私がワールドやイベントで遊ぶときに思っていること(VRCで感じたこと②)

こんにちは初めまして。
じむの朔です。

さて、この記事では私がVRCを遊んでいて感じたことを、言語化して整理し、かつ誰かに見てもらいたいな、というものです。

この記事は個人の考えを一般化するものではなく、あくまで一個人が心のうちにあるものを身勝手にもさらけ出したものです。
内容がかなり的外れであったり、致命的な欠陥がある可能性もあります。
そう言う場合はぜひコメントでご意見お聞かせください。

今回は私がVRCで遊ぶときに、最近心にとめようと思ったことを書きます。


VRCのワールドは作品

私が普段何気なく利用しているワールドですが、その本質は「作品」だな、と感じました。

そもそもワールドはわかりやすくクリエイターによる作品のはずですが、「場所」や「空間」に対して、創作物の性質はなかなか意識できません。
これは、一個人が創作した作品の中で管理者の存在無く過ごすということが現実にはほとんどないからではないかな、と思います。

現実ではどの空間や場所も、ある目的をもって用意され、最終的には責任を持った管理者がいます。なので、どちらかと言えば「○○が運営管理している場所」という認識で利用するでしょう。
普通、作者=管理者ではないです。仕事であっても作者は作品を作るまでに責任を持ち、その後の管理責任は普通は負わないものと思います。

ではVRCのワールドはどうなのでしょうか?
VRCのワールドにおいては管理責任はVRChat運営が規約によってその責務を果たしているものと考えています。
作者からアップロードされたワールドという作品を責任をもって利用できる状態で維持し、問題があることがユーザーによって報告されれば責任をもって削除する。
公式の「VRCユーザーはすべてクリエイターです」という言葉には、「VRC運営が責任を持ちますから、みんなは自由にワールドやアバターやイベントを作って遊んでください」という意味があると思うのはちょっと拡大解釈が過ぎるでしょうか。

サービス提供者はVRC運営しかいない

一つ基本の考えとして意識していることとして、「VRCというゲームでサービスを提供しているのは基本的にVRC運営のみである」ということです。
一部の例外はありますが、直接的なお金の動きが無いものはすべてサービスではないと考えています。
(VRCの場合そもそもお金が動くサービスはVRCにお伺いを立てる必要があると聞いたことがあるので、実質的にVRC運営のみがサービス提供者といえるかもしれません)

つまり、VRC内にサービスを享受する「客」の存在は無いということです。
これはコミケの理念に非常に近いものです。

・コミックマーケットに「お客様」はいません
・コミックマーケットを執り行うのはすべての「参加者」であり、内実を作っていくのも全参加者です
・参加者全員はすべて対等です
(引用「コミックマーケットの理念と実相」→https://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIs.html)

これは個人的にはかなりしっくりきています。
公式の「VRCユーザーはすべてクリエイターです」という言葉にも通ずるものがあります。
そのまま当てはめることができない部分は多々ありますが、心構えとして参考とするにはかなり適切ではないでしょうか。

ワールドやイベントの理念として「こういうサービスを作ります」と掲げるものもありますが、それはあくまで作者や主催の「目標」であり、負う責任の話ではありません。いうなれば「建前と実際」の話です。
ここを見誤ってしまうと、ゆくゆくは自身が救われなくなってしまうだろうな、と感じています。

心にとめておきたいこと

※憲法、法律、社会通念上生じる責任については大前提として言及しません

私が大切にしたいな、と思うのは、「作品で遊ばせてもらっている」という感覚です。
これはワールドだけでなく、イベントに参加しているときも同様です。

作者は作品を好きなように扱うことができます。
色をガラっと変えたり、平屋が高層ビルになったり、気に入らなければ消してしまうことさえ自由です。

そして私は作品を享受することのみ許された存在です。
作者の自由に享受する者の思惑が介入できる余地はないと思います。

享受するものができること、それは応援することです。
「好き」「面白い」「楽しい」、普段なかなか口に出していませんが、もっと積極的に伝えていけるようにしたいです。

でもそれができないときもあります。
そんな時は、HMD外して、焼肉食べて、熱い風呂に入って、フカフカ布団でがっつり寝ることにします!

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