音楽の著作権は何小節まで認められるのか
「2小節程度のフレーズには著作権を認めないことが必要です」
上記は音楽教室との裁判の動画に寄せられたコメントです。これは昔からよくある都市伝説で、短いフレーズであれば著作権違反にならない(あえて侵害ではなく違反と書きます)とよく言われてきました。しかし、著作権法に小節数に関する規定は存在しないため、この都市伝説には法的根拠がありません。短くとも著作権は発生しえます。
話の展開と言いますか、議論の方法として極めて良くない所が目立ちますので、いい機会ですし解説を交えて自分の方から指摘を3点入れたいと思います。
反論として成立していない
楽典の勉強不足、もしくは音楽経験が乏しい
自分で自分を論破するのやめましょう
以上3つです。
1.反論として成立していない
法的根拠が無いのは誤りという事は、法的根拠がある、という事になります。つまり、この後に求められるのは「第何条において~」という法律の条文を根拠とした内容、もしくは「判例として~」という司法判断による法的根拠のいずれかが必要です。
しかし続く本文内にこういった内容は一切ないため、依然として法的根拠が無いままです。反論が存在しないのでこれは良くないです。
著作物は著作権法で保護されたものですし、「法的根拠が無いのは誤り」と言った以上は必ず法的根拠をきちんと用意してください。準備不足です。
2.楽典の勉強不足、もしくは音楽経験が乏しい
音楽の基礎的な理論が身についていればこんなセリフは絶対出てこないです。
音の高低に制限はない
まず、オクターブが違えば同じ音階の変化であったとしても意味は大きく異なります。
例えばモーツァルトのコジ・ファン・トゥッテのように、男女の恋愛事情を描いた楽曲の場合、低い方は男性の心情、高い方は女性の心情を意味します。男女でオクターブ違う旋律の場合、二人の意見の一致を意味します。一方で一人だけが歌う場合それはその人個人の心情を意味するため、表現上は全く別の意味を持ちます。
また、可聴領域のみを曲にする必要もありません。聞こえない低音を使って心理的にリラックスの効果を出したい(出るかどうかは別として)などの理由でそういう曲も作られるでしょうし、モスキート音を中心にした若い人にしか楽しめない曲、犬笛の領域を使ったペットのための曲、共振を利用した建築物の解体用の曲、音の変化を可視化させ思い通りの変化を視覚的に作るための曲など耳で聞こえるものだけが曲ではありません。よって、1つの音符に対して使える音の高低には限度がありません。
音の高さが無制限である以上、2小節のフレーズの数がたかが知れているとは決してならないです。
1小節の長さに制限はない
4/4のみが楽曲ではないです。3/4や6/8などがよく使われますが、7/4などもあります。
分母の側には音符の長さの都合上、一定の制限(2の乗数が望ましい)はありますが、拍子記号の数値の大きさに関しては制限がありません。
1小節の長さが理論上は無制限に存在する以上、これも2小節のフレーズの数がたかが知れているとは決して言えない論拠となります。
また、1小節目と2小節目の拍子が同じである必要はなく、この組み合わせも無制限に存在するためフレーズも無制限に大きくなります。
1小節内に詰め込める音符の数に制限はない
一般的によく使われる32分音符が最短の音符ではないです。歴史上、256分音符が確認されているとのことですが、この数字もまた大きさに制限は存在しません。
音符の長さも理論上は無制限ですので、やはり2小節のフレーズの数もまた無制限となり、たかが知れているとは口にはできません。
制限を設けても天文学的な数字になる
4/4、人間的な歌唱の幅として3オクターブ、男女差を考慮して4オクターブと仮定したとしても結構な数になります。
4オクターブは48音ですが、休符を考慮すると1つの音符として使える音は49音になります。4分音符のみを8個使うとしても、49の8乗、計算結果はe+13、すなわち13桁に達するため兆を超えます。
一般的に出てくる可能性のある32分音符で計算しても49^32です。計算結果としてはe+54ですので、恒河沙を超えることになります。実は2オクターブの32分音符でも25^32で正を超えます。3連符を考慮していないため実数としてはもっと大きな数字になります。
A4の紙面1ページに4つずつ掲載したとしても桁数はよくて1つぐらいしか減らないので、一冊作るだけでも国家予算を超える規模になります。
聞いている音楽、音楽の使い道などに対して視野が狭いのでたかが知れていると感じるのでしょうが、音楽経験をまともに積むか、楽典を少しでも触っていれば決して出てこない意見です。もう少し音楽の基礎知識を身に着けてください。
3.自分で自分を論破するのやめましょう
著作権法において保護の対象となるのは以下のように定められています。
この中に長さの規定は存在しません。ゆえに、どれだけ短くとも、どれだけ小さくとも、著作物として保護の対象となりうるものです。
よってこの意見は正論です。しかし、
は短いので認めないと言っているわけです。短いので特別扱いして認めませんと、自分自身で特別扱いはしてはいけないと言いながら特別扱いをしています。自分で自分を論破するのやめましょう。
書き込む前に、もう少し全体を見直すことをお勧めします。
総括
これは大きな誤解です。「法的に著作権が認められる」と「裁判したら勝てる」はイコールでは結ばれません。
もし認めないとなったら2小節の楽曲はいくらでもインターネットにアップロードし放題ともなります。曲中でフレーズが被るか被らないか以外の側面において重大な問題を抱える意見ですので受け入れる余地はありません。権利が無いとはどういうことかをまず理解してもらいたいです。
そしてこの見解は負けた場合は著作権が無いとも取れてしまいます。単に権利侵害が認められなかっただけで、権利上の話としては訴えた側も訴えられた側も著作権は存在します。
なぜこのような誤解が生まれているのかについてですが、根本的には著作権「違反」という間違った言葉遣いが誤解を招いているように思います。侵害であって違反ではないです。
AとBで同じフレーズがかぶったとしても、BがAの楽曲を意図的に侵害したかどうかは別途議論が必要です。例えば2小節の楽曲と全く同じフレーズが100小節の中に出てきたとしても、必ずしも権利侵害と認められるわけではないです。
さらには、権利侵害であると訴える側が侵害であると立証する義務が発生します。その際、仮に天文学的個数をこなしたとしてもそれは機械的に用意されたものであるとして「思想又は感情を創作的に表現したもの」と認められるかどうかは疑問です。
裁判の過程というものを大きく誤解されているためこのような発言につながっていると思いますので、著作権の判例を読まれるといいと思います。(正直に言って判例は意味が解らないのですが、権利侵害を認めさせることがいかに難しいかはわかると思います)
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