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青いかばん
もう21歳になってしまいましたが、かつては私も女子高校生でした。
自宅から約15キロ離れた高校に通うためには、電車に乗る前に、20分ほど自転車を漕がなくてはなりませんでした。もともと始業が早い学校でしたが、私は始業前に宿題を終わらせるために、6時4分発の電車に乗って学校に向かっていました。
大きな町に住んでいましたが、朝の5時台では人にほとんど遭遇することはなく、太陽すらもまだやって来ていない時間に、光は街灯のものだけでした。
ある冬の寒い日のことでした。
通学路の途中に、大きな駅に繋がる大きな通りがあります。その大通りを横切らないといけないのですが、赤信号の時間が本当に長いのです。その日もいつもと同じように、信号が青になるのを待っていました。大通りといえども朝5時、大通りを走る車はほとんどいないので、ただ時間が過ぎるのを待っていました。
その日がいつもと違う日であったのは、横断歩道の向かい側に、同じように信号が変わるのを待つ一台の自転車があったからでした。街灯と信号機が、まるでスポットライトのように、その自転車をよく照らしていました。運転していたのは、男子高校生でした。前かごには部活の道具と思われる、リュックサックのようなものが載せられていました。左肩には、彼の学校の青い通学かばんが提げられていました。
幸か不幸か、私はあまり視力がよくないので、彼が私を認識したどうかはわかりませんでした。ですが、もうそのような事はどうでもよかったのです。私にとって、誰かが『存在する』ということが重要なことでした。
私は朝が苦手なくせに、毎日5時40分ごろに家を出ていました。ですから朝飯をとるとか制服に着替えるといった最低限のことしか出来ず、お弁当を作ってくれた母とおしゃべりをするなどの余裕はありませんでした(母もお弁当を作って、また寝ていました)。誰とも会話を交わすことなく家を出て、人のいない暗い道をひたすら自転車で走ります。そんな時間が何分も続くと、『この世界には私しかいなくなってたりして』と思うこともよくありました。悲しいというか、寂しいというか、心にまで冷たい風が通り抜けていくような気持ちを味わってしまうのでした。
だから、青いかばんの彼の登場は、私を温かな気持ちにさせてくれたのです。
その日以降、ほぼ毎日、長い赤信号の下には青いかばんの彼がいました。それは春の暖かい休みの日が来て、私が登校時間を変えるまでずっと続きました。言葉を交わすことはありませんでしたし、青信号になれば当たり前にお互い自転車を走らせるのでしたが、私の中では冬の朝5時の星の残る空のように、きらきら光る思い出として残っています。
今日、バス停付近を歩いていると、猛ダッシュして私を追い抜き、駆け込み乗車をした男子高校生がいました。
左肩にあったのは、あの彼と同じ青いかばんでした。
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