飯食って寝よう。話はそれから。(VRCで感じたこと③)
こんばんは。じむの朔です。
さて、この記事では私がVRCを遊んでいて感じたことを、言語化して整理し、かつ誰かに見てもらいたいな、というものです。
この記事は個人の考えを一般化するものではなく、あくまで一個人が心のうちにあるものを身勝手にもさらけ出したものです。
内容がかなり的外れであったり、致命的な欠陥がある可能性もあります。
そのような場合はぜひコメントでご意見お聞かせください。
緒言
先日以下のツイートをして、ちょっと伸びたので、このツイートの真意を掘り下げたnoteを書こうと思ったのが執筆のきっかけです。
ということで今回はVRC中心の話ではなく、SNS、とりわけTwitterの話になります。
Twitterはその性質上、様々な話題が無秩序に流れてきます。
話題になっているツイートはより目に触れやすく、特に反感を買うような内容は拡散されやすいです(時折それは炎上と評されます)。
最近もVRC関連の話題でいろいろあったし、これからも定期的にあるんだろうな、となんとなく感じています。
そんな、思わず目に飛び込んできた面白くない話に対し、どうリアクションをするべきなのか、私の考えの一部を紹介したいと思います。
人によっては、あまり気持ちのいい話ではないかもしれませんし、あくまで私が一個人として心に備えているものの吐露です。
是非暖かい目で見ていただきたいのですが、ちょっと無理そうな方はブラウザバックをお願いします。
できれば「気にしない」で済ませたい
緒言の通り、Twitterは性質上、見たくなかったものが不意に飛び込んできます。心の準備もできていない状態で、面白くない話を見聞きしてしまえば、ふつふつと怒りの感情が湧きあがってくるのも自然でしょう。私も例外ではなく、とりわけ自分が大切にしているコンテンツを批判するようなツイートは、仮に的を得る内容でもキツイです。過去にも、思わず感情的になってしまうことはいくらでもあったし、今後もあるでしょう。
感情的な気持ちのまま「それは違う!」とリプを送り付けたくなる気持ちもありますが、これはリスクに対して自分にメリットが無さすぎると考えています。自分は一時的にスッキリするかもしれませんが、炎上の片棒を担ぐ結果になり得るし、そもそも炎上が情報発信の手法として利用されている可能性も考えられます。
また、基本的に「明確に自分に向けられている話」以外はそもそも対処の必要が無いと考えています。例えば、面白くないツイートを「トラブル」と考えた場合、自分がそのトラブルを解決するorできる立場であることは多くありません。
ここで私が理想としているリアクションは「気にしない」ことです。これができれば、最もリスクなく、コストもかからず、平穏な日々を取り戻せるからです。ただ、そのためには湧き上がってしまった「怒り」をどう処理するかが問題となります。そこで私が基本としているのが「休息」です。
一時の「怒り」をどう処理するか
「休息」の真意、それは「時間を置くこと」です。これは怒りの感情コントロール、アンガーマネジメントの基本とされています。
そして怒りの発生から理性の発動までには、6秒程度の時間的なズレがあると言われているのです。つまりその間をやり過ごすことができれば、理性が働いて上手に怒ることができるのです。
(引用:https://www.fnn.jp/articles/-/25105)
カッとなってしまった時、6秒おけばまず理性が介入します。
私はまず、その6秒を用意するために、「自分が関わる必要性を考える」というルールを設けています。(その時点で「明らかに対処が求められる」と結論づいた場合については今回は考えません)
が、引用元にもある通り、6秒で怒りがすべて鎮まるわけではありません。
そこで私はさらに、「メシうめ~」「風呂あったけ~」というHappyな感情で「怒り」を追い出します。そうして時間が過ぎていく間に、「そもそもこれは自分が何か表立ったリアクションをする必要があるのか」をゆっくり考えます。そうすると、大体のことは「これは私が触れる必要はないな」「そんなに気にする話でもないな」となります。(そもそもその話題が立ち消えていることも多いですが)
もしそれでも「これは自分が何か言う必要がある」となったら、そのクールダウンできた頭で対処すればいいと思います。
健康が怒りの予防策
私のツイートの真意はもう一つあり、それは健康であることが怒りの予防策になると考えていることです。
自身の生活に何かしらの不安があると、それが怒りの燃料になってしまうことは経験則的に理解しています。特に不足すると精神面に大きく影響すると感じているのが「食事・衛生・睡眠」といった健康に関することです。中でも睡眠不足は良くない精神状態を招きやすいです。「いつもはこんなことで怒らないのにな」と感じるとき、体や頭が疲れていることも多かったです。
極端かもしれませんが、HPはMPに変換できますが、MPはHPに変換できません。それだけ肉体的健康は精神的健康のベースになっていると感じております。
健全なる精神は健全なる肉体に宿る
ーユウェナリス
(この言葉、正確にはそういう意味じゃないみたいですね)
終わりに
今回の話、私はTwitterだけでなくいろいろな場面で応用しているかも、と書きながら思いました。逆に、今回の話が全然適用できないケースもあるでしょうし、場面が変われば、特に面と向かって会話しているケースなんかはもうわかりません!でも、今回こうして誰にでも見られる状態で自分の考えをまとめたことで、今後私が怒りにのまれそうになった時、「いかんいかん、自分でああ書いていたじゃないか」ともう一つのクッションができた気がします。
「私はこんな風に考えて感情をコントロールしてます」「こういうケースはどうするんですか」など、皆さんのご意見もぜひ聞きたいです。
※あとがきとして、本題とは逸れますが、今回のツイートが伸びた理由の一つとして「闇の言葉に対する防衛術」というちょっとおもしろな語録があったこともあると思います。この言葉は私のアイデアではなく、別のVRCフレンドの方のこの語録を含むあるツイートに対し、空リプのような形でツイートしたものです。この点はご承知くださいますと幸いです。
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