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チベット仏教転生活仏制度の誕生。

 以下は1994年、スコットランドのサムイエ・リンから来日した高僧ラマ・イエシェの講演記録です。サムイエ・リンは亡命したチョギャム・トゥルンパ・リンポチェとアコン・トゥルク・リンポチェが創設した、西洋社会で初めてとなるチベット仏教のお寺です。ラマ・イエシェはそのアコン・リンポチェの実の弟さんに当たります。いつもにこにこ、笑顔が印象的なラマですが、その気さくな人柄は仏教に対する深い理解と厳しい修行に裏打ちされたもの。「私がみなさんになにかをさしあげることができるとは思いません。私はただ、みなさんが修行する必要があるということを思い出させる、そのためにいるのです」という言葉が心に残っています。

 今日はお越しいただきありがとうございます。最初に私たちの伝統であるカルマ・カギュという教えの流れについてご説明いたします。

 こちらの祭壇の中央に3体の像がおかれています。中央がマルパ。私たちの教えの祖であり、禅で言う菩提達磨(ぼだいだるま)に相当する方です。マルパはインドへ修行に行き、ナローパという先生のもとで16年間勉強され、完全な悟りを開かれました。

 チベットへ帰ってから、マルパはミラレパという弟子を育てました。師は弟子に慈悲と愛を持って接するというより、非常につらくあたりました。叱ったり、戒めたり、罰を与えたり。これには訳があります。ミラレパはかつてとても強い能力によって殺生をしてきたため、浄化される必要がありました。そこで罰を通して献身や決意を学ぶためにつらく当たったのです。

 ひとつの例としてマルパはたくさんのストゥーパ(塔)をミラレパに作らせました。しかし、ひとつ作るたびごとに、それを壊すように命じました。ミラレパを鍛えるためだったのです。

 ミラレパはマルパに対して尊敬の念を持っていました。マルパの奥さんが牛の乳を搾っていたとき、ミラレパは大地に身を投げ出し、自分に腰掛けさせて乳搾りをさせたと言われています。ミラレパがそれほどの愛と決意を持っていたにもかかわらずマルパがつらくあたるため、ミラレパもマルパの奥さんも堪忍袋の尾が切れて、ナローパからいただいた骨でできた飾りと偽物のサインを持たせて、ミラレパを別の先生の元へ送ってしまったんです。でもそこではなにも得ることができなかったのでミラレパはマルパの元へ戻ってきました。

マルパからミラレパ、ガンポパへ

 マルパはミラレパに9階建ての塔を建てさせました。これはネパールとインドの国境に今も残っています。ミラレパは大変重い石を積み上げて塔を作りました。

 ついにマルパはミラレパを弟子として受け入れました。回りのみんなは泣いて喜びました。マルパがはじめて潅頂をおこなったときに、大変な献身と努力をしていたミラレパはすでに、さまざまな観想を行うことができました。ヴィジョンとして見るだけでなく、現実のものとして現れたのです。あるときミラレパが洞窟で瞑想をしているとき、バターランプがたくさんはいったボールを頭に乗せて24時間の瞑想を行いました。これはひじょうに密度の高い修行となりました。

 ミラレパのふたつの本をおすすめしたいと思います。ひとつは"Hundred southand songs of Mirarepa"とミラレパの伝記です。これが日本語で翻訳されるといいと思います。(実際にはすでに翻訳が入手可能です。『ミラレパの十万歌』『ミラレパ』はともにめるくまーる刊)読まれればみなさん、きっと涙されると思います。私も読むたびに泣いています。

 ミラレパは世界中で人気があり、あらゆる宗教を通じて尊敬されています。純粋で、瞑想に秀で、テキストもなにも持たないひとでしたが、とても敬われています。中国では釈迦牟尼仏陀そのひとよりも人気があるほどです。

 そこの仏壇の左側がミラレパです。いつも瞑想のポーズをしています。一番手前がその先生のマルパです。

 ミラレパもたくさんの弟子のなかにガンポパという医者がいました。結婚して子どももいたのですが、突然いろいろな人生の無常を体験するようなできごとが起こりました。奥さんが死に、ふたりの子どもも死んで無常をさとった彼はカダム派で学者となりました。

