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世界はいつでも滅びておk

Twitterの住民、且つそういう音楽も好きなので、世の中は人生を生きづらい人がたくさんいるもんだと思っていた。私が抱えているような人の黒い部分を、きっと誰しもが持っていると信じていた。

でも、そうじゃないらしい。
最近知ったけれど、普通の人間は死のうと本気で考えることは殆どないし、周りの人間を全員殺そうと計画したこともないらしい。
よく考えれば私の周りだって、まともに週5で8時間働けている人間ばかりだし、世の中に目を向ければサウナとドライブと飲み会という趣味だけでこの世を生き抜いていける人間ばかりだった。
生きる意味ってなんだと思う?って友人に聞いた時、「そんな事考えたことなかった」なんて言われた日から薄々勘付いてはいましたが。

andymoriにも、ずっと前から「そのセンチメンタルはいつかお前の身を滅ぼすのかもしれないよ」と警告されてきた。でもどうしても絶望はとめられない。


自分にとってすごく大切な曲があって、本当に苦しい時にだけ聴くようにしている。
ある時、すごく深いところまで音楽の話ができる人と知り合って、「この人なら私の大切な曲を伝えても、その大事さを分かってくれるかもしれない」と思った。

その人に曲を伝えて、返ってきたのは
「良い歌〜!」という一文だけだった。
なんだか凄く許せなかった。

別に、その歌を好きになって欲しいとかCDが擦れるまで聴いて欲しいとかではなかった。でも、自分を支えてくれる大事な曲を教えるという行為は自分の秘密の宝物を見せるみたいな感覚だったから、私にとって唯一無二の音楽を「良い曲」の一言で片付けられてしまうのはとっても悲しかった。教えなきゃよかった とさえ思った。

普通の人ならこんなこと気にしないのかもしれないけど、私は気にしてしまうよ。自分の好きな音楽を流していて途中で止められるだけで、自分の存在までも否定された気分になってしまうようなこの性格が時にすごく嫌になる。


もういつからこんな性格なのか忘れてしまったけれど、毎日世界を呪うようになった。すれ違う他人は全員敵に見えるし、世の中の流れが自分と真逆に流れているように感じてた。

特に最近は、ほぼ音楽の為に生きているが故に色んなものをより聴くようになって、その分クソみたいな音楽が流行っていることが許せなくなった。

だが、自分から見て、あまりに低俗すぎるものが流行っていると、とてつもない疎外感を感じると言うか

「え、こういうものが好きな人たちが大半を占める世の中で俺は生きていかなければならないの?」

 という絶望感というか。なんというか。説明するにも恥ずかしくてつらい。僕らのような人間性がひん曲がったクソ野郎はやはり、なにか認められないものがあって、それが世間から一定の評価を得ていると心のどこからギシギシと軋むのだ。


セックスのことばっかり歌った歌が流行る世の中って...そしてそれがSNS上でも良いものとされている世界であることがどうしても受け入れられない。
ましてや自分が大好きな音楽がそんな趣味をしている奴らに、軽い気持ちで「超良い♡」なんて言われたら、「違うだろうが!!!!!」ってなるでしょ、そりゃあ。

勿論人の好みなんて自由に決まってる。何も文句を言う権利はありませんよ。
それでも自分が心から愛した音楽という世界の中に、「音楽だと認めたくもない何か」と「それを良いと思う決して分かり合えない価値観の人間」が多数存在している、ということがとんでもなく辛いことに感じてしまう。
自分が好きなものがどんどん汚されていく感覚、そして嫌いなものが流行っていく世界、私が生きる希望を見つけて愛した世界が、もう2度と帰ってこないんじゃないかとまで考えてしまう絶望。


いつでも世界が滅びていいと思っているけど、もう今更自分から死のうとも思わないです。悔しいので。でも、いつでも私は世の中のことなんてなんにも気にせず楽しく音楽が聴けたあの頃を求めている。

きっとおんなじことを考えている人が何人もいると思ってる。でもそんな仲間をスマホ画面の向こうにしか見つけられないから、私は今日も140字の文章と、このたらたら長い文章で仲間を探して、この世界がいつか滅びることを祈りながら生きる。生きているよ。

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