めた運命をひしひしと感じています。この世代だからこそ時代や技術の変化に敏感でいられたと思っています。

映像制作の経験や知識はまったく無い白紙のまま新卒で太陽企画へ入社し、一から制作方法や仕事の作法を学びました。ちょうど全ての工程でデジタル化が進み、撮影はフィルムからビデオへ、編集や録音はテープから編集ソフトへと、目まぐるしく方法が変わっていきました。せっかく覚えた仕事がどんどん古くなって次から次へ新しい方法を学び続ける日々でした。

この過程でもう一つ大きな変化が携帯電話の普及でした。入社当初は業務用の肩掛け型の携帯電話を背負ってロケ現場を走り回っていましたが、みるみる小型化して固定電話や公衆電話から解放されました。どこからでも電話できて、仕事が3倍できた感覚でした。

何も知らずに制作現場へ入ったらデジタル化で仕事の方法がどんどん変わる。と思ったら携帯電話の普及とインターネットの登場でますます仕事の仕方が変わっていく。これが自分の社会人キャリア初期に起きた出来事です。

日常生活ではテレビの視聴時間がインターネットの閲覧時間へ置き換わっていった時期でもありました。テレビ中心の広告戦略へインターネットの活用が加わり始めました。

同期の川井くん

1998年頃、川井くん(左)と。

先の記事にも登場しますが、自分のキャリアを語る時に欠かせないのが太陽企画へ同期入社した川井拓也くん(現・「絶滅メディア博物館」館長、「原稿執筆カフェ」「高円寺三角地帯」「ヒマナイヌスタジオ」オーナー)の存在です。新しモノ好きの彼は物事の最適化が大好きなビジョナリストでした。

入社当初は何でも紙に手書きで連絡は電話とFAXが当たり前。検索して何か調べるなんてできません。日々苦労して入手したまま無造作に蓄積するばかりのリサーチ記録や関わるスタッフの情報など仕事の痕跡は全てデータとして捉え、それらをまとめて整理すると後でみんな便利だね、というわけでキーワードで選別(今ならタグ付け)したリスト(紙)とファイル(紙を納める事務用品)、いわばアナログのデータベースを作って先輩たちからも感謝されるような仕事ぶりでした。

インターネットは研究領域だった頃から注目していて、ブームとなった途端に経営陣を説き伏せて社内LANを敷設し、ノートPCを一人一台持たせ、あっという間に会社をネット化してしまいました。まだ入社5、6年目の20代。とにかく刺激的な同期でした。

そんな川井くんは同期で最初にプロデューサーになり、マルチメディア関連に取り組む部署「Digital PLANET(Planing+Networkの意)」通称”デジプラ”を立ち上げ、映像制作のネット対応を推進していました。例えば海外ロケの仕事ではロケハン資料を自社のサーバーへアップする(今ならデータストレージサービス)手ほどきを現地スタッフにして、朝来たら資料が届いてるといった時差を利用した仕事(今なら当たり前!)も始めていました。

デジプラにはCS放送の番組制作や関連するデータ放送の検証、番組連動のホームページ制作(今なら全て当たり前にあるものばかり)など、当時のCM制作会社にとっては新鮮な仕事がたくさん集まり、自分は部外者ながらも好奇心から仕事を手伝い始めました。1年ほど遅れてプロデューサーになったばかりでCM制作も忙しかった中、毎晩のようにデジプラへ集まってインターネットに関することなら何でも話し合いました。「最近アメリカでGoogleって検索サイトが話題みたいだよ」「どれどれ…(開いて見て)、白いね…」などと新情報を探し出してはその仕組みを調べて一緒に考えたり、毎日が楽しい猛勉強でした。冒頭と本章の写真はこの頃のものです。あんなサービスがあったら、こんな製品ができたら、自由な妄想から未来を想像して生活がどう変わるか、とことん話し合いました。こうして川井くんと過ごした4年間がその後の自分の方向性を決定づけたことは間違いありません。