 その後ガンポパは夢のなかで恐ろしい人物を見ました。彼はある場所に来るように言いました。ガンポパはミラレパのことを知らなかったのですが、乞食となって現れたり導いていきました。最終的にガンポパがミラレパに会ったとき、三つのヨガを学び、驚くべき早さで修得しました。そこでミラレパは自分の教派を作るように言いました。

 ガンポパはある非常に美しい土地を教えられて、チベットの王族などのひとびとに教えを説いて何千人という弟子を持ちました。そのなかには四人のカンパというのがいました。ガナチャクラという盛大な晩餐会を行ったときに四人が空を飛び回ったり、いろんなことをしました。口笛を吹いて焚き火を起こしたり、チャンというチベットのお酒を沸かして薬をつくったり。人々はびっくりして、帰ってもらいたいと言ったところ、ガンポパはこの人たちは非常に高い悟りを開いた人たちで、恐れる必要はない、と歌を歌いました。カンパゴヤ(白髪のカンパ=初代カルマパとなったトゥースム・キェンパのこと)がガンポパを受け継ぎました。カルマ・カギュは黄金の、修行のリネージと言われています。マルパの時代から今日まで途切れることなく続いています。現代でも非常に新鮮と生き生きと、力を持っています。

 私たちはチベットの内外にたくさんの先生方がいますし、みなさんはこういう系譜が受け継がれてきたことに感謝の念を持たねばなりません。

転生活仏制度の始まり

 最初のカルマパが亡くなったときに、転生者が現れました。転生者は自分の前世を覚えています。なにも教えられないのに、マントラを暗唱できたひともいます。カルマパは蒙古のジンギスカンの先生でもありました。ジンギスカンは自分が世界を動かしていると思っていたのでカルマパにも無理難題を要求しましたが、たくさんの奇跡を起こしてジンギスカンに教えました。たとえば手をふれずにジンギスカンの髭をひっぱって七日間つるしておいたこともあります。ジンギスカンはそれを絵に描いて後生に残そうとしました。ジンギスカンはたくさんの贈り物をしましたが、カルマパはそれを湖に捨ててしまいました。みんなは気が狂ったかと思いましたが、カルマパは湖にいる竜王を通じて、財宝をチベットに送っていたのです。

 中国に共産主義が台頭したとき、中国はチベットから財宝を持ち出してしまいました。

 カルマパはチベット仏教の最初の転生者と認められています。中国の歴代の皇帝の先生をしていたひともいます。

 カルマパがあるとき、野犬が子どもたちを追い回しているのを見ました。と、子どもの一人が網をかぶって、野犬を防いでいたのです。カルマパは、あの子はきっと立派な人間になるだろうと言いました。その子どもはツォンカパと言い、カギュ派で修行し、ニンマ派で学び、現在もっとも大きな宗派となっているゲルク派の創始者となりました。ゲルク派がここまで成長した秘密は、ツォンカパがいくつもの宗派で教えられたものを統合したからだと思います。

 カルマパと言う名前は釈迦牟尼仏陀に対していろいろな行いをする、という意味を持っています。『チベットの黒い帽子のラマ』『知恵の雨』という本に詳しいので、読んでみてください。

 これで私たちのカルマ・カギュという宗派について十分に説明できたと思います。締めくくって言えば私たちの宗派は純粋でしかも正真正銘のチベットの伝統を伝えています。みなさんがよろしければ、私たちは東京に小さなダルマ・センターを創設したいと思っています。週に一度メディテーションのセッションを行い、日本人も西洋人も一緒に学んでいただきたいと思います。

 日本は世界中で最後の、チベット仏教が根を下ろしていない国だと思います。どんなに時間がかかろうとも、ここにチベット仏教を伝えたいと思います。私たち僧侶は、非常に強い忍耐を持って、このことに当たっていきたいと思っています。これは菩提心という教えのひとつです。

先生を選ぶこと

 ここでひとつ言っておきたいのは、みなさんに間違った期待を持ってもらいたくないということです。私は真の仏教徒であり、僧侶であり、先生としていろいろな経験を持っています。自分の感情にどのように対処したらいいかもわかっています。でも、みなさんに非常に短い時間で悟りを授けることはできません。そういうステージにいたるには非常にたくさんの障害があります。手っ取り早い解決というのはないのです。ところが世の中には、こういうことが可能だという先生もいます。もしみなさんがそういう先生にお会いになったら是非私にも教えてください。私も弟子入りしたいと思います(笑)。

