アクセルが踏まれる
こんばんは。OL2年目、新人からちょっと昇級しました。あやなかです。
「気分よく働けています。特に不満はありません」
と、社長との定期面談で意気揚々と話したのは今日の朝でした。
そのわずか5時間後、久しぶりに私の気分を悪くさせるようなことが起こりました。
事細かに書くと、いつか読み返したときにまた気分が悪くなりそうなので、(かっこ)で囲んで閉じ込めておきます。
(そういうルールがあるんだったら先に言ってくれよ)
話が変わりますが、高校生のとき『倫理』という科目がカリキュラムに入っていました。私を理系に導いた科目です。その教科書の最初のページのタイトルは、今でも強烈に覚えています。
『人間とは何か』
そのままそのページを読み進めていたのですが、「誰々は人間を何々と言った(うろ覚えですが、「ベルクソンは人間を、道具を使うことから『ホモ・ファーベル』と言った」 など)が延々と続き、何を言っているのか、どうしてそんなことが教科書に載っているのか、本当に理解ができませんでした。
倫理という科目を好きになることはなく、最後の定期試験を乗り越えたときは心底ホッとしたものです。
私の頭にある『倫理』の用語集には片手で数えられる程度しか掲載がありませんが、その一つをご紹介します。
昇華(しょうか):欲求がどうしても満たされない場合、自分(自我)を守るために行う無意識の行動(防衛機制)の一つで、叶えられない欲求へのエネルギーを、社会的価値の高い方向へ向けること。
もっとも、私がこの言葉を覚えることができたのは、化学用語の『昇華』(気体⇌固体の状態変化)を先に知っていたからだと思いますが…。
この昇華という心の働きは、本当にバカにできないと思うのです。歌を聴いていると強くそう思います。数えたわけではありませんが、『今が幸せhappy!』という主旨の歌より、『今はきついけど明日は明るい』というものの方が、圧倒的に多いと感じます。これは、歌を作る方の欲求(例:大切な人と会う・夢を叶える)が達成できず、欲求へのエネルギーが歌を作る方向に向いた結果で、かつそれが、楽しいとか幸せだという感情から歌を作ることより高頻度に起こる、ということを意味するのではないかと思っています。
もうお気づきのことと思いますが、あやなかは今日、このnoteを書いています。嫌なことがあった日はよく筆が進むと、前から思っていました。
『執筆が加速するならば、どんな嫌なこともどんと来い』と思いかけてやめました。嫌なことは少ない方がいいです。それに、執筆が進んだって、『社会的価値』が高くないので、昇華とは、ちょっと違うものになってしまいます。
写真:写真AC