ある日、NTTdocomoから携帯電話をインターネット接続するというニュース、「iモード」の発表を知り、川井くんはとてつもない衝撃を受けました。

「そうか、その手があったか!」

インターネットは、コンピューターの接続端子から有線LANケーブルをルーターなどに差し込んで接続するしかなかった(無線LANがない)時代、接続をON/OFFしていた(常時接続でない)時代、有線の電話回線を使って細々とデータ送受信をしていた(大容量通信でない)時代、当時の技術で電波にデータ通信を乗せる発想はありませんでした。

iモードのニュースを聞いて開口一番「そうか、その手があったか!」と目を見開いた川井くんには一気に未来が見えたようでした。いつでもどこでもネット接続する未来。生活の多くがインターネット上でできてしまう未来。インターネットを持ち歩く未来はすぐ実現することになります。

この時の川井くんにはとても及びませんが、イヤホンやメガネ(か、それらに代わるもの)にAIがつながることで未来が見えた気になったのが冒頭の頷きです。いま思えばどうにも不自由だったインターネットが携帯電話につながることで現在の日常があり、それ以前の日常にはもう後戻りできません。そんな風にAIが日常的に使うモノとごく自然につながって無意識に使っているようになる。それが当たり前の日常からもう後戻りできない未来。日常生活や仕事をしている時の振る舞いがとても具体的に見えた気がしました。

ところで、iモード開発メンバーの一人でありインターネットの本場・米国での生活経験が豊富な夏野剛氏も松永真理氏から開発チームへの参画を請われた際、携帯電話でインターネットと聞いて「その手があったか。」と頷いたとのこと夏野氏の書籍で知りました。後の大活躍も有名な夏野氏と川井くんの感覚が近かったことも友人として誇らしく嬉しかったです。

インターネットの”普及”

インターネットが急速に生活へ溶け込み、本当の意味でインターネットが普及したのは、モバイルインターネットの影響が大きいと考えています。順番も関係あり、すでに普及して肌身離さず持ち歩いていた携帯電話へ新技術であるインターネットが接続されたこと、日常生活で使い慣れたものへの新機能追加が普及を加速したのではないかと。

携帯電話が「電話」だけでなくなってから街の景色が変わりました。通勤風景から新聞や雑誌を読む人が消え、街はケータイの画面をうつむきながら眺める人ばかりです。景色の変化とは行動様式の変化でした。あの景色の変わりぶりはとても印象に残っており、”普及”は景色をも変えてしまうんだなと強く感じました。

AIブームと言われる今、このことを振り返るとAIの普及で景色はどう変わるんだろう?と、とても興味があります。日常生活で使い慣れたモノにAIの機能が加わると、どんな行動様式が変わるのか、とてもとても興味があります。

そして、インターネットブームで誰でもホームページ制作者になれたように、誰でもプロンプトエンジニアを目指す現在、かつての76世代のような学生たちが何を考え何を始めようとしているのか、気になっています。2024年のいま20歳前後なら04(ゼロヨン)世代でしょうか。社会に出てくるのが楽しみです。

76世代と04世代

実際のところは分かりませんが、76世代でインターネットが起こす変化へ敏感だった人たちは、中高生の頃にパソコンへ触れた経験があるのではないでしょうか。またはもっと小さい頃に起きたパソコン(マイコン)ブームでPCやネットワーク(通信)へ夢中になっている家族がいたり、自分も夢中になったりした経験があるでしょうか。プログラムを入力すると何かが起こる不思議な機械に好奇心を刺激された人もいたと思います。

そう思うのは初めてWebサイト制作の仕事をする時に出会った76世代の20代社長たちはすっかり手に馴染んだパソコンを持ち、さながらパソコンを武器に前のめりになって新しい仕事へ取り掛かる姿がとても新鮮だったことをよく覚えています。仕事道具というより体の一部のようでした。

そのパソコンがインターネットの入り口だったので、携帯電話にインターネットがつながって一般社会へ普及した(誰もが使うものになった)ように、体の一部がインターネットがつながったことで新しい感覚、例えば広い世界へ直接つながる感覚を得たのではないかと想像します。誰か当事者に聞いたことはありませんが、少し上の世代である川井くんがモバイルインターネットに夢中だった様子はそんな感じでした。

