新時代の扉を見て思ったこと
前置き
私は新時代のレースを観に来た通りすがりのカレンのお兄ちゃんである。
メイン出走バの面々のファン、特にモルモット諸氏との感想の温度差が生じる点についてご承知おきいただきたい。
柳の亡霊
フジキセキとポッケの対話はしだれ柳のある場面が多い。
しだれ柳と言えば幽霊、死のイメージの象徴だろう。フジキセキは過去の自分自身の、ポッケはどれだけ自分が強くなったとしても光速を超えた好敵手についぞ追いつくことはないという、最強という称号(今後永遠に達成されないもの)を渇望する自分の亡霊、本人たちはまぼろしと呼ぶものに囚われている。
たった4戦ターフを駆け抜けた栄光の輝き、遺した残光が強ければ強いほど未練も影も強くなるものと思う。
自分は連れて行けなかった場所へトレーナーを連れて行って欲しいという未練を託したダービーで「目を覚ます走り」を見て自分もまた走りたい、自分もまだ、と思った。そこでフジキセキは柳をすっかり抜け出した訳である。その描写はレース前に(自販機のものとはいえ)光側にフジキセキが、柳側にポッケが位置しているシーンが該当するだろう。
ポッケは初めきらきら輝いた光の側にいて、柳の影から託された願いを持っていくと眩い表情で約束するも目に焼き付いた残光が傷になって光を一時失う。夏合宿へ向かうバスの中(後述)から確実にポッケは柳の下のものになってしまった。先述した宵闇の中フジキセキと対話するシーンでは柳の側にいるだけでなくポッケの語りに被せるように飛行機の音が鳴っている。
しかしポッケが俺も走りてえと、最強になってやると決意した理由であるフジキセキが柳を抜け光の輝きを自ら示したことでポッケもまたその輝きを取り戻し柳を抜け出す。
ジャングルポケットの持つ輝きは強い光を受け乱反射するサンキャッチャーのようである。
サンキャッチャー
タキオンとカフェが占拠している部屋の窓にはこれみよがしにサンキャッチャーが吊るされている。これを私はポッケの輝きに例えられていると感じる。
事実上の引退宣言後3人が駆け込むシーンで
はよく見るとサンキャッチャーの反射光が室内にきらきら光っている。しかし輝いているわけではなく、あまりにも強い赤い光を受けてよく見ないと分からない程に弱々しくただ光を複数方向に跳ね返しているだけ。対してジャパンカップ前に併走を打診しに来たシーンでは溢れんばかりの光が乱反射して部屋中を照らしている。
ポッケの掲げた覇道である「最強」の前に立ちはだかったあまりにも速く遠く狂った存在。
この存在が焼き付けた残光はポッケの輝きに傷を付けた。強すぎる光を直視し続けると目に黒い影が焼き付くように、また二度と元のかたちには戻せない感光したフィルムのように、遥か前を走るタキオンの姿がポッケの目に焼き付いてしまった。決して追いつけない飛行機のような超光速の貴公子アグネスタキオンを今後一生追い抜くことはない以上ダービーに勝とうと何に勝とうと俺は最強じゃないと他でもない自分自身がそう思ってしまった。
しかしサンキャッチャーは傷を受けた分だけ反射面が多くなってより多くの光を放つ。
ポッケは取り落とした輝きを再び手に走り出した。負けることが怖くとも一生の傷すらジャングルポケットは飲み下し成長して、各人が強い意志と戦績をもった尋常でない面子の中でも退かず恐れず走り抜きジャパンカップを制した。
タキオンがいま一度走る理由は己の裡にずっとあった激情にようやく気が付いたからではあるが、あの時タキオンの目に宿った光は圧倒的な強者たちとのレースの中で乱反射する荒くも強い光を受けてのもの。その光こそがジャングルポケットの持つ輝きでは無いだろうか。
ポッケの不調の兆し
夏合宿に向かうバス、場面転換の寸前にわざわざトンネル内に入ってから合宿所のシーンに移る。
このノイズのような一瞬はタキオンにとっての弥生賞前の暗雲のように、大きな苦しみへ入ることへの暗喩ではないだろうか。
夏合宿といえばもちろん更なる飛躍のための能力強化を図る大事な期間(超大物わんぱくぱくぱくヒシミラクル氏を除き)なので、ポッケもやる気充分に出立し力を付けあの飛行機雲すら追い越して最強の道を駆け抜けていく……はずだったがどうにも身が入らず伸び悩んでいる様子。
それもそのはず。焼きついた残光の跡が残るうちは(少なくともポッケの眼が捉えているうちは)どんな偉業を打ち立てたとしても、むしろ打ち立てれば打ち立てるほどタキオンのまぼろしの影は遠くに行くばかり。さぞや苦しい思いであっただろう。
夏合宿の3頭の位置から見るポッケの元気の描写
基本的にカフェやダンツと一緒にトレーニングする際は前を走っているポッケだが、夏合宿のシーンではカフェとダンツに前を譲り3番手で走っている。
しかし本調子でトレーニングしていれば2人よりポッケの方がペースが早いはず(この後カフェに遅れを取るとはいえ恐らくこの時点ではそのはず)。
なのでここで先頭を譲っている描写はポッケの元気ないしは戦意が翳りを見せている現れでありこの後悩まされるまぼろしの示唆ととれる。
この合宿においてポッケはパワーのトレーニングを重点的に行っているようで全力で走る描写がない。
おまけ:現代渋谷のイースターエッグ?
ポッケのダービー、その後の悪夢、ジャパンカップ前のオペラオーなど作中大きなレースに関係するシーンでは街頭広告の描写が多々挟まっている。
ウマ娘は実際のレースを基に作劇しているため、どのストーリーもかつてのとある世代の話ではあるが舞台は現代である。世間を大いに賑わせた描写をするにあたって、現代ならこの世紀の一戦をどう広告するだろうか、また映像作品として画が映える描き方はどうだろうかという考察が描写から感じ取れる。
また、夏合宿あたりのシーンでは世間の熱狂や注目の的の表れともいえるとても大きな広告が華々しい自身の勇姿から二度と届かない強敵の象徴とも言える赤色に包まれたタキオンで一面染まる悪夢のような描写にポッケの胸の裡を推し量る余地がある、といったところで1つ疑問がある。
東急線地下通路の長い動画広告やスクランブル交差点付近のビジョン広告など、広告のシーンは恐らくほとんど近年の渋谷が描かれている。
ダービーにせよジャパンカップにせよ東京競バ場なので概ね府中の話なのに、何故電車で1時間ほどの距離にある渋谷を描写するのだろうか。大型ビジョン広告の描写をしたいなら、猫の錯視で有名なアルタ前や渋谷のものより長い広告ビジョンを擁する新宿でも良い筈である。府中から見てもどちらかといえば行きやすい。
ウマ娘と渋谷の関係性とはなんだろうか。ふと気になって調べたところ、Cygames本社が渋谷にあるそうだ。
ちょっとしたイースターエッグを見た気分になった筆者であった。
※この記事は劇場公開中に書いたいち観客の考察群であり、また史実について詳しく存じ上げないため誤っている部分も多々あるかと思われます。