吉福伸逸さんの仕事① 『ビー・ヒア・ナウ』
吉福伸逸さんの重要なお仕事をいくつか紹介します。まずは1979年に翻訳出版された『ビー・ヒア・ナウ 心の扉をひらく本』(ババ・ラム・ダス+ラマファウンデーション著 上野圭一+吉福伸逸訳 エイプリル出版)。エイプリル出版はソニー系列のレコード会社、エイプリル・ミュージックの出版部門です。
1960年代初頭、ハーバード大学で心理学の教授だったリチャード・アルパートは、学内で幻覚剤LSDを使った意識に関する実験を行なっていました。このとき彼にはひとつの疑問がありました。LSDを使えば一時的に意識の変容が起こるが、クスリが切れてしまえば元の日常に戻ってしまう。この意識の変容をもっと永続的なものにできないだろうか…。
やがてLSDの実験は大学に知られるところとなり、彼はティモシー・リアリーとともに解雇されてしまいます。その後はインドへと渡り、縁あって、ニーム・カロリ・ババという名前のグルと出会います。ここでリチャード・アルパートはあるいたずらをします。このグルにLSDを処方したら、どんな変化が出るのだろう。試してみたくなったのです。そして大量のLSDを服用したグルは…。
この出会いでリチャード・アルパートはババ・ラム・ダスと名前を変え、バクティ・ヨーガ、すなわち信仰の道を歩み始めます。今日まで読み継がれるニューエイジのバイブル的一冊です。
1971年にアメリカで出版された初版がこちら。アップル創業者のスティーブ・ジョブズがこの本を読んでインドに旅立ったことは有名で、ジョブズの伝記にも書かれています。ニーム・カロリ・ババはすでに亡くなっていって会えなかったようですが。
70年代初頭のカリフォルニアでは、一家に一冊みたいな感じだったらしい。これと『ドンファンの教え』は、どの家にもあったと。一方で、この本が日本でどのていど知られているかというと、ほとんど知られていないというのが事実だと思います。
アメリカでは60年半ばにカウンター・カルチャーが爆発的な広がりを見せ、幻覚剤=サイケデリックスの使用が一般へと広がっていました。つまり多くのアメリカの若者は先にサイケデリックスの体験があって、非日常的な意識状態ということを知っていたんですね。そうした体験のある人が『ビー・ヒア・ナウ』を読めば、書かれていることをすんなりと理解でき、共感できたかもしれない。ところが日本では、そもそもサイケデリックスの体験をした人が少なかった。いや、ほとんどいなかった…。この内容を文字で読んで理解されるのは難しかったのだと思います。
いまの若い人が『ビー・ヒア・ナウ』を読んでどう思うのか、聞いてみたい気もします。内容はぜんぜん古くなっていないと思う。むしろ、時代がやっと追いつきつつあるというか。案外、フツーに読めてしまうのかも?
今回は作家で翻訳家、アーティストのおおえまさのりさんに、吉福さんが『ビー・ヒア・ナウ』を翻訳することになったいきさつを聞いたのですが、なんと吉福さんは最初は翻訳することを断っていたというおどろくべき事実が出てきました。なぜ吉福さんは翻訳を断ったのか? それでも翻訳をすることになったのはなぜ? そのあたりは今回の本に書かせていただきました。
共訳者の上野圭一さんに聞いた話も面白かったです。上野さんはつとめていたフジテレビを辞めて1971年に渡米。バークレーで暮らし始めた最初の時期にこの本と出会ったらしい。そして周囲のみんなが読んで議論しているから自分も読んでみたけれど、なにが書いてあるのかさっぱりわからない。それで何度も読んでいるうちにすこしずつ理解できるようになったそうです。
本には書きませんでしたが、上野さんがラム・ダスと会った時の話もけっさくでした。上野さんがラム・ダスに『ビー・ヒア・ナウ』を翻訳したと自己紹介したら、「お前はあの本がわかったのか?」という。「最初はわからなかったけれど、何度も読んでいるうちにわかるようになりました」と上野さんが答えると、「あの本がわかったのか! お前はすごい!」とラム・ダス。「おれは今だにわからないんだ」と。これって笑っていい話ですよね。
並べてみると判型が同じ。エイプリル出版のものは装丁は杉浦康平さんです。
平河版は現在も入手可能です。
ラム・ダスは残念ながら2019年に亡くなってしまいました。ラム・ダスについてはNetflixで『ラム・ダス 最期を生きる』というドキュメンタリー映像が公開されています。脳梗塞をへてハワイ・マウイ島で療養生活を送る彼の、おだやかな表情が印象に残ります。興味のある方は観てみてください。
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