2004年頃に生まれた今20歳前後の世代は小学生のころからスマホ(iPhoneは2007年〜)を触り、YouTube(2005年〜)を観て、チャットのスタンプでコミュニケーション(LINEは2011年〜)しながら育っています。もう少し上の、デジタルネイティブと呼ばれる世代からすでにインターネットへ常に繋がった生活環境で、気になったことや知りたいことは手元のスマホで検索します。「検索する」という感覚すら無いかもしれません。

スマホが体の一部になったかのように、「知る」ことにストレスが無く、何かしながら片目でスマホを見ている、娯楽・買い物・コミュニケーションの多くを手のひらで済ませる、余計なモノは持たずに共有する。そんな04世代がAIの普及する時代に産み出すサービスは?プロダクトは?いかに人間の身体能力を拡張してくれるか?期待が膨らみます。

テレビ vs. インターネット

メディアや娯楽の主役が入れ替わる時には反動もあるものだと思いますが、インターネットへの拒否反応は様々なケースで見てきました。

聞いたことがある程度の話ですが、テレビがお茶の間の主役として家庭に普及し始めた頃、それまで娯楽の主役だった映画産業が猛反発したそうです。当時の俳優は映画会社に所属するのが一般的だったそうですが、自社の俳優には振興メディアであるテレビへの出演を禁じたとのこと。困ったテレビ業界はテレビタレントを生み出し、やがてタレントを抱える芸能事務所が力をつけて云々……。

この映画とテレビの関係はテレビとインターネットでも似たようなことが起きました。インターネットはデジタル技術そのものであるためコンテンツのコピーを警戒し、著作物である番組やタレントの肖像のネット公開を禁じる動きが強かったです。ほとんど拒否反応でした。それでもやはり、振興メディアとしてのインターネットでは、サブスクリプションのサービス(サブスク)のように著作物の取り扱いが変わり、YouTuberやInstagrammer、TikTokerのようにインフルエンサーとしてプラットホームで活躍する新たなタレントも生まれました。

さて、インターネットが次に力を持つメディアと敵対関係になるような出来事があるでしょうか?メディア化したインターネットのプラットフォーマーはAI開発に熱心ですが、そのAIはプラットホームの機能に留まるのか、AIが新たなメディアを産むこともあるのか。

すでにAIはクリエイターや著作権者から非常に警戒されて拒否反応が多く起きています。それでもメディアとしてのAIが生まれると状況が変わるかもしれません。テレビもインターネットも無料のコンテンツへ人が多く集まって広告メディア化したのは必然です。いま無料で使えるAIサービスに広告のような機能が現れたり、利用者のデータを広告へフィードバックする仕組みによって収益が著作権者へ還元され始めると、クリエイターとも新しい関係が生まれるかもしれません。

インターネットが変えたこと

世界中と情報をやりとりできる、と言われて注目されたインターネットにあまりピンとこなかったのは先述の通り。それでもだんだんこの情報インフラにインパクトを感じたテーマは「中抜き」でした。プロセスの変化です。

多くの関係の中で中間の存在が飛ばされたり不要とされて、仕組みが変わり、ヒト・モノ・カネの動きが変わり、常識が変わった。様々な分野でパラダイムシフトが一斉に起きました。

流通の分野では卸業者は重要な存在でしたが、販路を広げたい生産者(メーカー)と良いものを少しでも安く買いたい消費者(ユーザー)を簡単に結ぶことができるとしてネットの活用が注目されました。

また、デジタルデータ化された情報が時間や場所を超えてやりとりされることは、紙や記録媒体などいわゆるメディアを介さないコミュニケーションが発達する機会としても捉えられました。

知りたいことがあれば手元のスマホで検索するのが日常的になり、インターネット以前では知るために苦労さえしていた、人に聞く、電話して聞く、本を探す、店へ見に行くなど、真っ先に起こしていた初動はほとんど無くなっていると思います。

サブスクで映画やドラマは見放題、音楽は聴き放題、本やマンガは読み放題になって、モノは持たず所有欲も無くなるという価値観の変化も起きました。シェアリングエコノミーもインターネット時代らしい価値観かと思います。反動ではCDなどコンテンツのパッケージが売れなくなり本屋が無くなった街もあります。