 私は自分の人生のなかで12年間の厳しいリトリートを経験しましたが、それでもやはり一切の苦から逃れること、悟りの境地にいたることは難しいと考えています。みなさんも自分の先生を選ぶときには慎重になってください。悲しいことですが、先生のなかにはみなさんのなかになにが起ころうと気にしないというひともいます。タントラなどを使ってインスタントな悟りにいたることなどない、と考えてください。

 私は今まで25年間、ヨーロッパで修行に励み、アメリカでも第一線に立って教えを説いてきました。そこで大事なことは、なにをやっていても修行するのはあなたご自身なのです。チベット仏教では先生と生徒との関係が非常に重要な役割を果たしていますが、その信頼関係のなかであなた自身が修行に励むのが大事です。

 私は自分のことを、たくさんいる先生のなかでも一番できが悪い先生だと考えています。先生には一切衆生のために有益な教えをされる方もいますし、なかには生徒たちの人生を無茶無茶にしてしまう先生もいます。例をあげますと、クンダリニーというチャクラを目覚めさせる修行があるのですが、これは毒蛇を目覚めさせると呼ばれるほどにパワフルで危険なのです。これが起こると非常に興奮した状態になって、感情的に不安定になったり身体がブルブル震えてしまう。どのように使っていくかきちんと指導されないと、危険です。私も危険な状態をどのように脱するかということを教えたことがあります。

 あるいは、たとえば自分が奇跡が起こせる。何でもできると信じている人がいるとします。手のなかにお金を生み出せるというひとがいます。ならばなぜ、自分の特別な能力を、貧乏な人を苦しみから解放するために使わないのだろうと疑問に思います。どのような宗教でも一切衆生の利益のためを思って使うのでなければ、どんな能力も意味を持たないと思うのです。

 みなさんには、自分がなにをするか、なにを学ぶかについて慎重になっていただきたい。私の経験では、私がみなさんになにかをさしあげることができるとは思いません。なにかをもたらすことができるとは思いません。私はただ、みなさんが修行する必要があるということを思い出させる、そのためにいるのです。もしも間違った期待を抱いて、それが起こらなかったとき、どうなるでしょう。みなさんは信仰を失ってしまい、仏教に興味を失ってしまうでしょう。

 そのようなことが起こらないためにも、もう一度強調しておきます。間違った期待は持たないでください。変容は、自分自身しかできないのです。自分が時間と努力を費やしてやっていく決意が必要だと、理解してください。

 必要以上に長くお話ししてしまったかもしれませんね。私たちはここでマハームドラーの祈り(ドルジェ・チャン)を捧げて、15分間くらい瞑想したいと思います。

 ここで参加者から質問があった。

参加者 瞑想しているときに、あるビジョンが浮かんだんです。男の人が雪を運んで、井戸を埋めようとしている。もちろん雪はすぐに解けてしまいますから井戸は全然埋まらないのですが、彼は黙々とそれを続けているんです。

ラマ その男の人は、なんのために雪を運んでいるのでしょう。

参加者 私もはっきりした意味は分からないのです。

ラマ 瞑想をしているといろんな雑念が次々と浮かんでくる。それを象徴しているのかもしれませんね。瞑想の途中にそのようなヴィジョンが浮かんできたら、それを逆に利用してはどうでしょう。雑念は限りがないのだから、それを捕まえようとしない、ということです。もう一ついえることは、雪と水は分けて考えられないものです。同じように私たちの心の中と現象の世界は分けて考えられないものです。それから雪も水も両方とも溶けてなくなってしまうものです。実体がないんです。この雪を運んでいるひとは、決して井戸を埋めようとしている訳ではないと思うのです。それは埋まらないんですから。だからものごとには実体がないということを、このヴィジョンのなかから読みとることができると思います。いずれにせよ、瞑想のあいだにあらわれたヴィジョンを特別に重要視する必要はありません。

ラマ ほかに質問がある方はいらっしゃいますか。もしなければ、みなさん、お茶を飲んだり果物を食べたり、足を伸ばしてくつろいでください。


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