キャッシュレス化で現金は使わないし持ち歩かないことも多いと思います。その一方で(これだけが原因ではありませんが)銀行は店舗の統廃合が進んでいます。

AIはどんなパラダイムシフトを起こすか、興味深いです。

職場のデジタルツイン

だいぶ大人になってからSNSを使い始めたので、プライベートと仕事ではサービスを使い分けています。その中でも同世代でよく使われているFacebookは、仕事上の人間関係がほぼそのままソーシャルグラフ(Facebookの友達)になっています。Facebookを眺めているだけで知り合いがどこで何をしているか知ることができて、久しぶりに再開でもつい最近会ったような気がする経験は多くの人にもあると思います。

知り合いがいつどこで何をしているか(していたか)は、特に取引先の動向を気にかける営業職の立場であれば、インターネット以前から高い関心事だったと思います。たとえ噂話程度だったとしても、情報収集には苦労もしたし工夫が必要なこともありました。

今では仕事の相談や受発注まで行われているFacebookですが、単にコミュニケーションの回路が変わっただけでなく、自分のオフィスも超えて仕事をする環境全体がインターネット上に再現されたような、さながら職場のデジタルツインになっています。

デジタルツインの活用は都市整備や製造業で推進されていますが、日常的に最も利便性を実感できるのはGoogleマップのような地図アプリかと思います。現実空間とデジタル地図がシンクロして、目的地を探したり行き方を示してくれたり。営業時間も分かるし、時には工事や渋滞も回避してくれたり。見た目にも分かりやすいデジタルツインです。

職場のデジタルツインは目には見えない人と人との関係性から多くの人たちの日々の営みや先々の予定まで知り得ることのできるプラットフォームです。人それぞれの無関係な営みを「仕事」という関係で結んで「職場」として表現する。分散したデータを集約して新しい価値を生み出すこと、これもインターネットが生んだ価値の一つだと思っています。

現実空間がデータ化されたデジタルツインには膨大な情報が詰め込まれていますが、そこにもAIの出番があるでしょう。蓄積されるデータは今よりも前、過去のものですが、それら大量のデータを利活用することで様々なシーンの精緻な予測が可能になるはずです。そこら中で”風が吹けば桶屋が儲かる”ではないですが、最後の”儲かる”を見つけやすくなるのでは?と期待します。

ついでに、Googleマップがリリースされた時のことですが、あまりにも衝撃をうけてすでに独立していた川井くんへすぐ連絡し、この新サービスの可能性について熱く語り合いました。自分(のいる場所)を中心に欲しい情報が手に入る。地図の境界線を意識することなく、サービス提供エリアの概念がなくなり、座標や距離によってサービスを受ける判断をする。どこの区市町村に住んでいるかでなく、目的まで何km、何mで物事を考えるようになる。今はもう全て当たり前になっていることばかりですが、日常的に紙の地図を使っていた生活からは考えられない変化が、実際にほんの数年で起きました。

AIが変えそうなこと

もう亡くなった人の声や写真、映像を使った”復元”や、残された作品から”新作”をつくる試み、音声データを保存して声を失った時への”備え”など、すでの多くのAI活用例が話題になりました。そして、今を生きる自分自身のデータをいかに保存しておくかにも関心が高まりました。

また、AIはロボット技術と合わさって人間の身体機能の拡張、労働の代替や自動車の自動運転などが進むことはもう目の前に見えているし、実現しているものもあります。

冒頭の記事では補聴器が音を聴こえやすくする基本機能だけでなく、AIとつながってブルートゥース対応のイヤホンや自動翻訳、音声応答による秘書機能、センサーの搭載で健康管理など、耳(聴覚)をインターフェイスとした感覚器官や身体機能が拡張されつつある現在地を垣間見ました。なにより開発者の気づきには感心させられました。

ボーミック博士は、インテルで副社長として知覚コンピューティンググループを統括していた2017年、スターキーに転じた。スターキーの創業会長ウィリアム・オースティンに口説かれてのことだった。最初は正直ぴんと来なかったが、数日話すうちに、AIなどの技術を人のために使う分野として、補聴器の大きな可能性に気づいたという。

「先進技術をとり入れれば、三つのことができると確信した。何より第1は聞きたい音を的確に届けること。第2に聴力にとどまらず、健康を維持、増進させる機器へと進化させること。そして、第3に、いつも耳元にいてネットとつながる『秘書』や『助手』にすることだ」

朝日新聞 GLOBE+ 人工感覚器の革新「補う」から「身体拡張」へ  耳元で自動翻訳ができるAI補聴器 インテル元副社長が手がけた「世界のベスト発明」

MetaスマートグラスのようにAIによる視覚と聴覚の拡張も進んでいます。

機能拡張をより自分に合った形で実現するためには自分自身の趣味嗜好や癖、思考パターンや運動能力のデータが必要です。それら自分の全てををデジタルデータとして保存しコピーできることになれば、自分(人間)のデジタルツインが実現するかもしれません。

聴力、視覚を補助・拡張し、発話や身体も補助・拡張する。AIの居場所は人間の機能を拡張する全ての機器にありそうです。さらにロボット技術はもう一人の自分を作り出すかもしれないし、職人的な仕事すら伝承できるかもしれません。

医療現場では膨大な検査データからAIが異変を見つけ出すことも実現しています。遺伝子データから病気の予測や予防もできるようになっています。そうなると、自分のデジタル複製や遺伝子データのかけ合わせから世代を重ねたデジタル子孫が生身の人間をハックして、、とかSFのような妄想も膨らみます。電脳よりも実現が近いかもしれません。すでにそんな研究もあるでしょうか。

これらが進んだ時にどこのどんなプロセスに変化があるか、あまり予想がついていません。プロセスの変化がパラダイムシフトを起こすことはインターネットでたくさん見てきました。プロセスの変化は価値観や常識の変化も起こします。人生観や倫理観へも影響を及ぼします。AIによるプロセスの変化を注視し続けたいと思っています。

インターネット時代から、AI時代へ

インターネット空間は能動的に行動する(わざわざ情報を取りにいく)場と言われていました。ところが近年では受動的に情報を押し付けられる場になってしまった感もあります。今のところ、AIは能動的に望みを叶える技術だと思うのですが、五感や身体を拡張する機器を身にまといながら生活するもう少し先の未来では、AIの存在は気にしないようになるのでしょう。何かを押し付ける技術にならなければ良いですが。

少し期待しているのは、今のようにスマホの画面にかじりつくようなシーンが減ること。

例えば、初めての土地や初めての海外経験で見るもの聞くもの全てが新しい!そんな感動を経験した人は多いと思います。ところがスマホを手放せない人を見て残念に思ったことがありました。

もうだいぶ前ですが、海外ロケでロサンゼルスへ行った時です。同行したPMは初めての海外渡航だったのですが、移動中の助手席でずっとスマホを見ていて何をしているのか分かりませんが、車窓から景色を見たり現地スタッフへ話しかける様子が無かったのです。当然、道中に見かけて気になったものや面白かったことを話しても「気づきませんでした」と。

たまたまそのPMが初めての事柄に対して無関心な人だっただけかもしれませんが、インターネット以前に海外ロケで新鮮な気分を味わってたくさん感動してきた身としてはあまりにも寂しい出来事でした。

歩きスマホで下を向き、相手の顔も見ず会話する、スピーカーの音に気を取られて話しかけられても気づかない。日常的に見かける人々に、もう何の違和感も無いでしょうか。インターネットが世界中を便利にした一方、失ったことを語ったり寂しがるのはある世代以上のノスタルジーかとは思います。

顔を上げ、目を見て人と話す、耳を澄ます。今と比べれば不便だった時代の振る舞いのまま、AIで身体機能が拡張されることによって今よりも便利になっている。インターネットはその空間に人の意識を引き込み、意識の活動が活発になりました。AIは意識を身体へ戻し、身体活動を活発にしてくれる気がしています。

AIは人間が人間本来の生き方へ戻る技術なのではないか、うっすらとそんな期待をしています。”普及”した時、たぶんAIは気配を消します。一方で、存在を感じているのに人が受動的な態度になった時がいわゆる”AIに仕事を奪われる”時ではないか、そんな気がします。その境目はなかなか気づかないかもしれません。

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